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【レポート】『社会事業家100人インタビュー』株式会社 西粟倉・森の学校 代表取締役 牧大介氏

2013.01.07

「先輩社会事業家のビジネスモデルを学ぶ」

10回『社会事業家100人インタビュー』 (特別編 in 岡山)

ゲスト:牧 大介さん
株式会社 西粟倉・森の学校 代表取締役

makisan (1)
 

【プロフィール】

1974年生まれ。京都府宇治市出身。

京都大学大学院農学研究科卒業後、民間のシンクタンクを経て2005年に株式会社アミタ持続可能経済研究所の設立に参画。森林・林業、山村に関わる新規事業の企画・プロデュースなどを各地で手掛けてきた。06年から地域再生マネージャーとして西粟倉村に赴任。

09年より株式会社西粟倉・森の学校を設立と同時に代表取締役就任。


【西粟倉村について】

 人口:1,556人(外国人含む 2012/12/1現在)

 世帯数:559世帯

 面積:57.93平方km
2004年:美作市への
合併協議会から離脱
04年~06年:地域再生
マネージャー事業
05年:「心産業の創出」
というコンセプトが決定
06年:株式会社
木の里工房木薫設立
07年:雇用対策協議会
設立
08年~:「百年の森林構想」
09年:「共有の森ファンド」スタート
森の学校プロジェクトスタート
(株)森の学校設立
2010年:ニシアワー製造所設立
 
<今回のインタビューのポイント>(インタビュアー IIHOE川北)
戦後、特に昭和30年代以降に相次いで植林が進められた日本の人工林は、50年以上を経て、収穫期に入ろうとしている。しかしごく一部の先駆的な林業家(の集団か株式会社)を除けば、日本の人工林のほとんどは、切るだけの間伐を続けてきたのが現実。
最大の課題は、分業が進み過ぎたサプライチェーンを再編・統合して効率を高めるために、誰がリスクを取って、どう踏み込むか。そして、地域の人々に、どう理解と参加を促すか。
西粟倉・森の学校は、それを見事に成し遂げつつあり、しかも、林業の生産→加工→販売と高付加価値化と交流促進という、6次産業化にも成功している。
「補助を受けて業務を行う」のではなく、「経済的に戦い続けられるしくみをつくる」ことの意義とプロセスを、学んでいただきたい。
 
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「合併しない」自立した村を目指す
岡山県西粟倉村は、岡山県の北部、鳥取・兵庫・岡山の県境に位置する、人口約1600人の小さな村。その西粟倉村は2004年に、美作市への合併協議会から離脱することを宣言しました。過疎化・高齢化が進む中、当時国策として進められていた市町村の合併からあえて離脱し、自分たちの村を維持するということはとても大きな挑戦でした。「合併しない」ということを決めてから、「自立した村」にするにはどうしたらいいのか、どういう方向に村を進めたらいいのか、必死の模索が始まりました。
ちょうどそのころ、民間のノウハウを活用しながら地域を活性化しようという総務省の地域再生マネージャー事業が実施され、アミタ(株)が地域再生マネージャーとして西粟倉村に派遣されました。04年から実施されたその事業の中で、役場や村の人と徹底的に、村がどの方向に進むべきかを議論していきました。その結果生まれたのが、「心(しん)産業」というコンセプト。心と心をつなぐことで価値を生み出していくという産業のあり方です。このコンセプトを具体化するために、06年に村の若者が身を投げ出して立ち上げたのが木の里工房「木薫」(もっくん)でした。これまで丸太のまま原木市場に出荷することが慣例だった西粟倉村の木材を西粟倉村の中で最終製品にまで仕上げようという試みです。杉や檜の新たな市場を開拓、林業経営と工房経営を一貫して行うこの木薫の挑戦が村に新たな雇用を生みました。その人材ニーズに応えるために設立されたのが、村の人事部としての機能、雇用対策協議会。この協議会が中心となってIターン、Uターン者の移住に力を入れ、全国から挑戦者を募って新たな人材の受け入れが始まりました。
こうして村を一つの会社のように考えて、村の人事部機能を雇用対策協議会が担う中で、会社がその理念を訴えて人材を獲得するのと同じように、村としての理念を外部に伝える必要性が出てきました。その過程で当時の村長が打ち出したのが、「百年の森林構想」です。50年前に先人たちが入植した今の森林を、50年後の子孫たちにも持続可能な形で受け継いでいこうという理念で、森林所有者に代わって役場が森全体を管理することで森林管理の合理化を進めようという取組みでもあります。森の所有者にとっては、自分の森を預けるというのはとても大きな決断のいること。合計50回くらいの説明会を開催し、村としての構想を説明しながら、時間をかけて少しずつ賛同を集め、50haだった間伐面積は現在300haにまで広がっています。
西粟倉村の応援団をつくる
「百年の森構想」による森林管理の合理化に伴い、間伐機材などを購入するための資金需要が発生しました。役場が金融機関から資金を借りれば、とても有利な金利で借りることができます。しかし、村の負債を膨らませ、「税金」という顔の見えないお金を村の中で再分配して、村の雇用を守るというこれまでのスキームには限界がきていました。西粟倉村は「心産業」というコンセプトを掲げて心のつながりを豊かにして新しい産業をつくっていこう、という取組みをしていく中で、今までと違うお金の動かし方をしなければならない時にきていました。そこであえて外部の会社である(株)トビムシの協力を得て「共有の森ファンド」という基金を立ち上げ、村のビジョンを掲げてそれに賛同し応援してくれる個人から資金調達をしました。一口5万円という小口で村の応援団としての資金提供者を募り、その期待に応えていきながら今までと違う経済をつくる、という挑戦です。西粟倉村に期待している人たちからの、顔の見える重たいお金です。このファンドを通じて、地域住民だけが地域のメンバーなのではなく、その外側にいる人たちとの関係を含めて地域のコミュニティを考えなければ地域の経済を維持できない、外にいる人たちとの関係性を含めた森づくり、村づくりが必要なのだ、という意識が村の中で生まれていきました。2009年から2019年までの10年間という償還期限までにこの応援団の方々の期待にどこまで応えられるのか、村の将来をかけた大勝負です。

