お知らせ
【レポート】『社会事業家100人インタビュー』(特)わははネット 理事長 中橋恵美子氏
「先輩社会事業家のビジネスモデルを学ぶ」
第6回『社会事業家100人インタビュー』
【プロフィール】
1989年 四国学院大学短期大学卒業
1989~1994年 大成建設株式会社四国支店
1994年 結婚 長女出産
1998年 子育てサークル「輪母(わはは)ネット」設立
2002年「わははネット」に改称し、特定非営利活動法人の認証取得
子育て情報誌発行やメール配信サービスなど、地域密着の子育て支援ビジネスや、子育てひろばの運営など子育て・男女共同参画・まちづくり等様々なテーマで活動。
子育てマンションを企画するとともに、子育てタクシーを発案・運営し、子育てタクシー協会(現在:社団法人化)を立ち上げて全国展開するなど、企業との連携による事業事例も多い。
プライベートでは夫と3人の子どもたちの母。仕事もプライベートもモットーは「愛」。
いい夫婦の日には、夫婦DE運動会なども地元百貨店と企画するなど趣味と仕事をミックス。どんなことも笑顔で楽しむことが基本。
「タウンページ育児」の経験から、地域密着の子育て支援情報を自費出版
情報発信で子育て環境を変える取り組みの原点は、自分自身が出産・育児にまつわる情報が少なくてとても困ったことからです。
私は茨城県つくば市で初めての子育てをして、その後は実家のある香川県に移りましたが、地域の中のどこに産婦人科があり、子どもが熱を出したときにどこに行けばいいのかわからない。慣れない土地での子育てで頼ったのはタウンページで、「タウンページ育児」と自分で呼んでいました。
「同じような悩みを抱えているお母さんたちがきっといるに違いない、子育てに関する地域に密着した情報発信が必要だ」と思い、「母の輪」で「わははネット」というサークルをつくって、仲間と情報誌を発行しようと思いつきました。
行政の補助金を使うと、「情報掲載は公平に」と言われます。「どこの産院がいい」とか、「ここにはこんなサービスがある」とか、特筆して載せることができません。「そんなんじゃ意味がない、タウンページ育児に逆戻りだ!」と思って、仲間と2人でそれぞれ100万円ずつを投資して、行政に頼らず自費出版しました。だから、絶対に売らなきゃいけなかったんです。
地元の大手の書店の方には「こんなの売れないよ」と言われながらも、「こういう情報を必要としている人は絶対にいる、とにかく売るんだ!」と誓って、仲間と口コミを広げたり、本屋さんを回ったりして、とにかく売って歩きました。
すると、反響は想像以上でした。自宅のFAXは記録紙が足りなくなるぐらい、郵便ポストは読者からの手紙であふれました。声を届けたいと思ってくれるお母さんたちがこんなにもいるのだと実感し、これは1回では終われない、と痛感しました。おかげさまで投資もすぐに回収することができました。
創刊から3年間は年1回発行で定価650円でしたが、4年目には季刊誌に、同時に広告を載せてフリーペーパーにできるようになりました。今では情報誌は、当団体の主な収入源となり、隔月で年6回発行しています。
地元の経営者への「出世払い」でICTシステムを構築
情報誌をフリーペーパー化すると、今度は、おうちの中で引きこもってしまっているお母さんにも情報を届けられないかと考えるようになりました。
ちょうどその頃、経済産業省のICT利活用サービス創出支援事業の補助金制度ができて、携帯電話のメール機能(絵文字機能も!)を使って、住んでいる地域と子どもの月齢ごとに細かくターゲティングされた情報をお母さん方に届けるサービスの企画を書いて応募しました。しかし、「ビジネス性がない」と二次選考で落選。どうしてもあきらめられなかったところに、地元のICT関連企業の社長から、「出世払いでいいから」と申し出があって、システムを提供していただけることになったんです。
その時、その社長に「君たちはいいことをやっているけど、悪いことをしている。お金は回ってなんぼなのに、お金が君たちのところで止まってしまっている。だから、君たちのやっていることはいいことじゃない」と言われました。そして「基盤がないからそういうことになってしまうのだろうから、基盤をつくってあげよう」と、こちらからお願いしたわけでもないのに「わははネットサポーターズクラブ」を設立して、地域の経営者の会などで自ら会員を募って、毎年1万円の会費を集めてくださるようになりました。その社長には無事に出世払いをしましたが、安定した収入の重要さ、基盤づくりの大切さを教えられました。
お母さん同士のリアルな情報交換の場をリアル・マーケティングの場へ
情報発信の事業を続けていくうちに、双方向のやりとりをしたいと考えるようになりました。情報誌の発行だけではどうしても一方通行の情報だけしか提供できず、まして悪い情報は発信できない。でもお母さん方が求めてくるのは、「あの幼稚園が○○という噂は本当なの?」といった、我々には答えにくいものも多い。
