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【レポート】『社会事業家100人インタビュー』 株式会社アットマーク・ラーニング 代表取締役社長 日野公三氏
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「先輩社会事業家のビジネスモデルを学ぶ」
第23回社会事業家100人インタビュー
(株)アットマーク・ラーニング 代表取締役社長 日野公三さん
2013年12月19日(木)19時~21時
於:(特)ETIC.ソーシャルベンチャー・ハビタット
<プロフィール>
1982年岡山大学法文学部経済学科卒業後、株式会社リクルートに入社。88年に企画会社を設立し独立。94年に神奈川県の第3セクター「ケイネット」(パソコン通信会社) 取締役就任。99年にアットマーク・ラーニング設立、代表取締役社長就任。2000年に国内初のインターネットを使った通信制高校「アットマーク・インターハイスクール」(現:東京インターハイスクール)を開校するとともに、(特)日本ホームスクール支援協会設立。04年石川県白山市に「白山市美川特区アットマーク国際高等学校」、09年福岡県田川郡川崎町に「明蓬館高等学校」を開校。13年には東京都品川区に「明蓬館SNEC(スペシャルニーズ・エデュケーションセンター)」を開設した。
【主な役職】
株式会社アットマーク・ラーニング 代表取締役社長、美川特区アットマーク国際高等学校 理事長、東京インターハイスクール 理事長、明蓬館高等学校 理事長兼校長、(特)日本ホームスクール支援協会 理事長、一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク 理事
<今回のインタビューのポイント>(川北)
制度を利用するだけではなく、今ないものをつくりだすのがNPOや社会事業家。ニーズに応えるために、オペレートではなくプロデュースして初めて、存在意義があると言える。新しいものをつくるチャレンジャーであり続ける姿勢としくみづくりを、日野さんから学んでほしい。
「あなたの代わりに私がやります」
神奈川県の第三セクターであるパソコン通信会社のケイネットの経営にかかわった際、「不登校生サロン」BBSで展開されている高度な議論に、驚くとともに大きな可能性を感じ、1997年、不登校児のためのインターネット・ハイスクール「風」を開校しました。ケイネットの事業縮小のため、2年で営業権を譲渡せざるを得ませんでしたが、約180人の生徒が学び、ニーズの高さを実感、インターネット・ハイスクールでの公益性と収益性は両立できると確信しました。
学校法人をつくり、私学を立ち上げることも考えましたが、それだと5年~10年平気でかかってしまいます。すでに気にかかる中学生、高校生やそのご家族がいましたので、悠長に時間をかけることはできませんでした。そこで、株式会社立の新しい学校の立ち上げを決意し、ホームスクールやインターネットスクールの先進地であるアメリカへ何度も視察に行って提携校を探すとともに、設立資金を集め始めました。リクルート時代にお付き合いがあった日本IBMや日本マイクロソフトのOBから出資を募ったのですが、その際のくどき文句が「あなたの代わりに私がやります」です。
日本では、(戦後は状況が変わり、実践が減ってきましたが)キリスト教布教団体や功なり名を遂げた経営者が私学をつくってきた歴史があります。(不登校や発達障害など)スペシャル・ニーズを持つ子どもは増加の一方で、それぞれの事情や特徴に応じたきめ細やかな対応が必要ですが、メディア・テクノロジーをフルに使えば、経営的に成り立つことを訴えたわけです。
ICTと地域資源の融合で学校をつくる
まず2000年に、インターネットを活用した通信制の高校「アットマーク・インターハイスクール(現・東京インターハイスクール)」を立ち上げました。ワシントン州のホームスクール支援校、アルジャー・インディペンデンス・ハイスクールと提携しており、アメリカの高校卒業資格を得ることができます。教科書やカリキュラムは生徒が主体的に決め、スクーリングの義務はありませんが、学習コーチングのサポートを受けられます。近年は、主に帰国子女等の受け皿となっており、2013年12月現在、約80名の生徒が在籍しています。
2004年には、全国初の市町村認可による特区第一号高校「美川特区アットマーク国際高等学校」を石川県白山市に設立。2013年12月現在、約180名の生徒が在籍し、卒業時の進学率は通信制高校第1位(75%)、難関大学合格力は907位(通信制高校第1位)となっています。
