お知らせ

2012.07.09 UPDATE

6月15日(金)に開催されました、『社会事業家100人インタビュー』。
第1回目は、一般社団法人ダイバーシティ研究所代表理事である田村太郎氏をゲストに向かえ
お話を伺いました。

田村氏へのインタビューについてのレポートが完成しましたのでアップいたします。
かなりボリュームある内容となっておりますので、是非ご覧ください!
 

「先輩社会事業家のビジネスモデルを学ぶ」

1『社会事業家100人インタビュー』

 

 

ゲスト:田村太郎さん
一般財団法人ダイバーシティ研究所 代表理事

特定非営利活動法人edge 代表理事
多文化共生センター 創設者

<プロフィール>

高校卒業後海外を放浪。阪神・淡路大震災で被災した外国人向けの情報提供活動を機に「多文化共生センター」を設立。以後、複数のNPOや企業の設立に関わり、2004年から社会起業家をめざす若者のためのビジネスプラン・コンペ「edge」を主宰。07年よりダイバーシティ研究所代表理事として、人の多様性に配慮した組織や地域づくりのための活動を行う。東日本大震災では「被災者をNPOとつないで支える合同プロジェクト(つなプロ)」代表幹事や内閣官房「震災ボランティア連携室」企画官として被災地支援に携わり、現在は復興庁上席政策調査官を兼務。甲南女子大、関西学院大学非常勤講師(社会起業論)

 

今回のインタビューのポイント
・社会事業家は顧客とサービスを絞れ
・フレームワークをしなければ根本的な問題は解決しない
・運動性のない事業は続かない
・当事者から少額でもお金をもらうビジネスモデルが必要
・事業づくりはコミュニティづくり。顧客のコミュニティをつくれ

 

「ビジネスモデルをつくる」というビジネスモデル

 自分自身がやっていることは、「ビジネスモデルをつくる」というビジネスモデルなんじゃないかと思う。今、理事をやっている団体が20あり、そのうち代表理事をやっているのが4つ。ほか、5つの大学で講師をして、国家公務員の肩書も2つある。

最初は、阪神・淡路大震災の時に立ち上げた団体。17年前は23歳で、日本で暮らしているフィリピン人向けのレンタルビデオ屋の雇われ店長をしていた。今から思うと、それもソーシャルビジネス。顧客が絞れていて、ニーズがあり、サービスが絞れている。ゼロから立ち上げて、2年間でお客さんが全国に8000人いて、いい商売だった。ビデオ屋で日々お客さんと接していく中で、当時、日本にいるフィリピン人には、日本語を教えてくれる人がいないこと、相談できる人が周りにいないことに気づいた。いろんな相談を受けるようになって「これは大変だな」と思っていた時に阪神・淡路大震災が起きた。これはもう、なんかやるしかない、と。そこで立ち上げたのが「外国人地震情報センター」だった。

 

 

日本語のわからない人に情報だけ出そう、2週間だけやろうと思って立ち上げた。通訳のボランティアなどが1週間で200人集まり、24時間の情報発信ができるようになった。2週間でやめようと思っていたのに、電話がかかってきてやめられなくなってしまった。しばらくして、多言語で情報を発信するという機能自体が日本にまだあんまりないことに気づいた。寄付も2か月で2000万円位集まって、それを原資に、95年10月に「多文化共生センター」を立ち上げた。

  実はこの名前をつけて2年後に、一度経営的に破綻した。それまでは「外国人地震情報センター」だったから、対象もサービスも絞れていた。「多文化共生センター」と対象を広げたとたんに、ボランティアが来なくなり、寄付も集まらなくなってしまった。どうしようかと思って、サラ金でお金を借りたこともある。この時の教訓は、事業は対象を絞らなければだめだ、ということ。広げると人もお金も集まらなくなる。

その後、何が必要なのかをメンバーと議論し、地域ごとに異なる課題にきちんと向き合う多文化共生センターになろうと決めた。すると、うちの地域でもやりたいという人が出てきて、全国5か所に多文化共生センターができることになった。

