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【レポート】社会事業家100人インタビュー (特)岩手子ども環境研究所 理事長 吉成信夫氏

2015.03.11

「先輩社会事業家のビジネスモデルを学ぶ」
第37回 社会事業家100人インタビュー
~学校じゃない「がっこう」をつくる~

2015年2月2日(月) 19時~21時
於:(特)ETIC. ソーシャルベンチャー・ハビタット

ゲスト:吉成 信夫 様
(特)岩手子ども環境研究所 理事長/森と風のがっこう コーチョー(校長)

37回

 <プロフィール> 
CIコンサルティング会社役員等を経て、1996年岩手県東山町に家族と移住。
「石と賢治のミュージアム」(一関市)研究専門員として、企画構想段階より開館後まで一貫して事業を推進。2001年より「森と風のがっこう」を葛巻町に開校。2003年より7年間、岩手県立児童館「いわて子どもの森」(一戸町)初代館長。現在は、森と風のがっこうコーチョーとして、北欧のライフスタイルと地場のくらしにまなびながら、過去と未来をつなぐあらたな道を模索している。国士舘大学21世紀アジア学部非常勤講師。日本エコツーリズムセンター世話人。環境教育、地域づくり、児童健全育成、子育て支援に関わるワークショップ、講演など多数。
著書:「ハコモノは変えられる!子どものための公共施設改革」(学文社)、「地域再生のまちづくり・むらづくり」(ぎょうせい)、他。
 
<今回のインタビューのポイント>(川北)
全国各地で「自然学校」を運営する人は、さまざまな経験やスキルを持っている。自然学校の運営には、さまざまなスキルや経験が求められるから、当然ともいえる。その中でも特徴的とも言える吉成さんは、そのご経験やスキルゆえに、立ち上げ期の収入の生み出し方や助成金の使い方が実に巧みだ。プログラムだけでなく、事業体としての自然学校の経営モデルとして、ぜひ参考にしてほしい。
 
「暮らし」に根差した自然エネルギーの学びあいのできる場をつくりたい
私はもともと東京の人間で、子どもの頃は学校が嫌いでした。学校というものは、私にとっては、本当の学びを深めるところにはならなかった。自分にとって本当の学びを深める場は、社会そのもの、仕事を通して得た場でした。学校が本当の学びを得られる場所でないのなら、そんな学校が日本にないのなら、学校じゃない「がっこう」を自分でつくろう。そう考えて、子どもと環境問題、子どもの環境そのものに関わることを自分の後半生の仕事にしようと決意したのです。そして18年前、家族を連れて岩手に移住しました。
昔から宮沢賢治が好きだったこともあって、学校をつくるなら宮沢賢治の故郷で、そして何もないカオスのような、小さなコスモスのような地域の中で学校をやりたいと思っていました。その根幹にあるのは、エコビレッジをつくりたい、ということ。学校というのは、代々続く地域の人々の思い出の場であり、コミュニティの核となるものです。地域の中で廃校となった場所を使いながら、がっこうを通して地域のあり方を変えていく、ゆさぶっていく。そこから循環型のコミュニティを自分たちでつくっていきたい、と考えたのです。
最初の構想は一枚の絵でした。自然エネルギーを使って、畑もやり、鶏も飼う。水道や電気のインフラだって自分たちで賄う。何にもないところから全部自分たちでつくっていこう、と。たくさんのボランティアや地域の方の手を借りながら、今この絵に描いたことのほとんどが実現できています。
morikaze
私たちの「森と風のがっこう」がある岩手県岩手郡葛巻町江刈は、標高700メートル、10世帯の小さな集落です。盛岡から70キロ、冬にはマイナス20度まで下がる、岩手県の中でも僻地と呼ばれたところです。普通にマーケティングとして考えたら、そんなところで学校をつくっても人が来るはずがない。自分はマーケティングのコンサルタントでしたが、一度マーケティング分析をアタマからすべて捨てることにしました。それでもあまりある魅力がそこにあるからです。
この地を取り囲んでいるのは山であり、森。水があり、動物がいて、代々受け継がれてきた田畑や学校がある。私がつくりたかったのは、自然学校ではなく、エネルギーと暮らしの学校。子どもに体験をさせるだけでなく、そこに「暮らし」をつくりたかった。それも循環型の。
今までにないコンセプトだから、自分たちでやるしかありません。汲み取り式のトイレからし尿だけを分け、メタンガスを発生させてそのガスで火を炊く。それが炊事に使われ、そのごはんを食べる。そうやってひとつひとつ、暮らしの中で循環しているのです。なんだかおもしろいことをしているぞ、と人が近寄ってくるのを待って、一度来た学生やボランティアが他の子を連れてくる。そうやって3年間で70人あまりのボランティアがやってきました。時には生徒が先生に、先生が生徒になって、ローカルなテクノロジーを集めながらつくっていったのです。
 
