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2016.04.06 UPDATE

社会事業家100人インタビュー第47回 

先輩社会事業家のビジネスモデルを学ぶ

2016年3月14日(月)18時半~21時 於:日本財団

特定非営利活動法人プレーパークせたがや 理事 天野秀昭さん

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*インタビューには、理事の早川直美さんとスタッフの大垣内弘美さんも同席くださいました。

 

<プロフィール>

1958年東京生まれ。大学時代、自閉症児との出会いをきっかけに「遊びの世界」の奥深さを実感する。81年、日本初の民官協働による冒険遊び場「羽根木プレーパーク」で初めての有給プレーリーダーを務め、その後、地域住民とともに世田谷・駒沢・烏山の3つのプレーパークの開設に携わる。子どもが遊ぶことの価値を社会的に高め、普及し、実践するため、(特)日本冒険遊び場づくり協会と(特)プレーパークせたがやの立ち上げにかかわり、両法人の理事を務めている。2014年、幼稚園・保育園の園庭を魅力的な子ども育ちの場(遊び場)にとの願いで、(特)園庭・園外での野育(のいく)を推進する会を設立。新しい挑戦を始めている。

 

<今回のインタビューのポイント>(川北)

子どもの成長における「遊び」の重要性を、「プレーパーク」(冒険遊び場)という場で実証し続けてきた天野さん。歴史のある団体が組織基盤の強化に取り組む際には困難がともなうものだが、同会では、経験やノウハウの共有の方法を進化させつつある。意義は大きいのに評価されにくい取り組みの価値を、どのように伝え、「買ってもらえるもの」にするか。そのためのチャレンジに注目してほしい。

 

親たちの自主的な活動が、行政との協働事業の先駆けに

1970年代半ば、子どもたちの遊ぶ環境が、自分の子ども時代と違うことに疑問を持った親たちが、子どもの遊び場をつくる活動を自主的に始めました。その活動の実績によって、79年に世田谷区が「国際児童年記念事業」として採択し、区立羽根木公園内に「羽根木プレーパーク」が開設されました。

当時、一般的に住民と行政は反発し合う緊張関係にあり、「協働」という言葉もない時代。また公園は、主に散策・庭園鑑賞・運動場として用途を限定されており、逆に言えば、他の目的に使わせないために、「都市公園法」の厳しい管轄下にありました。「羽根木プレーパーク」の運営についても前例がなく、区は「住民に任せて大丈夫か?」という不安を抱え、運営を担う住民は「行政に、今までの自治を侵されるのでは?」と、疑心暗鬼の状態で始まりました。ひとつ幸運だったのは、同区の公園課には、ヨーロッパの冒険遊び場を実際に見るなど、高い専門性と知識を持つ職員がいて、区役所内外の調整が比較的スムーズに進んだこと。羽根木プレーパークでの協働の成功は、その後の世田谷区で、多分野での協働が進むきっかけをつくったともいえるでしょう。

 

プレーリーダーの給与を上げたいために法人化

82年には世田谷プレーパーク、89年には駒沢はらっぱプレーパーク、03年には烏山プレーパークが開設され、それぞれの運営は地域の住民が担いました。プレーパークには、プレーリーダー(注)が配置されることが大きな特徴です。プレーリーダーは子どもたちを見守り、自由に遊べる環境を継続的に整えていく役割を担うため、有給雇用であることが不可欠です。また熟練も必要であり、片手間ではとてもできません。当初は、住民自身がプレーリーダーを選んで、お金を出し合って謝金を支払っていたため、金額もバラバラでした。

「ひとつの法人にすれば、プレーリーダーの給与を上げられるかも」という区からの提案もあり、1年以上かけて地域住民による「世話人会」で協議しながら、納得いくまでやり取りし、05年に区内4つのプレーパークを統合して、(特)プレーパークせたがやを立ち上げました。法人化に際しては、煩雑な業務も発生しましたが、それでも決断できたのは「プレーリーダーの給料をあげたい。せめて年収300万に…」というみんなの気持ちがあったからです。給与は金額を統一するとともに、4年めから昇給(ただし試験あり)、5~6年めからは正規職員として1割以上上げるなどメリハリをつけ、経験者に手厚くするようにしました。

(注)2015年度より、「プレーリーダー」は「プレーワーカー」に名称を変更しているが、本稿内では「プレーリーダー」に統一している。

 

