未来経営シンポジウム2018~社会ニーズの市場化に向けて~参加者募集中

 
2月21日、弊団体が共催し、未来経営シンポジウム2018を開催することとなりました。
各分野のオピニオンリーダーが集結し、「情報」・「伝統」・「経営」をキーワードに真のサステナブルについて語るものです。
■日時:2018/2/21(水)13:30~17:45(13:00開場)
​■場所:東京大学大学院 情報学環 福武ホール・ラーニングシアター
■登壇者(一部):東京大学大学院情報学環 学環長佐倉 統 氏
リーダーシップアカデミー TACL代表 ピーター D.ピーダーセン 氏、他
詳細、お申し込みは以下をご参照ください。
https://www.future-management.biz/
皆様のご参加をお待ちしております。
 
 

【レポート】特別企画  社会事業家100人インタビュー:特定非営利活動法人 循環生活研究所 理事長 たいら由以子氏

社会事業家100人インタビュー 特別企画
先輩社会事業家のビジネスモデルを学ぶ

 インタビュー実施日:2017年11月6日(月)
於:(特)循環生活研究所 事務所

ゲスト:(特)循環生活研究所 理事長 たいら由以子様

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 写真:循環生活研究所のみなさま
(福岡市東区香椎照葉地区のコミュニティガーデンにて)
(左から2番目が理事長のたいら由以子様、3番目がお母様で会長の波多野信子様)
 
プロフィール> 
福岡生まれ。大学では栄養学を専攻、証券会社で5年勤務。その後結婚・出産を経て現活動を開始。
1997年:東区循環生活研究所の活動を開始。
2004年:循環生活研究所として特定非営利活動法人格取得、コンポスト出張講座回数が年間300回を超える。
05年:内閣府事業としてダンボールコンポスト人材養成・支援事業を開始。
07年:生活環境に関わる3つのNPO(土・水・紙)でベッタ会発足・運営開始。
08年:小さな循環ファーム事業開始。里山団体とともにリーダー養成支援の特定非営利活動法人JCVN運営開始。
10年:国連ハビタットとネパールへノウハウ移転事業、これを契機にアジア拠点が増える。半農都会人講座開始。
11年:アジア3R推進市民ネットワークコンポスト担当としてアジアNGOと連携開始。
17年:生ごみ資源化100研究会立ち上げ。ローカルフードサイクリング立ち上げ。
 
<今回のインタビューのポイント>(川北)
リサイクルや自然・健康に配慮した製品の利用など、環境配慮型のライフスタイルに関連する取り組みは、1970年代以降、全国各地で多様に始まった。中には、これまで当インタビューでご紹介したように、大規模化し、くらしの基盤となったものもあるが、ほとんどは継続さえ危ぶまれる状況に追い込まれている。その違いを生む最大の理由は、活動を「広げられるか」ではなく、地域や社会、くらしや感覚の変化に応じて、自分たちの活動をどれだけ「進化できるか」否かにある。
自身のご家族のために始まった取り組みが、地域に多様に、しかも、深まりながら、広がった経過を、変化に応える進化のポイントとともに、学んでいただきたい。
 
