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【レポート】『社会事業家100人インタビュー』(株)ハットウ・オンパク運営室長 野上泰生氏

2012.09.10

「先輩社会事業家のビジネスモデルを学ぶ」

4『社会事業家100人インタビュー』

 

 

ゲスト:野上 泰生さん
(特)ハットウ・オンパク 運営室長      野上本館社長

【プロフィール】

大学卒業後、東京にて商社勤務を経て1994年に実家の旅館「野上本館」を継ぐ。1997年末に別府八湯竹瓦倶楽部を立ち上げてまちづくり活動をスタート。以降、ゆかたdeピンポンや路地裏文化祭など数多くのB級イベントを立ち上げオンパクに至る。

現在、旅館を経営しながらNPOハットウ・オンパクにてオンパクの運営と一般社団法人ジャパン・オンパクにてオンパクの全国展開事業を実施している。

2011年に行われた別府市議会議員選挙で当選(1期目)。

 

<今回のインタビューのポイント>

・小さなプログラムをまとめて地域の魅力を見せる
地元の人が行う、その地域ならではのプログラムでお客さんに「地域」を体験してもらう。それによって地元の人たち自身が、地域の良さを再発見。

 ・事業モデルを売る
「他の地域でもできる」を事業のモデル化(パッケージ化)で示し、ノウハウ移転を進める。

・公共財として独立させる
別府のための事業から、公共のプラットフォームへ。オンパク手法を普及するための組織として「ジャパン・オンパク」を発足。

 

地域資源の発掘・発信を事業モデル化する

疲弊していた別府の地域をなんとか盛り上げようという気持ちで、2001年に立ち上がったのが、今のオンパクの事業です。

私自身はそれ以前から、まちあるきの活動として「路地裏散歩」を開催していました。ボランティアとしての関わりでしたが、地域が賑わえば本業の旅館業も賑わうと考え、ボランティアとしてまちあるきを通じて学びながら、地域を元気にする方法について考えていました。

01年から3年間は、インターネット博覧会(インパク)*1の予算を使えるようになった事や地元自治体の資金提供もあり、「温泉泊覧会(オンパク)」と名付けて、まちあるきだけでなく、当たり前すぎて観光資源として評価されていなかった食の文化(=鉄輪温泉の地獄蒸しや路地裏のB級グルメ等)や地元で様々な活動をしている「人」を地域の資源として取り上げて紹介していく体験交流型の地域見本市の取組を開始しました。オンパクでは、地域の人々が主体となって取り組んでいるいろいろな取組みを束ねて発信することで支援環境を整備する事業として地域おこしをするようになりました。その3年間にいろんなプロジェクトをやったことで地域が賑わいはじめ、周りからも「やめて欲しくない」という声が出はじめました。そこで、3年目を過ぎて、自治体から提供される予算が切れてしまった後も、なんとか持続させるために、よその地域にこのオンパクの事業モデルを「売って」稼ぐ方法を考えるようになりました。

*1インターネット博覧会:当時の経済企画庁長官・堺屋太一氏の発案のもとに、政府の「ミレニアム記念事業」のひとつとして、2000年12月31日から2001年12月31日まで行われた、博覧会を模したインターネット上の行事。現実のイベントも各地で連動して開催された。

オンパクは、地域に住む人自らが、自分の住むまちの良さや個性を再発見していく事業です。数週間程度の短い期間中に、地域の商店主や主婦など、本当に普通の人たちが、自分の得意なことで、定員15名程度の小さなイベントを開催します。たとえば、地元の方の解説付きで魚市場の見学をしながら好きな魚を選んで買って、それをお寿司やさんで昼食にしてもらうツアーとか、フラダンスの得意な人が温泉でフラダンスを教えるとか、別府にも数人しか残っていらっしゃらない芸者さんの踊りを楽しみながら食事するとか、普段は出されない特別メニューや、なかなか一緒に組んだことがない人たちが一緒になって企画を考えて、オンパク期間中にトライアルで実施してみたり、とにかくお客さんに「地域」を体験してもらいながら、その地域のよさを発信していく。ただそれだけです。

一番大事なのは、地域に住む人たちが何かをし始め、それによって地元の人たち自身が、自分たちの地域の良さを見つけることです。そのためには、何かを始めるハードルをいかに低くするかが大事。「どんなことでもいいから、いろんなことをやってみようよ」と地域のパートナー(注:オンパクを構成する個々の小さなプログラムを実施してくださる方々)に働きかけて、そのプログラム化や、魅力的な広報の表現づくりはスタッフが手伝います。一つ一つは小さくてゆるくても、いろんな人がいろんなことを短期間に集中してやることで、全体として魅力的になります。すると、地域の人たちに出番と居場所ができて、地域が元気になりますね。

オンパクは、温泉地・別府だからできたと勘違いされる事が多いのですが、同じような変化は、他の地域でも必ず起きると考えました。オンパクの事業モデルは、他の地域でも絶対に面白いに違いないと思い、2004年度から経済産業省の補助金を受けて、事業のモデル化(パッケージ化)とノウハウ移転を本格的に進めていくことになりました。それが、オンパク事業の第2ステージです。

 

全国の公共財へ

地元自治体の補助金を受けながら、別府への観光客を増やす目的で実施していた03年までに対して、04年からは経済産業省からサービス産業のモデル化のための事業(サービス産業創出支援モデル事業)を受けて、他の地域にノウハウを広げるためのビジネスモデルづくりに注力しました。これまでの成果をどう評価し、お金のやりとりをどこで発生させ、事業としてどう自立させられるか。04年に調査、05年に基盤整備を進め、06年には函館でオンパク手法を使った事業が成功しました。この3年間で、ノウハウ移転するためのインフラづくりができました。

さらに07年から09年の3年間は、同じく経済産業省の「地域新事業活性化中間支援機能強化事業」に採択されて、オンパク手法を使って地域を活性化する人材を育成する事業(具体的には合宿形式での研修プログラムと、現地に出向いてのハンズオン支援でモデル移転を行うこと)を展開することができました。それによって、オンパクの手法の確立と、それを実施するだけでなく、他の地域を支援する人材を育成する仕組みができあがりました。

このように、オンパク手法の地域展開は、国(経済産業省)のお金を使って実施してきました。だからこのモデルは公共財であり、もはや別府のための事業ではなくなりました。そこで2010年に、オンパク手法を普及するための組織として、各地でオンパク手法を取り入れた取り組みを始めてくれている人たちと一緒に「ジャパン・オンパク」を発足し、2011年に社団法人化しました。現在16の地域がジャパン・オンパクに加盟してくださっています。

(公財)日本財団の支援も受けて、研修プログラムのブラッシュアップも進め、今では私たちが直接支援した一次支援先が、次の担い手を育てる、いわば子が孫を育てるしくみができあがりました。昨年度からは、東日本大震災で被災された東北地域にオンパク手法を広げる活動を我々の一次支援先であった岡山県総社市で活動する(特)吉備野工房ちみちが中心になって行ってくださっています。

オンパクはもちろん手段であって、ゴールじゃありません。オンパクを開催することが目的なのではなく、その期間を通じて、地域の価値観を転換したり、地域の資源に気づいて地元の人を元気にしていくことが何よりも重要です。地域でチャレンジする人が増えると、地域内で連携が進み、地域の魅力が発信される。チャレンジを促す苗床として、別府からはじまったオンパク手法が全国の公共財となって、地域の課題を解決するプラットフォームとして広がっていってほしいと思います。

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