事業の多角化が赤字を生み、組織も疲弊

法人化をきっかけに、プレーパーク運営だけにとどまらず、乳幼児の親子と多世代の交流ハウスの運営、思春期の子どもの居場所づくり、キャンプ事業など、子どもをめぐるさまざまな事業に手を出し始めた結果、08年ごろから、資金的にも人員的にも厳しくなってきました。もちろん、必要性を感じたからこそ事業を立ち上げる訳ですが、やればやるほど赤字になるし、兼務も多い過重労働で、スタッフが疲弊していきます。

そこで、場当たりでない根本的な解決をめざし、「Panasonic NPOサポートファンド」に応募し、11年から『NPOとして持続可能な組織デザイン』というテーマで、組織基盤強化に着手しました。団体の活動目的(「自分の責任で自由に遊ぶ」という理念を社会により広く伝え、子どもがいきいきできる社会を実現)に即した、助成金に頼らない安定的な財政と持続可能な組織を築きたかったのです。最初に、アドバイザーの川北さんからは、「歴史が長い団体はプライドが高いから、(今までのやり方を根底から変えることになる)組織基盤強化はうまく進まないことが多いですが、本当に大丈夫ですね?」とクギを刺されましたが、他に選択肢はないし、やるしかないということでスタートしました。

 

団体の資源を商品化、自主事業で収益を確保

わたしたちは、市民と行政の協働のパイオニアであり、活動を通じて、他に例がない有形無形の社会的財産を蓄積してきました。これらを商品化すれば、自主事業で収益を確保できるのではないかと考えた訳です。そこで、まず(特)プレーパークせたがやが持っている資源を洗い出し、何が商品になりそうか、それは誰にとって有益かを整理し、「研修センター」を設立して、団体内部の職員向けや外部向けなど、対象ごとにプログラムをつくっていきました。

つまり、内部の人材育成と、その販売を通じた資金調達を並行して進めたことがポイントで、内部研修による職員の育成を行いつつ、全国のプレーパーク実施団体や企業・行政などに講師を派遣し、機関誌や口頭で伝えてきたノウハウや知識を有料のテキストにまとめて販売しました。また、それまで無秩序に受け入れていた視察も、月2回の集中日をつくって場所を決め、資料代をもらうことで財源確保と効率化をはかりました。

各プログラムには件数・金額目標を設けて達成率をチェックするようにした結果、現在「研修センター」で年間150万円くらい稼げるようになっており、事業化の勘はつかめてきたと思います。

プレパークせたがや

自主財源率向上にともなう痛みも

組織にかかわる全員が感じていた「このままでは組織は立ちゆかない…」という危機感を、あらかじめうまく共有できていなかったため、組織基盤強化に取り組み始めてから、現場のプレーリーダーとのすり合わせに苦労した面はあります。団体の資源を商品としてデザインし売っていくためには、プレーリーダーがこれまで現場で使ってきた時間を減らさざるを得ず、時間もお金もできるだけ現場で使いたいと考えるプレーリーダーは、当然ストレスを感じるからです。また、法人のミッション遂行と個人のキャリア形成・ライフイベントのバランスも難しいところ。「自分の専門性をこうやって強めていったら、こんな稼ぎ方ができる」という見通しへの合意と本人納得が必要です。

 

新たな仕組み「研修センター」からも課題が浮上

2012年に研修センターを設立・稼働しましたが、課題は、企業・行政を対象にしたセミナーへの集客がなかなかうまくいかないことでした。初年度は、3ヶ月以上の準備期間があったにもかかわらず、参加者0名。その後も参加者の増減の波が激しく、安定的に集客できない状況が続いたため、目標30名と設定していたセミナーの参加者の平均値は5.4人という結果でした。

そこで、「NPOマーケティングプログラム2015」に応募し、マーケティングの基本を学びつつ、実践的な試行を繰り返す挑戦を開始。「いったい誰がこの企画を見つけてくれるのか?」という問いをたて、検証し、新たな企画を生み出す「高速仮説検証型」の企画開発トレーニングを受けました。販売促進に頼らず、「そのセミナーなら参加したい!」という対象者を見つけ、その対象者が魅力を感じる企画を創りだすことに尽力したのです。

 

