リレーコラム「ポスト311の日本とソーシャルビジネス」
2013.08.26 UPDATE
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第2回:熊野英介 副代表理事
(アミタホールディングス株式会社 代表取締役会長兼社長) -
個人の幸せを語ることは、長くヨーロッパでもアジアでも無作法と
され「品格」を問われた。
しかし新大陸と言われた新興国家のアメリカ合衆国では、
個人主義と自由主義と資本主義を幸福の基準としてその価値観を
謳歌し、フォードシステムと呼ばれる大量生産モデルを
20世紀初頭に作り出した。
所有と消費を幸せのバロメーターにし、その数値化をGDPと呼び、
100年余りその価値観を世界に輸出してきたのだ。何故長く、世界の価値観は個人の幸せよりも共同体や全生命体の
幸せを重要視して来たのか?そして、何故その価値観が
たった100年余りで変質して、個人の幸せを重要視し始めたのか?
その原因は何であろうか?
我々は、素晴らしい友人と出会うのと恰好いい自動車を所有
するのと、どちらが幸福なのだろうか?素晴らしい故郷で
生活するのと便利で豪華なマンションや一戸建てに住むのと、
どちらが幸福なのだろうか?
その答えを、3.11は我々に問いかけたと思う。人々は、人の情けを知り、形ある財産は失ったが、感じるしかない
人の思いやりに感謝し感動した。生きるために空気や水が必要だが、
人間性を感じるためには、人は人を必要としているということを
改めて知った。
しかし日が経つにつれ、行政は合意形成を最重要視し、
人間の尊厳をいち早く守るべき現場での行動はどんどん遅れ、
2ヶ月経っても風呂に入れない状況が続くところが生まれた。
民主主義は劣化した。
また、現地では名もなきボランティアが数十万人参加し、
泥カキなどの手仕事をしながら復旧に務めたが、大企業は
リスク把握に余念がなく、行動が遅かった。資本主義は老化した。つまり、
人間の生命と財産を守るという尊厳を形にしてきた近代は、
その発達しすぎたシステムのため、逆に人間はその道具になって
しまった。個人の幸せよりも共同体や全生命体の幸せを重要視して
きた価値観が、たった100年余りで変質し、個人の幸せを
重要視し始めた原因は、日々の行動を習慣化した社会システム
だったのだ。3.11の時、
民主主義と資本主義が作り上げた近代システムが停止し、
人々は尊厳を維持出来なくなった。本来は、人間の尊厳を
守るための道具として社会システムを使いこなせれば、自ら当事者
意識を持ち尊厳の確保が出来たと思うが、近代システムの道具と
なった現代人は、オロオロするばかりであった。この現実から学び、「ポスト3.11」は自らの尊厳を守る
社会システムの再構築として、官業主体の税活動で構築する
社会課題解決方法から脱却し、民業主体の社会的動機性をもった
購買活動で社会課題解決をするべきである。ソーシャルビジネスを
増やすことが、未来のデザインになり、近代システム奴隷からの
解放になるということを私は信じてやまない。