父の食養生をきっかけに、「半径2キロでまわる、循環生活」を目指す
原点は父の病気でした。今から22年前、父は入院していた病院で医師から余命3カ月を言い渡されました。当時栄養士だった私は、病院でなく家で食養生をしたほうがいいと父に提案し、母とともに自宅で父の看病をすることにしたのです。しかし、食養生はまず調達の段階からつまずきました。父に無農薬の野菜を食べさせたい。でも当時は、一日探し回っても、すごく高いか古いものしか手に入らなかった。それから父が亡くなるまでの2年間は、野菜の調達に四苦八苦。駆けずり回って安全な食べ物を探し、調理することに一日の大半を費やしていました。たいへんな日々でしたが、余命3カ月と言われていた父の命は食養生で2年延びたのです。食べ物で人の存在そのものが変わる。でも安全な食べ物を使う暮らしをしようとするとお金がかかる。もっと身近に、自分の住む地域内で暮らしに必要なものが循環するような暮らしができないものか。そのためには何が必要なのか。水から考えて、最終的には「土」が必要だ、ということにいきつきました。
母は昔から庭で花を育てるのが好きで、自分で生ごみや雑草から堆肥をつくっていました。母はとことん突き詰めて研究するのが好きな性格で、何を入れるとどんな堆肥になるのか、独自に研究をしていました。もっといい堆肥づくりについて教えてもらおうと参加した福岡市の堆肥づくりの講座で、逆に母が講師を依頼されたのが今から約20年前、1998年のことです。それから母と私の2人で、もっといい堆肥づくりをしようと、感覚的な経験を数量的なデータで蓄積して研究を重ね、試行錯誤を繰り返していきました。そうやって、家庭で出る生ごみを堆肥にして土に戻すためのしくみ、コンポストの原型になる基材*を開発していきました。
* 基材:土や菌床など、堆肥化するために必要な材料
同時に、この堆肥づくりを特に若い人たちに広げていくにはどうしたらいいかを考えるようになりました。そんな時に出会ったのが「やかまし村青年団」のみなさん。福岡市立東市民センターの自主企画講座「私が描く未来の東区in青年セミナー」に集まったメンバーが中心になってつくられたグループで、東区の三苫が好きで、自然を楽しみながらまちづくりができないか、区内の自然を楽しむイベントや、地域の歴史を知るための勉強会等を開催している青年団でした。この人たちとなら何か面白いことができそうだと思って活動に参加して、一緒に畑もつくり、「三苫の旬を喰らふ会」というサークル活動も始めました。そうやってたくさん会って話す中で、私たちが住みたい街の将来像も一緒に描いていきました。そこから出たキーワードが、「半径2キロでまわる、循環生活」だったんです。
父の看病をしていた時期、私は子育てをしながらの食糧調達、三度の食事作りで、自分の住んでいるところから半径2キロの圏内に閉じ込められていました。半径2キロって、狭いようで広いし、広いようで狭い。あそこに新しいお店ができたな、とか、あそこの木は子どもにぶつかってあぶないな、とか、毎日通る中で色んな情報を集めていて、全てが自分事として感じられる。そういう暮らしの範囲の中で、近所の人と一緒に耕せる畑があったり、それぞれの庭でとれた野菜が並ぶ無人市があったり、地域でとれた作物を使った食堂があったりと、生活のなかから始まって、生活の中に活かしていく「循環」をつくっていきたい。そういう想いで、1997年に「東区循環生活研究所」(2004年に循環生活研究所として特定非営利活動法人格を取得)が立ち上がったのです。
 
ダンボールコンポストでマンション住まいにも堆肥づくりを広める
当時から、生ごみを使った堆肥づくりをしている人たちは全国にたくさんいました。でもその多くは、「ああいう作り方はだめだ」という主張のぶつかり合い。そんなすすめ方では拡がらないと思いました。私たちがしたいのは、あくまでも「Have Fun!」「楽しく暮らそうぜ!」っていうこと。そのためには堆肥づくりと家庭の暮らしがつながっていないといけない。一部の意識の高い人だけ、庭でガーデニングする人だけがするのではなくて、マンションのベランダでもできるような土づくり。そのためにはどうしたらいいのかを考えて、行き着いたのが今の主力製品である「ダンボールコンポスト」です。ダンボール箱の通気性のよさが堆肥づくりにとても適しているのです。それまでの堆肥づくりの研究と掛け合わせながら、福岡の風土に適した作り方を研究し、2000年から本格的にダンボールコンポストを広げる活動を開始。2002年にはダンボールと基材、冊子「堆肥づくりのススメ」などをまとめた、「これさえあれば誰でも堆肥づくりを始められる」というスターターセットの販売を開始しました。そしてこれが徐々に広がり、ダンボールという手軽さや、生ごみを減らしたい自治体の施策とも合致して、各地で堆肥づくりの講座を開催するようになりました。メディアにも取り上げてもらうようになって、数年後にはダンボールコンポストが爆発的な人気になりました。
 
