「先輩社会事業家のビジネスモデルを学ぶ」
第11回『社会事業家100人インタビュー』
2013年1月10日(木)19時~21時 於:(特)ETIC.ソーシャルベンチャー・ハビタット
ゲスト:戸枝陽基 さん
特定非営利活動法人ふわり 理事長
社会福祉法人むそう 理事長
<プロフィール>
1968群馬県太田市生まれ。日本福祉大学卒業後、障がい者施設で7年間勤務。重症心身障がいや自閉症、精神障がいの方などと関わる。退職後、1年間の準備期間を経て、1999年「生活支援サービスふわり」運営開始。翌2000年に(特)ふわり設立。2003年(社福)むそう認可・設立。
<今回のインタビューのポイント>(川北)
最近、社会起業家をめざす人たちの中に、困難にぶち当たると「ニーズがない」「方法がない」と、事業展開を簡単にあきらめる人が多い。また、事業を立ち上げた後、「自分がやりたいこと」に都合のいいことを言ってくれる人だけを周りに集め、厳しい助言をする人を遠ざけがちではないだろうか。
戸枝さんは、重い障がいを持つ当事者とその家族の代理人に徹し、外部の声を謙虚に聞きつつ、地域に開かれ、地域とともに支える福祉サービスを展開し続けている。起業プロセスに酔わず、少しでも速く、最適なかたちでの支援の実現に注力する考え方やその具体的な手法は、福祉分野以外の活動をする人にも、ぜひ参考にしてほしい。
「障がい者が地域で自分らしく暮らすしくみ」をつくりだす
日本には、生まれつきの重い障がいに加え、早期段階から適切なケアがされないために発生する後天的な障がいの「二重の障がい」を持つ人が多いのですが、このことは、障がい者自身の生活を困難にするだけでなく、保険料や生活保護費の拡大にもつながっています。
むそうでは、他の団体や施設では対応がむずかしい重度障がいや重複障がいを持つ方が、就労等を通して自分ができることを増やす「発達保障」と、日常の生活から看取りまで地域で支援する「生涯保障」の二軸でサービスを展開しています。具体的には、障がいを持つ人がその時々に必要なサービスを組み合わせて、大きな施設に入らなくても地域で生活が続けられるようにするための、「住む」(1人暮らし支援・グループホーム・ケアホーム・在宅支援)、「働く・生きがいをもつ」(通所施設・デイサービス・就労支援)、「余暇を楽しむ・社会に参加する」(移動支援・本人会支援・情報提供支援)という3つの支援です。
これらの活動の中で、関係する制度を変えるべき・新たにつくるべきという結論になれば、積極的にロビイングにも関わります。制度はあくまで道具であり、今ある制度内で事業を最適化したりするべきではありません。まずふわりが、現在の制度で対応できないことや新規ニーズに応えて実績を重ねてから、それを基に国に制度化を促し、自治体から許認可を得て、むそうで力強く事業を進めていくという流れです。
経済による貢献で、地域社会の障がい者理解を促す
福祉を地域で拡げていくには、経済効果がないと継続できません。むそうでは多様な就労の場を設けていますが、重い障がいを持つ人でも、その人の特性や興味を生かして業務を担当できるように、複雑な仕事も工程分解して組み立てています。閉じられた場所での訓練や作業ではなく、日々、地域のお客さんと関わるほんものの環境に入ってもらうと、できることもどんどん増えていくのです。私たちも、障がいを持つ人たちの変容に、大きな手ごたえを感じています。
店舗に加え、移動販売や催しでの出店(でみせ)も、地域理解を得る機会として重要です。盆踊りや夏祭りで美味しいラーメンなどを提供して、来場者が以前の3倍に増えた例もあります。福祉団体がギブアンドギブすることで、だんだんと地域社会に受け入れられていきます。たとえば、近隣に障がい者が住まうことにも反対運動が起きないようになるのです。
スタッフの成長と事業拡大のバランスをとる
むそう本部は中間支援組織的な存在で、現在は各拠点から売上の2割を本部に「上納」してもらい、私の人件費をはじめとした管理部門の費用に充てていますが、今後は、給料の決定や支払いも各拠点で行えるようにしたいと考えています。どこからどのように給料が出ているかを常に意識できる環境にしないと、問題意識がない人が滞留する恐れがあるからです。
スタッフの育成上も、各拠点を独立採算とすることは不可欠です。新しいスタッフは「穴埋め式予算シート」に記入し、1年間それを自分で管理していきます。そうすることで、自分の時間単価を意識するようになるのです。