2009年には、構造改革特区制度のもと、福岡県川崎町に明蓬館高等学校を設立しました。不登校や発達障害の生徒を積極的に受け入れており、普段は自宅でインターネットを利用して授業を受け、品川・御殿山キャンパスでは随時補習が行われ、相談もできます。また、川崎町本校で年に10回程度実施される、3泊4日のスクーリングでは、全国から来たさまざまな生徒や地元の人たちと一緒に、普段の生活とはかけ離れた体験ができるため、心身とも大きく変化する子がいます。2013年12月現在、390名の生徒が在籍しています。
特区制度と廃校利用で、生徒も地域も活性化する
川崎町の校舎は、06年4月に廃校となった小学校を町がリノベーションしたもので、地域との交流拠点になっています。実は、本校設立が決まった当初、「暴走族が来るのではないか」等の懸念や誤解が拡がり、地元で強い反対運動がおこりました。粘り強く対話の機会を重ねていくうち、青年団団長から「ここは、いろんな人を受け入れる抱擁力がある地域だと思う。このままでは限界集落になってしまうから、外の人に来てもらえるのはありがたいのではないか」という踏み込んだ発言がでるなど、徐々に理解を得てきた経緯があります。
地域の人と向き合う中で、若手や高齢者は受け入れてくれやすいと感じました。ただ、初対面で反対する人は、それだけエネルギーがあるということなので、賛成派に取り込めば、強力な推進力を発揮してくれるものです。反対する人には、学校の運営や行事等にいろいろキャスティングし、(ボランティアではなく多少報酬を払って)学校運営に関与していただきました。また、4か月に1回開催される地域支援協議会では、情報公開と対話を続けています。
その結果、明蓬館高等学校は、地域活性化の機会づくりの場として、役場や住民から厚い信頼と期待を受けるようになりました。たとえば、地域のお母さんたちと生徒が一緒に、校舎の調理スペースを使ってつくった地元の料理がとても美味しいと評判になったので、自信を得た町の人たちが、レシピ開発・農産加工品の製造を手掛けるようにもなりました。
日本には現在4000もの廃校があって、これからも増えていきます。このようなかたちでの活用は、今後も大いにあり得ると考えています。
生徒と保護者のニーズを直視する
スペシャル・ニーズを持つ子どもは増加の一方をたどっています。発達障害が原因で不登校となり、ひきこもりからうつへと進んでしまうケースも多く、早い段階での的確な対応が必要なことは言うまでもありません。
そこで13年4月、品川区にSNEC(スペシャル・ニーズ・エデュケーション・センター)を開設しました。発達障害(LD:学習障害、ADHD:注意欠如多動性障害、ASD:自閉症スペクトラム)の専門家が、生徒・保護者面談の結果を基に個別支援・指導計画を作成し、学習面だけでなく、日常生活スキル、人とのかかわり方、進路・就労について個別指導・サポートしていきます。生徒自身の希望や得意な面を伸ばすことを第一に考えますが、保護者の多くは、SNECにたどり着くまでに相当疲弊しており、彼らに寄り添うこともまた大切です。
学校経営者の仕事はチームデザイン
本校の教職員には、以下の3つを求めています。
①問題意識を持って、ライフワークとして取り組む意思のある人
②通信制の学校が自分にふさわしい(これがわが道)と思える人
③経営・継続を考えられる人(教職員には、二宮尊徳の言「道徳なき経営は犯罪である。
経営なき道徳は寝言である。」を繰り返し伝えています。)専門性の高さはもちろん大事ですが、結局は「生徒と保護者の評価」なのです。また、何日もかけてこだわって教材をつくりこんだりする先生もいるので、仕事に納期を設け、2時間かかったのを20分でできないかなど、時間の使い方には常に工夫を求めています。
中退率を下げるには、担任制が有効です。10代は承認されたい欲求が強いので、ソリューションを提供しなくても、決まった相談相手がいるだけでいいことも多いものです(逆に、教えられ過ぎると選択肢がなくなり、人のせいにしがちになります)。さらに、退学しそうな生徒の状況(家庭環境が複雑、勤労社会人であるなど)は早めにつかみ、一人の先生だけに任せず、教職員の会議で共有・協議するようにしています。
また、教職員には外部の情報や専門家に触れてもらう機会をつくるなど、刺激を与え続けることが必要です。教員と職員、常勤と非常勤、内部と外部の専門家など、リソースを組み合わせ、各々の専門性や特徴を生かしながら高めあうことで、新しいものが生まれていきます。
必要とされる教育を生みだす
アメリカでは、ホームスクールやチャータースクール、オンラインスクールなど、教育にいろいろな形態があるため、「不登校」という概念もないのですが、これらは、市民が自分たちに必要だと感じて、学校をつくる権利を行使した結果、各地で生み出されたものなのです。
日本では、画一的な教育を受けなければという強迫観念がまだ強いですが、当社としては外部組織との連携も積極的に進め、今後もオルタナティブな教育機会を拡げていきます。