全力でライバルを育てる
一方で、私たちのダンボールコンポストを真似した類似商品も出回るようになりました。私たちのコンポストの中身は、研究を重ねて匂いがほとんど出ない構成になっているにも関わらず、類似の商品では構成を変えているから、匂いが発生して、「臭いダンボールコンポスト」が世の中に出回ってしまったんです。その経験から、「広げるためには人を育てるしかない」ということに気づきました。そこで2005年からは「全力でライバルを育てる」ことを掲げて、人材養成のための事業を始めることにしました。それからの数年間は内閣府や経産省の支援をもらいながら、人材育成・支援活動のしくみを苦労しながら整えていきました。今では、ダンボールコンポストの使い方講座を開催する「アドバイザー」が全国に約200人います。そしてそのアドバイザーを育てるための「トレーナー」が12人。このアドバイザー、トレーナーを集めた集合研修を年に1回開催して、堆肥づくりのための最新情報や、「広げる」ための活動のあり方などについて共有しています。アドバイザーは全国に散らばっていて、それぞれの土地に適した堆肥づくりのために、「地産型の基材開発」にも力を入れています。その地域の気温や湿度に合った内容物を考えることはもちろん、その地域で普及するための阻害要因を洗い出し、評価項目を決めて一つ一つ点数化。各地のアドバイザーとともに、それぞれの地域でもっとも普及しやすい基材を開発しています。時間はかかりますが、そうやって一つ一つ、一緒につくっていく、一緒に広げていくことで、地道に人を育てています。
 
点から面へ:地域全体で広げる「小さな循環、いい暮らし」
各家庭でのコンポストによる堆肥づくりを通じて地域の循環システムをつくっていこう、とずっと活動していきたわけですが、20年たった今でも、日本の全世帯数からみれば、自分でコンポストを持ち堆肥をつくっている人はほんの一握り。この活動を始めた当初、ダンボールコンポストが広がればみんな生ごみを堆肥化する、と思っていた私は、「生ごみを普通にゴミとして捨てている人がまだこんなにいる!」という事実に驚愕しました。その大多数の「生ごみを普通にゴミとして捨てている人たち」を変えるためには、今までのアプローチでは届かない。点ではなく面で攻めていこう、という活動の一環としてまず取り組んだのが「ベッタ会」です。
Betta(ベッタ)とは、「地べた」と「地道」をキーワードに、環境にやさしい暮らしをみんなですすめるしくみづくりのこと。「ベッタ会」は、雨水を貯めて有効活用しよう、という活動をしている(特)南畑ダム貯水する会と、新聞という身近な紙を通じて紙をもっと大切にしよう、という活動をしている(特)新聞環境システム研究所、そして生ごみの堆肥化を進めている循環生活研究所の3組織が中心になって構成するネットワーク。手の届く範囲で、モノを捨てない、大切にする、循環を実感する暮らしを通じて、もっとBetterな暮らしを目指そう、ということを呼びかける活動です。水、紙、生ごみ。それぞれの団体としての活動だけじゃなく、「暮らしの中での循環」、「小さな循環、いい暮らし」という価値観を全体として広げていくこと、そしてたくさんの人を巻き込んで行動を変えていくためのしくみづくりです。「私たちは、手の届く範囲で、モノを捨てない大切にするBetta(ベッタ)活動をみんなで楽しく続けることを宣言します」というベッタ宣言に賛同してもらい、それぞれの参加者が自分のベッタ宣言をすることや、3つのテーマで一緒になってイベント出店したり講座を開催したりして、ベッタ活動を広げています。
 