福祉分野では、ケアワークの経験なくしてソーシャルワークはあり得ません、私は、就職希望者には「10年は現場で修業!」と伝えます。ただし、言われたことだけを10年間やればよい訳ではなく、日々の実践の中で自ら気づき、成長していかなければなりません。私は、「頑張っている」ことは評価しません。それを認めてほしいという人には、「できていない」部分はどこかを示し、なぜだめか、どう足りないのかについて徹底的にディスカッションするようにしています。その結果、職員の離職率が下がり、レベルの平均値も上がりました。
また、事業を担える人がいないのに、ニーズに押されてやろうとすると失敗します。職員の成長に合わせて事業を大きくしていくこともポイントです。初めのころは、1年にひとつ新しい事業を展開するペースでした。なぜなら、まず「戸枝基準」をつくろうと思い、その現場に私自身もべったり入っていたからです。現在は、私がコンサルティング的にやり取りするだけで現場が回るようになり、事業展開がスピードアップしました。早い段階でスタッフを信じて仕事をゆだね、経営者がそのリスクを負う覚悟をしないと、人は育ちません。
最近は、「社会起業家」がもてはやされ、福祉分野にもたくさん登場しています。ただ、早期の成功を、周りも自分も求めるあまり、たいした成果を出していないにもかかわらず、「起業家」というステータスに安住してしまう危険性が高いのではないでしょうか。私自身、「起業家」と呼ばれ出したころがだめでした。「受けるかな?」と考えた企画はことごとく失敗したものです。ニーズに基づいていなかったからでしょう。
また、これまでは銀行からお金を借りてきませんでした。それは、外からお金が入ってくると、その事業の必要性を説明するスタッフの意識やスキルが研ぎ澄まされないからです。地域で就労の場をつくるための資金調達には特にそれが必要だと思っています。その意味でも、スタッフには、上司にわかってもらうためではなく、外部を説得できるレベルのプレゼンテーションを常に要求します。
地域や外部のリソースを活用する
利益率が高いのは、すべての事業がゼロスタートではなく、既にある事業に参画したり譲ってもらったりしてきたからです。たとえば、「きのこハウスにょきにょき」は、「中華茶房うんぷう」の常連だったお客さまできのこ栽培の農家さんから、「自分はもう引退したいので、ハウスだけでなくノウハウと販路もそのままゆずりたい」というお申し出を受けて始まりました。また、「喫茶なちゅ有脇店」は、知多クリニックという病院の中にありますが、院長さんが、「脳卒中や交通事故の後遺症で落ち込みがちな入院患者さんが、重度の障がいを持ちながら生き生きと働く障がい者と接する機会があると、大きな励ましになるのでぜひ!」と、強く依頼されたことでスタートしました。
組織を立ち上げて2年目から、(特)起業支援ネットにコンサルテーションをお願いしています。事業について意見交換した内容を、外部発表用の資料にまとめてくれるので助かっています。また、利用者の親御さんがたくさん理事になってくれていますが、理事会との関係も重要です。たとえば、新規事業を立ち上げの際には、「これはむそうが手掛けざるを得ない」と思ってくれるよう、ストーリーや写真を用意してくどき、理事が心配するであろうことを予測して回答を整理し、作りこんだ予算書で安心してもらうようにしています。
各拠点で、それぞれのスタッフが“ブレーンズ”を持っています。「外部人材の束」がたくさんある組織は強いのです。福祉団体の人は、よく「人手が足りない」と言いますが、私たちは、地域のブレーンズのコネクションによって、多くの人や情報やものを集められています。むそうが手掛ける事業のハードの見学は多いのですが、実は、スタッフがまちにコミットしていくソフトこそすごいと私は思っています。地域展開の際に、どんな人にどのような順番であいさつに行けばよいかなど、細かいことまでシート化して共有しています。
むそうと私がめざすもの
現在は、医療と福祉の連携が進んでいないため、その谷間に落ちてしまって支援を受けられない人が多くいます。今後は、発達障がいを早期に見立てられる人材を医療分野と連携して養成し、早期アプローチする体制づくりに挑戦していきます。また、障がい者本人と家族の暮らしをセットでフォローし続けるしくみも求められています。そのためには、さまざまな制度をバリアフリー化して柔軟に適用できるようにしないと、とても支えきれません。
私が、どういう立ち位置と機能で役に立とうとしているかを比喩的に表現するなら、こういうことです。――山に登っている途中、景色は見えません。頂上にたどり着いて周りを見渡し、(その達成感に安住することなく)登るべき他の山を見つけて、急いで降りて、また登りに行きます。つまり、降りることを前提にいつも登るのです。ただ、それぞれの山では一緒に登る人を決めて、そのパートナーには、これから昇ってくる人にアドバイスすべき内容を伝えながら登ります。
(文責:棟朝)