町内の子ども限定の事業で信用をつくる
そこに至るまでの最初の立ち上げ期の財政を支えてくれたのは、トヨタ自動車からいただいた「トヨタ環境活動助成プログラム」の助成金でした。当時まだ法人格もない中、1年間ですが600万円の助成金を得て、僕と学生スタッフの2人体制で活動をはじめました。地域の中ではまだどこの誰かも知られていない状態でしたが、8人位の規模の“調査団”をつくって役場にいき、「『森と風のがっこう』で、これからこれだけのことをやっていきます」と公言しました。1年分の計画をつくって、そこに書いた事業を1年間、とにかく意地でも全部やっていきました。
「自給自足的な空間の中で、子どもも大人も実践的な体験を通して学びを深めていく場」。そういうコンセプトの場が他になかったからでしょう、地元紙の岩手日報に大きく取り上げられたこともあって、1泊2日のキックオフイベントには100人以上が集まりました。
当時はハード面を整備するお金がありませんでしたから、なんでも自前でつくっていくしかありません。電気が欲しいから、風力発電をつくろう。でも風力発電用のポールは高くて買えないから、古くなって使わなくなった廃電柱をお隣さんからもらってこよう。そんな風にして地域の人や面白がってくれる人の力を借りてハード面の整備をすすめました。
2年目以降は、自分は盛岡でコンサルタントの仕事もして糧を得ながら、学生スタッフとボランティアグループで事業を続けていきました。その頃、週休二日制が導入されて、その休みを使って葛巻町内の子どもたちと森と風のがっこうで何かできないか、町の教育委員会に提案をしました。「ぜひやろう」ということになって、教育委員会と一緒に月に1回は町の子ども限定のプログラムを実施することになりました。中身の活動は僕たちが考え、教育委員会は送迎の町バスの運行と広報をやってくれました。町で配布するカレンダーにこの事業の予定が盛り込まれ、そのカレンダーは町民すべての家に貼り出されます。「森と風のがっこうは子どもたちのための事業をやっているところなのね」ということが町民みんなに認知される。この事業を通じて教育委員会からお金は一切もらっていませんが、僕たちにとっては町民に名前を知ってもらい、信頼をつかむためのお金に換えられない価値を持つ事業です。この事業も、もう町の定番となって、13年続いています。
そして3年目からは3年間、トヨタ財団の助成金をもらうことができて、場づくりやネットワークづくりに資源をあてることができました。そうやって集まってくれた人、地域の人も専門家も、若い人も混じってエコスクールの構想を練り、バイオガスプラント発電やコンポストトイレ、陶管浄化装置づくりなど、自然エネルギーを活用する設備を、この時期にワークショップを積み重ねながら作っていったのです。
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根を持つことと翼をもつこと
地域で事業をするということは、地域の人との関係をつくって根を張りながら、自分たちの夢を描く、そういう「根を持つ」ことと「翼を持つ」ことを同時にする、そのバランスが大切だと思っています。そのどちらかだけではうまくいかない。
僕はその土地の生活の原型の中に学びがあり、ファンタジーがあると思っています。でもそういうことは、なかなか言葉では伝わらない。「勉強会」なんてやっても地域の人はだれも来てくれません。でも「電柱を建てたいから手を貸してほしい」というような、体を動かす仕事のお願いだったら来てくれる。そういう町の電気やさんとか工作の得意なおじいさんたちから学ぶことは本当に多いわけです。そうやって少しずつ関わりをつくっていく中で、「森と風のがっこうでやっていることは昔自分たちがやっていたことと同じなんだね」と言ってもらったことがあります。聞けば、かつて地区の人たちも自分たちで掘った水路に発電機をつくって小水力で電気をつくっていたのだそうです。ああ、過去と未来がつながったな、と思いました。
そんな地域の人たち、10世帯しかないこの集落の人たちが、ふらっと寄ってお茶を飲めるところをつくりたい、さらに収益事業もつくりたいと思って、10年前にコミュニティカフェをつくりました。環境共生建築として、取り壊される予定だった教員住宅を使って、地元にある素材・廃品を使い、土壁・草屋根の建物をつくりました。それがメディアに取り上げられてたくさんの人が建物を見に来てくれましたが、なかなか中には入ろうとしない。だから、中に入る理由としてカフェにしてしまえばいいんだ、と思ったのです。
そこで、がっこうのすぐ隣、道路から2歩の場所にカフェをつくりました。でも、あえて中にトイレをつくりませんでした。トイレに行くには、校舎の中を通らないといけない。がっこうの廊下には、ここで実践していること、ワークショップなどの展示をしてありますから、トイレに行くたびにそれらの展示を目にすることになります。それで興味を持ってくれた人に、カフェのスタッフが話しかけて、次はワークショップに参加してもらったり、会員を募ったりしているのです。
このカフェがメディアとなって、私たちの活動の対象は大きく広がりました。それまで、がっこうに来てくれる人の7,8割は環境問題に関心がある学生や教育関係者でしたが、今では7,8割が親子になり、人数も大きく増えました。ペレットストーブやピザやパンを焼く石釜をつくったり、ブルーベリーなどを植えた食べられる校庭をつくって、来た人は誰でも食べていいようにするなど、いろんなしかけを考えました。それぞれが興味を持ったものを入口にして、ここではじめて環境問題に気づく親子もたくさんいます。このカフェを通じて私たちのターゲットが広くなり、そのニーズに合わせるかたちで活動も広がっていきました。
そのほかにも、エコキャビンプロジェクトとして、宿泊施設や、宿泊型の研修プログラムなどもやっていますし、「森のようちえん」を起業するひとのためのテキストづくりなどもしています。たくさんの事業をやっているのは、どれか一つだけで大きな収益を得るような構造にしていないから。ちょっとずついろんなことで稼いでいます。それは、ここで生活していることの強みです。ここで暮らしているから、住まいも食も、全てのテーマを扱います。子どもに関する事業だけでやっているわけではないのです。
「暮らし」を原型にしながら、その中で楽しみ、学び、夢を描く。そこに子どもも大人もいて、子どもたちの成長を学校でなく地域で受け止めていくこと。それが僕が実現したかったエコビレッジの姿であり、「学校じゃないがっこう」だと思っています。
(文責:星野)

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