「小さな循環ファーム」で循環を見せる・体験する
同時に、地域の畑を通じた活動を増やしていったのもこの頃です。もともと今の事務所があった場所は、組織立ち上げの時期に近所の人たちと一緒に菜園活動をしていたところ。各家庭の生ごみからできた堆肥を持ち寄って土をつくり、その土で自分たちで野菜を育て、それをみんなで食べる。私自身がその楽しさを知っているから、これをいろんなところでやって、見せていけばいいのだ、と。そこで 地域の中に畑をつくって、そこで生ごみや落ち葉を集めて堆肥をつくり、地域の人たちと一緒に野菜をつくる「小さな循環ファーム」の活動を2009年から開始しました。
「堆肥にするので生ごみや落ち葉を持ってきてください。持ってきてくれたら有機野菜と交換します」という呼びかけをしてみると、「これがほんとに堆肥になるの?そして野菜になるの??」と半信半疑で来てくれた人が、落ち葉や生ごみが堆肥になっていく過程を見て、畑づくりに参加することでぐんぐん変わっていきます。子どもたちの変化はなおさらで、堆肥ができるプロセスや微生物との関係性、土や野菜との関係性を実際に触れて実感することで、表情も、行動も、目に見えて変わっていく。そこから日々の暮らしの中の小さな循環に気づいていき、子どもに教えられて親の行動も変わっていきます。
この堆肥づくりが持つ教育の力をもっと活かそうと、幼稚園や学校と一緒に小さな循環ファームをつくる取り組みも徐々に増えてきました。2010年には福岡市の子どもみらい局と、いわゆる「非行少年」と呼ばれる、補導経験のある子どもたちと一緒に畑をつくるプログラムに取り組み、畑を通じて子どもたちが変わっていく様子を目の当たりにしました。さらに、地元の東区にある不登校生徒の自立を支援する立花高等学校との出会いから、高校の授業の一環として、高校の敷地内を開墾し生徒自身の手で一から畑を耕す、という取り組みを始めました。その活動は今も続いていて、嬉しいことにその活動の1期生が今、当所のスタッフになってくれています。
 
コンポストを地域全体で共有する「コミュニティコンポスト」へ
今はこの小さな循環ファームの活動を一歩進めて、「コミュニティコンポスト」の取り組みを福岡のニュータウンである香椎照葉地区で試験的に始めています。地域の中の共有の畑「コミュニティガーデン」を拠点にして、家庭のコンポストをベロタクシーで定期的に回収、コンポストを住民で共有するしくみです。マンションのベランダで自分でコンポストを管理して生ごみを堆肥化している人はまだまだ少数派。庭や畑などがない都会であればなおさらです。でも、マンションばかりの都会であっても、定期的に「回収する」システムをつくることで、地域全体でコンポストを広げよう、とこの活動を始めました。各家庭で作成途中の堆肥や、使いきれない堆肥を持ち寄ることで、堆肥の管理を一元化でき、そこでできた良質な堆肥は地元の農家にも提供しています。コンポストの回収に協力してくれる家庭には、5回に1回、コミュニティガーデンでとれた野菜をお渡ししているほか、その堆肥で育てられた地元農家の野菜は地域のベーカリーやレストランでも味わえます。家庭の生ごみや、地域の落ち葉が堆肥になって地元の畑で活用され、そこで採れた野菜を地域で食べる、「Local Food Cycling」のしくみ。生ごみを野菜にする新しい暮らし方の提案でもあります。コミュニティガーデンには地域の幼稚園や小学校と一緒に育てる畑や、ピザ釜、自由に使える調理場やイベントスペースなども整備して、住民が自由に作物を採り、昆虫や小動物に触れて遊べる場にしたいと思っています。将来的にはそこで鶏やヤギなどの家畜を飼う、ことも実現したいと思っています。
さらに、この「小さな循環ファーム」、「コミュニティコンポスト」の活動は、教育だけでなく地域の高齢者福祉にもつながっていきます。今や65歳以上の高齢化率が26.2%(2017年4月1日時点)の福岡県。中でも昔の「ニュータウン」である美和台地区の高齢者独居率は高く、日々のゴミ出しも大変、という話を聞きます。ならば、生ごみは堆肥化してゴミを減らそう!地域で共有の畑をつくって、小さなグリーンジョブをたくさんつくり、そこで地域の高齢者を雇用しよう!という計画を立てています。生ごみの回収で地域を回りながら生活の援助もする。コミュニティガーデンで野菜をつくって地元で売り、地域で循環する経済をつくる。畑を通じて高齢者の互助組合的なしくみができないか、これから挑戦していきたいと思っています。
生ごみの堆肥化を普及するための活動を地道に進めてきた当所ですが、堆肥づくりを通じた教育、コミュニティガーデンを通じた地域づくりと、その活動の幹は徐々に太くなってきました。週末だけ農家になる「半農都会人」を増やすこと、コミュニティコンポストをもっと効率的に低予算でつくれるようにして全国に広げること、菜園でのコミュニティビジネスをつくること、などなどやりたいことはまだたくさんあります。
生ごみのコンポストを起点にしながら、「資源の輪はつながっている」ことを実感して、住民自身による半径2キロ単位での持続可能な地域社会をつくっていくこと。今ようやく、思い描いていた、「自分の住む地域内で暮らしに必要なものが循環するような暮らし」が少しずつ回り始めたところです。
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【レポート】第54回 社会事業家100人インタビュー:郡上里山株式会社 興膳健太氏

