「先輩社会事業家のビジネスモデルを学ぶ」
第34回『社会事業家100人インタビュー』
~介護に「契約」を、ケアに「コード化」を~
ゲスト: 石川治江様(特)ケア・センターやわらぎ 代表理事
<ゲストプロフィール>
外資系組織で秘書を務めた後、喫茶店、居酒屋、手紡ぎ工房などを経営する傍ら、障碍者との出会いから介護・福祉分野に問題意識を持ち、1978年に生活支援ボランティア組織を発足させる。その後、1987年に非営利の民間福祉団体としてケア・センターやわらぎを設立。日本初の24時間365日の在宅福祉サービスを打ち出す。2009年、第1回Social Entrepreneur of the Year (SEOY) 審査委員特別賞受賞。現在、特定非営利活動法人となった同会代表理事、社会福祉法人にんじんの会理事長、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科特任教授、社会デザイン学会副会長、一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク理事。「困っている人を助ける福祉」から「当たり前に暮らすためのしくみづくり」を構築するための活動を続けている。
著書に『介護はプロに、家族は愛を。』(ユーリーグ株式会社発行)、『水辺の元気づくり』(理工図書株式会社)、『川で実践する』(学芸出版)などがある。
<今回のインタビューのポイント>(インタビュアー IIHOE川北)
授産施設を見に行き、そこでできた友人の外出のお手伝いをした体験から、駅へのエレベーター設置運動や、24時間365日の在宅福祉サービスを立ち上げられた石川さん。「専門性」ではなく「関係」の中のケアだと考えられていた当時の福祉の世界に、ケアをする者とサービスを受ける者との間で、何をどこまでするのかを明確にする「契約」の概念を持ち込み、ケアを138種類の作業に分けてケアをコード化した。ケースごとに管理する情報システムを運用するなど、利用者とサービス提供者との間の確認や、複数のヘルパー間での業務引き継ぎを革新的に効率化し、介護保険制度の骨組みに大きなインパクトを与えた。
その後も、サービスの質をどのように可視化したのか、事業を「マネジメント」するということはそもそもどういうことなのか、石川さんのお話からしっかりと学んで欲しい。
ヒト・モノ・カネ+「目的」 が私たちの経営資源
私はやわらぎを始める前に、喫茶店や居酒屋の経営もしてきました。「儲ける」ほうのアプローチは相当した。私にとって、それはそんなに難しいことじゃありません。ヒト・モノ・カネを回せばいい。NPOの経営も根っこのところはそう違わない。でも私たちNPO経営者には、もう一つの経営資源があります。それが「目的」。何のためにこの事業をするのか。何を以って仲間の共感を得るのか。ヒト・モノ・カネ+「目的」。そうじゃないと利益追及だけになってしまう。私たちは片手で利益をあげ、もう一つの手で「目的」を追う。その両手を動かしながらビジネスモデルをつくっていく。それがNPO経営の強さであり面白さだと思うのです。
既存の制度の枠外で24時間在宅ケアサービスを始める
私は障碍のある友人の外出のお手伝いをしたところから、駅にエレベーターを設置せよ、というエレベーター運動を始めました。その中で24時間在宅ケアサービスの必要性を感じて、1987年にケア・センターやわらぎを設立しました。当時はお金を介在させて障碍のある人のケアをするなんて、「障碍者をくいものにするのか」という声をずいぶん浴びせられました。
その頃は「介助人派遣制度」といって、資格の有無に関わらず介助ができて、介助人には行政から補助が出る制度がありました。一緒に運動をしてきた人たちの中にも、この介助人派遣制度でお金をもらっている人がいて、私が対価をいただいて24時間在宅ケアサービスをすると、その人たちの仕事を奪うことにもなりますから、ずいぶんと詰め寄られました。相手は多勢でこっちは1人です。「私が儲けるためじゃない。介助人派遣制度の枠の外で困っている人たちはたくさんいる。そういう人たちはどうやって生活すればいいのか。私はそういう人たちのつなぎ役になるだけだ」と言っても詰め寄られて、3日も取り巻かれると慣れてきて、5日目には、「今日で決着をつけよう」と覚悟を決めました。それで彼らにこう言いました。「あなたたちに私が決めたことをとやかく言われる筋合いはない。記録はとっている。出るところに出よう。あなたたちは介助人派遣制度の枠の中でやりたいならやればいい。でもそれ以外にも困っている人はたくさんいる。私はその枠の外でやる。もうこういうのは終わりにしよう」と。それ以降何も言ってこなくなりました。
そして東京都の立川市で、「24時間365日の在宅ケアサービスを始めます!」という花火を上げたわけです。新聞に載るようなイベントを開催したりチラシをつくったりして、利用者も介護人も集めていきました。
お金は組織の血液
それから立川など周辺13市町に、「行政でこれだけのケアをするとこれだけのお金がかかる」というデータを出して要望書をつくり、助成金を得るための市長交渉をしました。「ここの市町にはこれだけのニーズ・お困りの人がいる。市長としてこの人たちの生活を守る責任がある」と。ただ自分たちが何をしたい、という要望書を作ってもダメ。こだわったのはデータをちゃんとつくることです。それもただのデータじゃなくて、同じサービスを行政がやったらいくらかかるのか、というデータ。だからといって私たちのサービスを安売りするわけじゃないんです。自分たちは何をどれくらいのコストでできるのか、どうやってそれを実現するのか、自分たちのカードを出す、ということ。行政との交渉には自分たちのカードを持って、しつこくそれを見せて言っていかないといけない。漠然とした要望ではなく、具体的に策を見せていくことが必要で、「このサービスを実現するためにいくら必要か」を繰り返し伝えていきました。ある市長からは「350万円とか言ってないで、どうせなら1000万円とか書いたら」なんて言われましたが、「余計なお金はいらないから必要な分だけくれ」と言い続けてきました。