勝てる流通を地域の中につくる
このファンドを通じて、西粟倉村のファンづくりも進みました。自立した村になるためには、大企業・大都市の下請けとしての村ではなく、自前のマーケティングができることが必要です。そのためには自分たちのお客さんを持つということと、最終製品を持つことが重要です。木材の伐採から製材、材木加工を経て最終製品に仕上げるには少なくとも5~6の行程が必要です。それまでは原木市場や卸売業者をはさんで、村の中では丸太のまま原木市場に出すことが一般的だった村内の流通を、西粟倉村の中の小規模な組織のみで最終製品にまで仕上げるために、09年に(株)森の学校を設立し、村の中で製材工場、加工工場、そして小売の機能までを持ち、間伐材を商品にしていくということを始めました。あえて民間企業としてこの「森の学校」を立ち上げることで、村のトップや役場が変わっても維持できるしくみをつくっていきました。これにより、西粟倉村内で伐採から製材、最終製品への加工、そして消費者や工務店への販売といった林業のサプライチェーン全体が揃うことになりました。
これから必要なのは、コーディネーター機能を持った営業部隊です。西粟倉村から出荷される木材の量はまだまだ少なく、大量生産が前提の大手メーカーとは競争できません。部材の量で勝負したら負けてしまいますが、村の中に製材、加工のサプライチェーン全体を持っている強みがある。地域に密着した工務店やこだわりの強いハウスメーカーのオリジナルの仕様に合わせた柔軟な調達が可能です。「あなたのための木材加工工場」になることができます。さらにそれを1社独占でやるのではなく、村の中の複数の組織とその機能を分担しながら、村全体を一つの商社のように有機的に結ぶことで、勝てる流通を地域の中で再編成することが大切です。もちろん、それぞれが独立した組織ですから、互いの利害調整も必要です。ひとつひとつの関係を契約に落としてそれぞれに納得してもらうよう、手間をかけなければなりません。それでも、地域の生き残りのためには、どこかの1人勝ちではなく、地域全体を強いしくみにまとめあげていくことが必要で、西粟倉村はその要に「心産業」というコンセプトがあり、「百年の森構想」というビジョンがあるのです。
この村の挑戦が成功するかどうかはまだわかりません。今はまだ、ベンチャー企業で言えば立上げ数年の、黒字化に向けた苦しい時期。補助金や公共事業に頼らず地域の経済をつくることができるか、たくさんの方の応援を受けながら必死に模索しています。

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