社会事業家100人インタビュー 第54回
先輩社会事業家のビジネスモデルを学ぶ

2017年12月6日(水)18:00~20:00 於:名古屋

ゲスト:郡上里山株式会社 興膳健太さん

興膳さん 

 
プロフィール> 
1982年福岡県生まれ。福岡大学から岐阜大学地域科学部に編入し、まちづくり活動について勉強するなかで郡上市を知る。
そのとき知り合った移住者の先輩たちの姿に憧れて、2007年に郡上へ移住。(特)メタセコイアの森の仲間たちに職員として入所し、のちに代表理事として、自然体験を通したまちづくり活動に取り組む。自身もひとりの猟師として地域で活動するなかから、里山が抱える獣害の問題と向き合い、猟師の仕事を多くの人に知ってもらいたいと始めた「猪鹿庁」の活動が全国的な注目を集める。
2016年には、組織の分社化による事業の加速を目的に「郡上里山株式会社」を新たに設立。地域の今後を見据えて、里山保全に関わる人材育成を手がけている。

 
<今回のインタビューのポイント>(川北)
地域や社会が変われば、その課題の解決や理想の実現に挑む事業にも、進化が求められる。自然体験の機会が不足し、プログラムやその担い手の質の向上が求められる時代から、指定管理者制度の導入により、官設施設の運営を担う団体が増え、やがて、自然の豊かな地域ほど、高齢化や人口の減少が進むという事態へと進む中で、自然体験の担い手にも、地域が直面する重大な課題である獣害対策に取り組む進化が求められる。その重要性にいち早く気付き、試行錯誤を積み重ねながら、着実に進化し続けている興膳さんの経過と展望から、社会事業家に求められる進化の在り方について学んでほしい。
 