 99年頃からは役所からの委託も入るようになった。2006年から5つのそれぞれのセンターが、地域で独立して活動している。例えば多文化共生センターきょうとは医療通訳の仕事を中心に活動していて、多文化共生センター東京は外国人の子のための「たぶんかフリースクール」などをやっている。それぞれの地域課題に即して、地域に密着した事業をするようになった。同じ名前で各地域で水平展開するというモデルは、当時はNPOではあまりなかったので、同業者からは競合するのではないかと、けむたがられたこともある。しかし、同じ分野でもいくつかサービスがあって、利用者が選べる社会のほうが健全だと言い続けてきた。地域ごとの課題に対して“何をすべきか”は横展開できなくても、“何をめざすか”は展開できる。比較できる対象があると、何が地域特有で何が普遍的なものかがわかる。そうやってできるビジネスモデルは、普遍的なものだ。最初は法人としても1つだったが、自治体との仕事が増えるにつれて、東京の自治体との契約を大阪の法人でやるのもどうかと思い、06年にはそれぞれ地域毎に独立することになった。

多文化共生センターの仲間とともに、携帯電話の多言語情報サービスコンテンツを配信する(株)グローバルコンテンツという企業を01年に立ち上げた。その頃、i-modeなどで携帯コンテンツが流行りはじめ、その波に乗って多言語情報のコンテンツも配信しようと、富士通さんにも協力してもらって会社を設立、コンテンツを配信するようになった。それまでは、こういう情報サービスの財源はフリーペーパーで広告費をとるのが中心。でもグローバルコンテンツでは月額300円(プラス消費税)を、利用者に負担してもらうことにした。利用者はピーク時には1万人を超えた。月額300円で1万人なら、1か月で300万円。これは他の事業にも言えることだと思うが、私たちは社会課題を持っているお客さんからはお金がとれない、と思いすぎていないか。少額でもいいから、社会課題をもっているお客さんから直接お金をいただくことはとても大切だと思う。多文化共生センター東京のフリースクールも、月謝をいただくスタイルで続けている。当事者に聞けば当然、無料のほうがいいと言うが、質の高いサービスを提供するにはお金がかかる、これくらいは負担してもらえないか、ということを示して理解してもらうことは重要だ。

 

フレームワークをしなければ、根本的な問題は解決しない

06年に総務省が「多文化共生推進プラン」を出した。自治体が多文化共生についての施策に予算をつけて実施するよう促したもので、私も研究会の構成員としてプランづくりに参画した。個別の課題と向き合うとともに、こういう大きいフレームで絵を描くことも重要だと思う。多文化共生などの分野で活動していると、どうしても個別のケースにはまりこんで全体が見えなくなってしまう。私自身も「多文化共生センター」発足当初、賃金の未払いと労働災害を中心に、外国人からの相談対応をしていた。個別ケースの対応はすごく大事だが、一件解決に持ち込めると、いもづる式に相談が来て、ずっと電話がかかってくる。「自分が対応するから、労働災害が起こっても大丈夫」と言っているような気がして矛盾を感じ、電話をとるのをやめた。ケースワークも大事だが、誰かがフレームワークをしないと、根本的に問題は変わらない。ケースワークを止めてから、私は政策提言に力を入れるようになった。

フレームワークをやっている人はケースワークを知らないし、ケースワークをやっている人はフレームワークを知らないことが多いように感じる。とても不幸なことだ。社会事業家としては両方のバランスが必要で、ケースワークに根差しながらも、社会のフレームワークを変えていくための働きかけをすることが必要。それが“運動” をするということでもある。ケースワークから脱皮してフレームワークを引き受けたからには、それを社会のルールにするところまでやりぬきたい。社会事業家として、運動性のない事業は続かないと思う。

 

当事者の課題にではなく、社会の側の課題にフォーカスしてゴールを描く

自分自身の活動で実績が出始めたころ、後に続く社会事業家を育てようと思い、04年にビジネスプラン・コンペedgeを立ち上げた。事業として社会課題の解決に取り組む人を増やさなければ社会は変わらないと思ったからだ。自分1人では社会を変えられない、と。03年にETIC.がやっていたビジネスプラン・コンペ「STYLE」を見て、大阪でもやろうと思ったのが最初のきっかけ。このedgeのコンペを通じて様々な社会事業家を支援してきた。その中には、Chance for Children(チャンス・フォー・チルドレン)の学校外教育バウチャー制度のように、最初は寄付金を募って地域で小さく実施していた活動が、自治体と組んでより広い対象にサービスを提供できるようになり、ケースワークをフレームワークに転換するモデルも生まれるようになった。

 

 

 