外部協力者との出会いで、新たな企画開発も

公園は今、「規制が厳しくて、面白くなくなってきている」といわれています。そこで、そのことに胸を痛めている公園設計者・技術者も多いのでは?という仮説をたて、セミナーの参加対象者になりうるのかインタビュー調査をしたところ、まさにどんぴしゃ。「公園に対する厳しい眼差しとクレーム」を突破したいと願う複数の公園技術者や設計者に出会うことができました。

公園技術者・設計者のみなさんは、発注者である行政の声だけではなく、「公園利用者の声」を聞き、設計技術に活かしたいという思いを持っていました。技術者から見ると、「プレーパークせたがやは、公園のハードユーザー」。設計技術に活かせる素材を、私たちがたくさん持っていることに気が付かせてくれました。

そして、(一社)ランドスケープアーキテクト連盟(JLAU)と「公園活性化部会」で意見交換を重ね、「設計者が抱える課題を解決するための、冒険遊び場の智慧や技術を提供するセミナー」がうまれました。発注する行政 ・つくる技術者・ユーザーである地元住民が、利害関係を超えて、一緒に問題解決していける内容にしています。このセミナーは、日本造園学会による公園技術者の継続教育プログラム「造園CPD(Continuing Professhional Depelopment制度」の単位認定として扱われるようになり、当セミナーで学んだ内容が必要単位数となるという、技術者にとっても喜ばしいしくみとなりました。

また、セミナーを共同開発している公園技術者と、「福島空港公園活性化」を協働で取り組む機会も得ることができました。

 

利用者・協力者の声を聞き、力を借りて一緒につくっていく

プレーカーを使った出張プレーパークも行っていますが、やはりベースになるのは、常設のプレーパークです。基地や小屋など、子どもがつくったものをそのまま残しておけて、原状復帰しなくていいのが大きな利点。継続して利用する子どもたちの劇的な変化・育ちを見ることができます。親が「こんな笑顔を見せる子だと知らなかった」とびっくりするくらいです。かつての利用者が、子どもを連れて遊びに来たり、プレーリーダーになったりするのも常設のよさでしょう。

プレーパークには、世代も背景もいろいろな人がかかわります。子どもは、多様な価値観にもまれながら育つことがとても大切。プレーリーダーの采配が問われますが、それぞれのひとの居方を邪魔したり、排除したりするようなことはしません。枠を決めてみんなで守ろうというのではなく、「面白く遊ぶ」という大きな一本の柱の周りを、みんなが旋回するイメージです。

プレーパークに来る人が思いがけない技を持っている場合もあります。「一緒にやってみませんか」と、あえて人の力を借りて、できることを広げてきました。大がかりでなくても、「こんなことやってみたいね」というつぶやきを丁寧に拾って、小さく実現を重ねていくことも巻き込みのコツだと思います。

 

プレーリーダーの育成は、徹底した振り返りから

プレーリーダーによって子どもへの対応が違うのはかまわないのですが、子どもやその場の状況をキャッチできるアンテナが常にたっているかどうかが重要。まずは気づき、どう対処すべきかを即座に判断しなければなりません。このため、プレーリーダーの育成には、ただ経験年数を重ねるだけでなく、「徹底した振り返り」が有効です。「あの時、なぜそうしたのか(しなかったのか)」から始まり、「それは意図的だったのか?面倒だったからか?躊躇したからか?気がつかなかっただけか?」などとお互いに問い続けることで、自身の行動が本当に適切だったか、どうすればよかったのかを考えてもらいます。本人は良かれと思ってしたことでも、子どもにとっては余計な言動だったという場合もあるのです。

 

世田谷から全国へ、放課後から学科時間内へ

今後は、「現代風の子育て」をしている人の層にもっとアプローチしていきたいと考えています。インターネットや育児情報誌には、子どものおもちゃや習いごとについての情報があふれていますが、それらはすべて親にお金を使わせる「消費の世界」につながることばかり。遊びとは「自分の世界を生産すること」であり、周りから与えられるばかりでは、自分の世界をつくれないまま大人になってしまいます。

この危機感から、放課後ではなく学科時間内へ切り込むため、園庭自体を変えていく(特)園庭・園外での野育を推進する会をつくりました。また、全国各地で「冒険遊び場づくり」を推進する中間支援機関が(特)日本冒険遊び場づくり協会。情報共有や学び合いの機会として、3年に1回、全国大会を開催しています。

(文責:棟朝)

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