「持続可能な地域社会を自分のまちでつくる」それを郡上でやりたい
僕の人生のテーマは、「持続可能な地域社会を自分のまちでつくる」ことです。それを郡上でやりたいと思って、郡上に飛び込んで今年で11年になります。
最初の2年間は(特)メタセコイアの森の仲間たちという自然体験活動を実施しているNPOの職員として勤務し、キャンプ場の運営や、子ども対象の自然体験プログラム企画・運営などをしていました。しかし、ちょうどその頃、団体の代表が突然退任してしまって・・・。3年目には僕が代表理事をすることになったのです。
団体の理念をつくりなおすワークショップなどにも積極的に参加していたこともあり、「これは好機だ!団体の理念を自分のテーマと重ねよう!『ずっと暮らし続けられる郡上をつくる』ということを団体の理念にしちゃおう」と考えました。そこで、「自然体験を通じて郡上を好きになってくれる人を増やす」という活動方針をつくり、そのために何ができるだろうかと考え始めました。
自然体験の分野にはたくさん先輩方がいらっしゃって、お話を聞きに行ったりもしましたが、正直に言うと、自然体験のインストラクターとしては尊敬していても、その先輩たちのキャリアの未来像、例えば大学の先生になるといったことには、魅力を感じられませんでした。
僕は、自然体験そのものを深めるのではなくて、もっと地域に根差した暮らしをしたいし、郡上のまちを面白くしていきたい。そのためには、自然体験キャンプを実施するだけじゃなくて、まちが面白くなるしくみをつくっちゃったほうがいいんじゃないか、と思ったんです。そこで、キャンプ以外のプログラムとして何ができるかを考えました。
とはいえ、当時の事業収入のほとんどはキャンプ場経営によるもので、冬は仕事がありませんでした。スキー場でアルバイトしながら、「これじゃいかん!冬の仕事をつくろう!」と思いました。
その時に閃いたのが、「猟師をやりたい!」ということでした。
最初は、純粋に自分が暮らしの延長で面白そうだから、冬の仕事として猟師をしたらいいんじゃないかと、すごく安直な発想でやろうと思ったんです。農家の人が猪の被害に困っていたし、猪の肉はうまいらしい!と。それを食べたら地域の自給率も上がるし万々歳。時は民主党政権で、緊急雇用創出事業のプロポーザルとして、「半農半猟師」なる企画を立てました。猟師をしながら、農業もする。地域にふれあい農園をつくって、地域住民との交流も促します、というよくばりプランでしたが、採択されて、3年間の人件費と事業費をいただけることになりました。
でも、結果から言うと、これは全然うまくいきませんでした。当時、自分のほかに2人雇っていましたが、実質的には0.5人分の収益しか出せなかった。ふれあい農園としてやっていた田んぼも、中途半端では無理だと、あきらめることにしました。その後、当時雇用していたうちの1人は農業の世界に進んで、今でも農業を生業としてがんばっています。もう1人はNPOの代表として残ってくれて、自然体験やキャンプをやりながら、一緒に郡上のまちづくりをやっています。
その後は、なんとか猟師として食べていけるようになりたいと思い、「猟師の六次産業化」を考えました。農業の六次産業化の事例を知っていたので、猟師でもできるのではないかと。しかし、考えるのと、やってみるのとでは大違いでした。まず、そんなに簡単に野生動物は捕れないし、捕れた動物を捌くのが、また大変です。そもそも捌く技術を持った人が少ないし、設備も必要ですから、捌くコストはばかになりません。今でこそジビエとしてブームになりつつありますが、当時はまだまだ認知度も低く、肉質として下に見られてしまっていました。「安かったら買うよ」と平気で言われ、全然適正価格で買ってもらえない。まったく採算がとれなくて、もう心が折れそうになりました。一番お金がなかったのがこの頃です。
それでもなんとか商品をつくっていきたくて、自分が福岡出身でラーメン好き、という理由だけで「猪骨ラーメン」の事業企画を書いて、東海若手起業塾で提案して、ボコボコにされる、なんてこともありました。
そこでわかったのは、当たり前ですが、僕らはラーメンを売りたいわけじゃない、ってことでした。猟師の六次産業化の夢を一旦は置いておいて、まずは地域で、猟師として何ができるのかを考えるようになりました。
 
