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【レポート】『社会事業家100人インタビュー』公益財団法人キープ協会 環境教育事業部 シニアアドバイザー  川嶋直氏

2013.04.19

「先輩社会事業家のビジネスモデルを学ぶ」

14『社会事業家100人インタビュー』

~日本の自然学校の草分け キープ協会に学ぶ~


ゲスト:
川嶋直さん

公益財団法人キープ協会 環境教育事業部 シニアアドバイザー

略歴

1953年東京都調布市生まれ。26年間東京で生活、1980年から清里に。
1984年にキープ協会がネイチャーセンターを開設した当初から環境教育事業を担当。

28年に渡る環境教育の人材育成事業の経験の中から、「指導者に必要なコミュニケーション力と企画力」を痛感。自然の中での「自然とのコミュニケーション・人とのコミュニケーション・自分自身とのコミュニケーション」を通した環境教育を実践中。企業や大学・行政などあらゆるセクターとのコラボレーションも進めている。

公益社団法人日本環境教育フォーラム常務理事【1997年~現在】
NPO法人自然体験推進協議会理事【2000年~現在】
日本環境教育学会理事【2011年~】
つなぐ人フォーラム事務局長
ESDの10年世界の祭典推進フォーラム理事
著書:「就職先は森の中~インタープリターという仕事」1998年小学館

<今回のインタビューのポイント>(インタビュアー IIHOE川北)

かつて日本では政府の支援を全く受けられなかった自然体験活動は、その重要性に気付いた人々によって着実に取り組みを積み重ねられ、今日では、他国にないユニークな進化を遂げている。その礎を創り出した一人が、川嶋直さん。「隠してる場合じゃない」という一言は、それぞれが工夫や努力を積み重ねてノウハウを磨きながら、公益の担い手であることの意義を自覚させる重要な問いかけだ。


“ない”ものをチャンスにする

私がキープ協会に入職したのは1980年、27歳の時。当時の私には、自然分野の専門的知識も、フィールドも、ネットワークもありませんでした。でも野外教育、環境教育がしたかった。自然学校のようなものが日本でもできないか、と模索していました。だから、フィールドと施設と組織力のあるキープ協会に入り、その中で組織内起業をしようと思ったのです。当時のキープ協会には環境教育の部門はありませんでしたから、入ってから自分で作ろう、という確信犯です。

専門知識はないから、日本野鳥の会と協働してプログラムをつくったり、ネットワークがないから、会議の番頭役を務めて、いろんな参加者を募ってつながったり。そんな過程で「新しい学びの方法が必要だ!」と感じたけれど、その方法もわからない。そこで力になってくれたのが、「エコロジー」という、当時は非常にチャレンジングなキーワードに集まってきた、敏感な参加者たちでした。

1985年に「エコロジーキャンプ」をはじめた当初、とにかく様々な自然の知識を提供しなくては、と詰込み型で朝から晩まで研修をしていました。でも敏感な参加者のみなさんは、自分で学ぶ力を持つ人たち。「もっとみんなを信用すればいいんだよ」と言われてハッとしました。そこから、参加者中心の学びの場づくりを考えるようになりました。

こんな調子で、最初は本当にないものづくし。だからこそ、外部に協力を求めて、常にコラボレーションをしてきました。様々な専門家をゲストに招いて主催事業をしたり、人手がないから東京・山梨からたくさんのボランティアに来てもらったり。僕たちにない発想で、とんでもないお題を出してくる様々なクライアントにも鍛えられました。「ダムで環境教育」なんて、環境保護団体だったら決して出てこない発想でしょう。でもクライアントから依頼がきたから、必死になって考えた。そういうことが、私たちの事業の幅を広げることにつながったのだと思います。

 

状況が変わるなら誰とだって手を組む

キープ協会では、常に時代の社会的課題の事業化にチャレンジしてきました。

「エコロジーキャンプ」を開始した1985年頃は、それまで“反対運動”が中心だった市民運動から、対案の提示の重要性が認識されてきた時代。子ども向けの環境教育は少しずつ普及していたものの、多くの大人たちの環境への意識は低いまま。そんな大人たちにこそ環境教育が必要だ、と考えました。そこで大人向けの環境教育として、また「エコロジー」な考え方や生き方を提案する場として、「エコロジーキャンプ」を開催するようになりました。

1992年からは自然と人との仲介「インタープリター」という役割の提案をしたくて、「インタープリターズキャンプ」を実施。単に自然体験をするとか、自然から学ぶというだけではなくて、人と自然を結びつけるために何が必要なのか、“伝えるための技術”も学び合い、それぞれが持つノウハウを分かち合う場として機能するようになりました。

それから、普段は林業の人手不足を補うためにボランティアを募って開催されている森林管理作業を、有料の教育事業として提案。意見交換をする機会のなかなかない、林業従事者と、森林や生物保護等のNGOが一緒になって森をどう守っていくべきか、森の環境を守るためにはどんな木を切るべきかについて議論しながら学ぶ場づくりなども行ってきました。他にも、参加者中心の学びの手法を論理的に整理して教育界に提案するための「環境教育体験学習法セミナー」(99年~)や、自然環境の中での幼児教育や保育を行う「森のようちえん」(2002年~)など、時代ごとの課題に合わせた事業化にチャレンジしてきました。

これらは、企業と一緒にやったり教育現場と一緒だったり、行政からの委託だったり、そのコラボレーションのありかたは様々です。どうしてそんなにいろんなコラボレーションができたのか、と聞かれますが、我々はごく自然に、最初から一緒にやってきました。我々の主催事業に企業の人が参加するのも大歓迎。そういう姿勢で参加者の力を借りながら事業をつくってきました。状況を変えるためだったら、誰とでも手を組む。そうしないと世の中は変わりませんからね。

隠してる場合じゃない!

僕らの仕事は、自然と人の橋渡しをすること。仲介者や翻訳者(インタープリター)であることです。目の前のお客さん、自然次第で、何を伝えるべきかは常に変わってくる。仲介者としてのノウハウや知識は、目の前の状況を変えるための手段にすぎないんです。

1987年から清里環境教育フォーラムを、その後に清里ミーティングとして環境教育に携わる人たちの交流・情報交換の場を開催してきましたが、そこでは常にノウハウをオープンにしてきました。自分たちのものはもちろん、全国から集まってくれたリーダーたちのものもです。人によっては、ノウハウは貴重なメシのタネですから、隠したい人もいると思いますが、目の前に30人のお客さんがいるんだったら、講師であるリーダーたちが「自分だったらそんな風にはしないよ」と、隠し合わないでオープンにしたほうが、絶対にみんなのためになる。お互いに持つノウハウをオープンにして、全体としてのレベルを上げないと、目の前の状況は変わりません。常に全体最適のために自分は存在するのであって、自分たちだけの成功、部分最適なんてありえない。隠してる場合じゃないんです。だから常にノウハウはオープンにしてきたし、これからもそうし続けます。

私たちは自然と人との仲介者であると同時に、人と人との仲介者でもあります。このテーマにはこの人をゲストにして、こんな場をつくろう、とか、この状況を変えるためにはこの人たちを動かそう、とか、目の前の状況次第で自分たちの立ち位置も変えていかないと。大切なのは自分が自分であることではなく、状況を変えるために自分が存在しているのだということ。それがわかれば、“隠してる場合じゃない”ってことがわかってくると思います。

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