第21回:中村俊郎 顧問
(中村ブレイス代表取締役社長)

 

昨年の富士山に続き、今年度富岡製糸工場跡が、明治期の産業遺産としてユネスコの世界遺産に登録されることになりました。

地元関係者の喜びの声が届けられています。

 

私の住む石見銀山も、2007年6月、日本で14番目アジアで初めての産業遺産として、その文化的景観も評価され登録されました。

世界遺産会議は、ニュージーランドの美しい町クライストチャーチで開かれ、石見銀山の動向が注目されていました。

前年に調査諮問機関であるイコモスの評価は、登録延期の勧告だったのです。

 

当時、私は5期5年島根県の教育委員長として、前澄田信義知事とともに、世界遺産登録を目ざしてスクラムを組んでの毎日でしたので、その責任と重圧は大きく、登録の決定を神仏に祈る状況にありました。

ポトシと並ぶ世界の大銀山、大航海時代の主役であったスケールの大きさなど、幻の物語としてはなりません。

私は、日本の代表団の一員に加えてもらい、妻と共に委員会にも参加いたしました。

絶体絶命の中で、各国の代表から、高い評価を得たのが、鉱山でありながら、周辺の山野を緑豊かな木々を循環育成し、環境を永続して守ったことでした。

夢のようなありがたい賞賛の声で、逆転劇が実現したのです。

先人たちの知識をつくした貴い実践に頭が下がりました。

 

石見銀山は慶長の最盛期には、人口20万人、寺院の数100ヶ寺と言われた賑わいを見せていました。

只今人口400人、地元の小学校は、19名が全児童数です。

今春、A新聞の地方版に写真入りで、全児童たちが学校近くの休耕畑を利用して、小判のような実が成るという「銀貨草」を植えている姿が紹介されました。

銀貨草を手に挙げて嬉しそうな3年女児の姿もありました。

児童たちが昨夏から育て秋に200鉢を住民に配ったものです。

銀貨草が町に揺れるのは、今年が初めてとなります。

5年児童が語っていました。

「銀色になるのが楽しみ。観光の人に見てもらい、銀山の想い出にしてほしい」と。

 

石見銀山が世界遺産の町になって7年目を迎えます。

それぞれの小さな幸せを捜しながら、新たな文化的景観を、やさしく楽しく育んでくれる子供たちを、ぐっと抱きしめたくなる今日です。

 

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