第2回:熊野英介 副代表理事
(アミタホールディングス株式会社 代表取締役会長兼社長)

 

個人の幸せを語ることは、長くヨーロッパでもアジアでも無作法とされ「品格」を問われた。しかし新大陸と言われた新興国家のアメリカ合衆国では、個人主義と自由主義と資本主義を幸福の基準としてその価値観を謳歌し、フォードシステムと呼ばれる大量生産モデルを20世紀初頭に作り出した。所有と消費を幸せのバロメーターにし、その数値化をGDPと呼び、100年余りその価値観を世界に輸出してきたのだ。

 

何故長く、世界の価値観は個人の幸せよりも共同体や全生命体の幸せを重要視して来たのか?そして、何故その価値観がたった100年余りで変質して、個人の幸せを重要視し始めたのか?その原因は何であろうか?我々は、素晴らしい友人と出会うのと恰好いい自動車を所有するのと、どちらが幸福なのだろうか?素晴らしい故郷で生活するのと便利で豪華なマンションや一戸建てに住むのと、どちらが幸福なのだろうか?その答えを、3.11は我々に問いかけたと思う。

 

人々は、人の情けを知り、形ある財産は失ったが、感じるしかない人の思いやりに感謝し感動した。生きるために空気や水が必要だが、人間性を感じるためには、人は人を必要としているということを改めて知った。しかし日が経つにつれ、行政は合意形成を最重要視し、人間の尊厳をいち早く守るべき現場での行動はどんどん遅れ、2ヶ月経っても風呂に入れない状況が続くところが生まれた。民主主義は劣化した。また、現地では名もなきボランティアが数十万人参加し、泥カキなどの手仕事をしながら復旧に務めたが、大企業はリスク把握に余念がなく、行動が遅かった。資本主義は老化した。

 

つまり、人間の生命と財産を守るという尊厳を形にしてきた近代は、その発達しすぎたシステムのため、逆に人間はその道具になってしまった。個人の幸せよりも共同体や全生命体の幸せを重要視してきた価値観が、たった100年余りで変質し、個人の幸せを重要視し始めた原因は、日々の行動を習慣化した社会システムだったのだ。

 

3.11の時、民主主義と資本主義が作り上げた近代システムが停止し、人々は尊厳を維持出来なくなった。本来は、人間の尊厳を守るための道具として社会システムを使いこなせれば、自ら当事者意識を持ち尊厳の確保が出来たと思うが、近代システムの道具となった現代人は、オロオロするばかりであった。

 

この現実から学び、「ポスト3.11」は自らの尊厳を守る社会システムの再構築として、官業主体の税活動で構築する社会課題解決方法から脱却し、民業主体の社会的動機性をもった購買活動で社会課題解決をするべきである。ソーシャルビジネスを増やすことが、未来のデザインになり、近代システム奴隷からの解放になるということを私は信じてやまない。

 

 

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