ならばお母さん同士のリアルな情報交換の場、子どもたちとお母さんたちが集える場があればと考えて、子育て広場を開設することにしました。この子育て広場も、行政からの補助をもらう前に、自分たちで商店街の空き店舗を借りて運営を始めました。
内装工事を頼むお金はなかったので、商店街の方々へのあいさつに回りながら、「○○できる人募集」とか、「壁紙が余っていたらください」といったお願いを貼って、困り事や足りないものを相談して、たくさんの人に関わってもらいながら開設準備を進めていきました。
そうして少しずつ理解を広げていき、商店街の方にも「毎月1000円で足ながおじさんになってください」と支援をお願いするようになりました。そのお金をもらうのも、運営している事務局スタッフではなく、子どもを連れてくるお母さん方に役割分担をして、運営者と利用者という関係ではなく、対等な関係で一緒に広場をつくっていくことにこだわりました。
ここで得たノウハウは、その後もとても役に立ちました。この広場ではお母さんたちが集うので、リアルな本音が聞けます。携帯電話での情報サービスも行っているので、会員のデータベースもあります。「わははさんなら」という前向きな協力姿勢の会員が多いのでレスポンスも高く、企業の方々には、ネットを介したバーチャルではなく、直接対面できるリアル・マーケティングの場としてご活用いただいて、アンケートをとったり、その内容をより深く聞いてみる場としてこの広場を活用してもらい、そのコーディネートも私たちの仕事のひとつになっていきました。
こうして企業からご依頼をいただいて、イベント型の子育て広場の開設に協力したり、地元のマンション開発業者さんのご依頼で子育てにやさしいマンションづくりに企画の段階から関わったりするようになりました。
企業の方は往々にして、手土産のケーキだけで私を2時間くらい拘束しようとするので、「ケーキじゃだめ。ケーキならここまでしかしゃべりません」と言って笑ってみせて、その次からはちゃんと仕事として来てもらうように、料金表を提示したり、見積書を出したりして「私たちにとっては、これが仕事なんです」ということを意識して伝えるようにしてきました。
子育て中のお母さんたちに受益者負担を求めるのはとても難しいので、子育て広場の運営やお母さん方への情報発信の中から得たノウハウを元に、企業さんから対価を得てサービスを提供するモデルで、事業のメインの柱を維持できるようになっていきました。
これらの事業からの発展系として、子育てタクシーがあります。
破水して病院に向かおうとした子連れのお母さんが、タクシーの運転手さんにとても冷たい対応をとられたという、広場で聞いたお話から、企画を思いつきました。企画書を持ってタクシー会社を回ったものの、ほとんどの会社では相手にしてもらえず、たまたま情報誌の読者だったタクシー会社の女性社長と出会って、そこの会社で夏休みの1か月だけ試験的に実施することになりました。
運転手さんに2日間の研修を行って、子育て中のお母さんがしてほしいこと・してほしくないことを説明しました。運転手さんたちの反応はとても悪かったのですが、実際にサービスを開始してみたら、お母さん方からとても感謝されたんです。お母さんや子どもたちに直接感謝されることで、運転手さんの仕事に対するモチベーションがすごく変わって、子どもだけでなく、高齢者などに対しても、サービスの質全般がとても向上しました。
結果として、その会社のブランド力も上がりました。それを聞きつけた他のタクシー会社が勝手に子育てタクシーを名乗るようになり、ちゃんとまじめにやっている会社を守るために、研修と認定を制度化して、全国子育て支援タクシー協会を設立して一般社団法人化して、独立したしくみにすることにしました。今では北海道から沖縄まで約1400人のドライバーさんが、研修を受けて子育てタクシーを展開しています。
子育てという当事者性を専門性にして仕事をつくる
こうしたぶれないメインの活動の柱があって、その上で、行政からの単発の依頼にも対応しています。
子育て支援をビジネスにすることはとても難しく、私たちが立ち上げた当初は、全国に同じような情報誌を発行する団体も子育てサークルもたくさんありましたが、どんどんなくなったり入れ替わったりしてきました。多くの団体では、子どもの成長とともに、運営するスタッフの関心も移りかわり、ノウハウが伝承されていかないのです。せっかくやってきた事業を継続させるためには、仲間をボランティアで引きとどめておくことは難しい。ある段階からは、「これを仕事にしていきましょう」と言わないと。そこでちゃんと料金表にしようと意識するようになり、仲間にも「子育ての当事者であることが、私たちの専門性であり、その専門性を活かして仕事にしていこう」ということを、意識して伝えていきました。
子育て支援という専門性を仕事にすること、そして、地域に根付いて、その関係の中から頼ったり頼られたりしながら事業をやっているというのが、私たちのビジネスモデルなのだと思います。