獣害を獣益に!農家のおじちゃんたちを獣害対策の担い手にする
僕らの事業のミッションとしてやりたいのは、「獣害を獣益にしたい!」ということ。今は地域の人にとっては困りごとである野生動物(獣)たちを、地域の資源に変えていきたい、ということです。もう一つは、「猟師として生産者革命をしたい」ということ。今の社会では、商品に値段がついても、その収益の半分以上が仲買業者や小売りにいってしまって、生産者には利益が残らないしくみになってしまっています。そんなの、生産者としては売りたくないし、続けてもいけない。生産者が搾取されているこの状況を、なんとかしたいと思っています。
猟師として動き始めてから、地域の農家の人に「獣を捕ってくれ」と頼まれることが多くなりました。畑が荒らされてかなわん、と。最初は1人1人に対応していたのですが、次第に増えてきて対応しきれなくなり、「集落で集まって依頼してくれたらやります」と、説明会を開催することにしました。ハザードマップの野生動物編のつくり方を学んで、そのワークショップを地域で開催してみました。集落のおじちゃんたちと一緒になって、どこにどんな動物が出て被害が出ているのかというマップをつくったんです。これが面白かった。「ここに猪がよく出るのは、ここに栗の木があるからだな。こっちの柵は壊れてるから、こりゃ通るわな」というのが、はっきり見えてきました。そうして集落全体で獣害被害の現状を把握することができて、次の対策を考えられるようになりました。まずは現状の可視化、その後に防除指導や捕獲の支援。そういうステップを踏むことで、獣害被害が集落全体の問題として認識されて、一緒に対策をするという姿勢を引き出すことができました。
捕獲についても、農家の人たちは罠や鉄砲の資格を持っていないから、猟師に「捕ってよ」と頼むしかありませんでした。そこで、「罠くらいは自分たちでも使って捕ってくださいよ」と僕らが技術指導して、罠を無償で貸し出すことを始めました。そのかわり、捕れた動物は僕らにタダでください、と。農家の人たちにとっては、畑の被害を減らすために野生動物を捕ることが目的だから、捕れた動物はいらないですからね。それをもらって、僕らが加工して商品にする。貸し出し用の機材も、最終的には自分で購入してもらって、自分たちで捕ってもらう、ということを進めています。
獣害対策支援を開始した1年目には、事業費は自己負担していましたが、翌年からは岐阜県から獣害対策のモデル地域支援としての資金援助を受けられることになり、3地域で合計100万円ほどの予算で請け負うことになりました。その後もこの活動は続いていますが、今では、行政から資金援助を受けなくても、集落の方たちから直接お金をいただいて実施できるようになりました。
この活動の成果としてうれしいのは、集落で新しく狩猟の免許を取った人が28人いることです。最高齢はなんと78歳。うれしい、けど、早く若手にバトンタッチしないといけないですね。さらに、講習を受けた人がなれる捕獲補助員は116人。今まで、「猟師が捕らないからいけないんだ」と言っていたおじちゃんたちが、自分たちで捕るようになった。これは大きな変化です。さらに、今は集落からマップづくりのワークショップをやってほしい、とか、捕り方を教えてくれと、仕事として依頼されるようになってきました。
 
狩猟をブームにして、人を集め、人を育てる
僕らのような若い猟師が、少しずつですが、全国に情報発信ができるようになって、全国で狩猟に関心のある人が増えつつあります。今までは、田舎のおじちゃんたちの趣味というイメージだった猟師の仕事に、もっと若い人たちの興味を集めたい。そう思って、2009年から「狩猟エコツアー」を実施しています。狩猟活動の中で、自分たちで手作りしていた道具、ナイフや弓矢をつくる講座をやってみたり、鹿の解体体験とソーセージづくり、ガン・ハンティング講座など、狩猟の一部を体験できる講座です。過去7年間に50回以上実施して、参加者数は1,000人を超えました。そのうち300人は中学生です。猪鹿庁のFacebookページへの「いいね」も5,600を超えて、徐々に僕らのやっている「狩猟」というものへの注目を集められるようになってきました。
そのベースを使って、2013年に思い切って、「狩猟サミット」を開催しました。全国各地の狩猟の実践者たちが、それぞれの地域のくらしの中に狩猟を根付かせるために、一緒に狩猟文化を築いていこう、技術を高め合おう、狩猟の未来を語ろう!という企画で、さまざまな立場の狩猟者、実践者、狩猟に興味ある人たちが全国から集まるお祭りです。
郡上で開催した第1回には150人が参加してくれました。それ以降は全国各地を持ち回りで、それも自然体験活動に取り組む団体に、このサミットを開催してほしくて、第2回はホールアース自然学校の方に「頼むからやってくれ!」と頼み込んで、静岡で開催してもらいました。
僕は、自然体験活動におけるインタープリター(自然と人との通訳者)という役割は、猟師も学ぶべきだと思います。猟師はいのちをいただく仕事。その役割はまさに、自然と人との間に立つインタープリターです。だから自然体験の活動から我々猟師が学ぶべきことは多い。そして、全国にたくさんある自然体験活動団体がこのサミットを開催することで、おおきなうねりをつくることもできる。若い人も巻き込める。だからどうしても、自然体験活動団体を巻き込みたくて、毎回、自然体験分野の先輩方に頼み込んで、各地で開催してもらっています。今では毎回200人が集まるイベントになってきました。そうやって狩猟活動への関心を喚起して、ブームをつくりながら、ブームで終わらせずに、人を育てる場やしくみをつくっていく、発信していく、ということを、これからも続けたいと思っています。
 