07年にはダイバーシティ研究所を設立した。私自身はそれまでは多文化共生、をテーマに活動してきたが、「多文化共生」ということ自体に限界を感じていた。外国人との共生、外国人が何に困っているのか、というところにアプローチしていてもなかなかゴールにたどりつけない。ちがいを受け入れる、という社会の側にアプローチしないと。マイノリティの側の課題にフォーカスするのではなく、社会の側にフォーカスして、ちがいを受け入れる社会づくりをしていかないと変わらない、と考えたのがダイバーシティ研究所を立ち上げた動機の一つ。もうひとつ、各地の様々な中間支援組織を見て、ターゲットを絞り、ニーズがとんがった中間支援がなければだめだ、と思ったことも動機になった。ダイバーシティ研究所は、地域の多様性・ダイバーシティを推進していく、ということを目的とした研究所だが、CSR報告書調査や自治体のダイバーシティ度調査など、調査委託としてのビジネスモデルをつくっている。また、岐阜県で外国人コミュニティリーダーを育成する事業も手がけてきた。地域の担い手が育たないことには人の多様性に配慮した社会はつくれない。事業の手法で社会の課題を解決する担い手をもっと育てなければ。そういう担い手を育てることへの共感・理解が広がってきていて、今まさに「ビジネスモデルを育てるビジネスモデル」、が必要とされてきているのではないかと思う。

この他、自分の長男が小児がんだったこともあり、小児がんの子どものための施設をつくり、日本の医療分野の課題を解決する一つのモデルとして「チャイルド・ケモ・ハウス」という活動もしている。日本の医療制度で保障されているのは本当に最低限の環境。子どもががんで入院していても、わずか二畳ほどの病室のスペースに、両親は簡易ベッドを入れて付き添い、子どもはそこで治療を受けるしかない。子どもも大人も患者はみんな、我慢して治療を受けている。入院しながらも、家にいるようにくつろげる環境で治療を受けることができないかと考え、「夢の病院」構想をチャイルド・ケモ・ハウスで立ち上げ、寄付を集めて準備してきた。ハウスとクリニックを併設し、ハウスの部分では利用者に利用料を払ってもらうことにした。利用料を払えない利用者には、寄付を集めて助成する、という制度もつくる。そのために公益財団法人化もした。企業からの支援や、神戸市からの土地の提供等もあって、先日着工し、来年、神戸で開業する。

 

社会事業家は常に「起業家」たれ

17年間、様々な事業を立ち上げてきて思うのは、事業づくりはコミュニティづくりだということ。それぞれの顧客コミュニティをつくることが大事。コミュニティが作れていてはじめて事業になる。逆に言うと、コミュニティが絞れていないと事業が続かない。それは自分がサラ金でお金を借りて学んだことだ。

もうひとつは、少額でもいいからお客さんから利用料をもらうこと。そうしないと関係性に強弱がついてしまう。無料ですると、事業を提供している側にも、してあげているという意識が芽生えてくるし、お客さんも文句が言えなくなる。それはおかしい。少額でもお金を払っていれば、「お客さん」として受益者は堂々と文句が言える。ビジネスの手法で社会課題を解決しようとする社会事業家だからこそ、顧客との間にきちんと関係性を築いていかなければならない。

そして「社会起業家」を名乗る以上は、2,3年に一度は新しい事業を立ち上げ、起業していかなければ。10年前にヒットした曲でいつまでも紅白歌合戦に出るような歌手になってはいけない。私自身、これからもどんどん新しい事業を立ち上げ、常に社会起業家であり続けたいと思っている。

 

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<今後の予定!>
『社会事業家100人インタビュー』2回目以降のゲスト続々決定!

今後の『社会事業家100人インタビュー』のゲストとして決まっているのは
下記の方々です。ご期待ください。

7月19日(木) (株)NEWVERY 山本繁様
8月6日(月)  (株)ケアプロ 川添高志様
8月27日(月) (特)ハットウ・オンパク 野上泰生様
9月7日(金)  (特)ブレーンヒューマニティー 能島裕介様
9月25日(火)(特)わははネット 中橋恵美子様
11月27日(火)(株)イータウン 斉藤保様 (@港南台、タウンカフェにて開催予定)

*詳細は順次ブログ、facebook等でご紹介します。
◇本プロジェクトのfacebookページ
http://www.facebook.com/100JapaneseSocialEntrepreneurs
◇ブログ(第2回 開催概要)
http://blog.canpan.info/iihoe/archive/193

WEB申込はこちら: http://goo.gl/ctBEM
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