お金は、いわば血液のようなものです。たえず動かしてはじめて健全な体・組織になります。貯めていてもだめなのです。預金通帳を真っ黒にするぐらい、いつもお金を動かし、回して実績をつくっていく。金額は少なくてもお金が動いているということが大切。そうすればヒトもモノも動いている、ということだから。お金は道具の一つ、組織の血液なのです。
やわらぎをつくった時のお金は、自己資金(自腹)と助成金です。どこもやっていないことをしているから、その助成金に見合わないほどのニーズがきてしまう。特に難病や末期がん、ALS*などの重たいニーズ。うちは「どんなケースも断らない。地域を限定しない」という理念を掲げていました。でも新たなニーズが出てきた時に事務所で話し合いをすると、「このケースはやったことがないからやれない」という結論になりがちです。やれない理由はたくさんある。「じゃあどうしたらやれるか、やれる理由を考えようよ」とスタッフたちに言ってきました。やったことがないなら、経験してみたらいい。1ケースやってみよう。そうすればそのあとはやれるようになる。「やるためには何をクリアしたらいいのか」という思考になる。それがNPOの強さです。
* ALS:筋委縮性側索硬化症。重篤な筋肉の委縮と筋力低下をきたす神経変性疾患。
見えないサービスを可視化してしくみをつくる
サービスは人の目に見えないもの。誰がどんな質のサービスを提供しているのか、他の人には見えないし、比較もできない。だから見せる努力をしていかないといけません。見えないサービスをどうやって見せるかを私はずっと考えてきました。それでできたのが、ケアメニューのコード化。ケアの内容を138種類の作業に分けてコード化し、ケースごとに管理する情報システムをつくりました。それらをもとに、ケアをする者とサービスを受ける者との間で、何をどこまで行うのかを明確にするための「契約」をするのです。契約者との間で提供するサービスをあらかじめ決めておくことで、複数のヘルパー間でもサービスの質を保てるようにしました。そのほかにもISO9001認証の取得などいろいろなことをして、サービスを可視化して質を高める具体的な努力をしてきました。
それでも時間がたつと、最初につくったしくみは陳腐化してしまいます。職員の力量が上がってくれば、従来のしくみではサービスの質を上げられなくなるし、介護保険の制度も変わっていく。内部のしくみだって、どんどん変えてグレードアップしていかなければなりません。そのしくみをつくっていくこと、変えていくことは、たいへんな作業です。企業であれば、全体の収入の中からまず会社の利益を引いて、残った部分でヘルパーなどへの人件費の金額を会社側が決めていくことができるでしょう。でも、うちはその逆。介護保険の制度が変わるたびに全ヘルパーに説明をし、全体でいくらもらえるのか、やわらぎのコーディネーター料としてこれだけとらないとコーディネートができないということ、さらに事務局費用はこれだけ、ヘルパーに渡せる分はこれくらいになる、というふうに全てをオープンにして議論してやってきました。そうやって仲間と一緒に考えてしくみをつくっていくということは、とても手間がかかるけれど、すごく大切なこと。しくみづくりは誰か1人が図柄にしてつくるものじゃない。そんな格好いいものなんかじゃありません。もっと面倒くさいこと、愚直なことの積み重ねなのです。でもその愚直な面倒くさいことをしないと、宝物を逃がしてしまうことになります。一緒にしくみをつくってくれる人たちを組織の中心に据える。いろんなしくみを作ったり、サービスの可視化をしたりしても、結局は動かすのは人ですから、その人自身の中にどれだけその意味が理解され、血となり肉となるか、それが課題なのです。
課題は人だと言いましたが、課題の設定を自分たちの組織で考えるときには、あるべき姿と現在の姿を明確にして問題と問題点をきれいに整理することが必要です。「問題」というのは例えば「商品が売れていない」ということ。その問題の中には価格や売り方、認知度、競合の多さ、経済情勢など様々な「問題点」があります。問題の中に問題点がたくさんある状態。そこから課題設定するためには、自分たちが解決できる問題点が何かをまず仕分けしなければいけません。そこではじめて「課題」が設定できるのです。課題が設定できたら優先順位を決めて何から取り組むかを決めていくことができます。それがわかると、構造的に物事を考えられて、問題そのものに慌てふためくことがなくなります。
やわらぎをつくってきた過程もこの課題設定の繰り返しでした。自分たちのあるべき姿、上位目標と下位目標を立て、それと今の自分たちの姿を比較して問題と問題点を整理する。その中から課題設定して一つ一つ取り組んでいく。「しくみづくり」とか「可視化」とか、口先だけで言うのではなくて具体的な行動を積み重ねていくということ。そういう行動が実績になり、自分たちのカードになってきました。欲しい制度がなければ自分たちでつくっちゃえばいい。制度は道具。「こういう道具が欲しい」ということを具体的に見せて自分たちの持てるカードをきっていく。そうやって介護保険もできたし、これからもいろんな制度をつくっていけばいいんです。「制度は道具である」ということから出発すれば、そんなたいしたことではないはずです。