狩猟の新しいシステムをつくる!
農家の獣害対策支援と並行して、林業者への支援も進めています。山に野生動物がいることで、植樹をしても数週間後には苗木をシカにみんな喰われてしまうという問題が起きています。この問題に、林業者にも当事者意識をもって関わって欲しくて、郡上市に「森林動物共生サポートセンター」をつくってもらって、林業施業者・森林保有者と、鳥獣被害対策実施隊の橋渡しをする、勉強会を開催する、という活動もしています。でも、農業も林業も、マンパワーが圧倒的に足りない。趣味としてやっている方も多いから、じゃがいもを半分喰われても、「やられちゃったよ」と笑っている。でもそれを許していると、農業・林業に携わる人はどんどんやめていってしまうことが目に見えています。この集落のおじ(い)ちゃんたちのところに、若い人を送り込むことができないかと、ずっと考えていました。
最近、若い猟師への注目が高まったおかげで、狩猟の有資格者数も徐々に増えています。環境省が2012年から全国各地で開催している「狩猟の魅力まるわかりフォーラム」には、毎年計1000人以上、各会場平均で400人以上も参加しています。その中には、狩猟免許は持ってるけど都市部に住んでいる、という人も多数います。狩りたい、でも猟場をもってない、毎日罠を見回りに行けない、捕獲後すぐに処理できない、ということがこれまでの狩猟のハードルとしてありました。
これを「現代版狩猟:クラウド猟師」にしていこう!と思って導入したのが、3G通信機能付きのセンサーカメラです。「クラウド猟師」と猟場をマッチングして、地域に入って罠をしかけ、カメラを置いてもらう。すると、罠の前を動物が通るたびに自動で写真が撮影されて、その映像をメールで送ってきます。「おっ!俺の罠に動物が来たよ!!」っていうことが、都会にいながらでもわかる。これがすごく面白い。都会にいながらリアルに里山を感じられるし、罠を見張ることができる。都会にいながら猟師になれる。このクラウド猟師を、大真面目に求人したいと思っていて、今、求人サイトを立ち上げているところです。僕らや地元のコーディネーターで猟場の管理をして、罠の見回りはクラウド猟師にメールで確認してもらう。捕獲後の処理は地域の人がする。こうして、狩猟に協力してほしい地域と、狩猟をやってみたい人をマッチングしたい。いずれはクラウド猟師から、地域の猟師になってほしいと思っていますが、まずはクラウド猟師たちに地域の応援隊になってもらいたい。集落の人たちと一緒に捕れた肉を食べてバーベキューしたり、その縁で田植えの手伝いをしたり祭りを手伝いに来たり。集落の人たちと、狩猟に興味ある人がどんどん交流する。そういう中から、いい若者を地域に引き抜く。集落から仮の住民票を発行したりして、つなぎとめる。そうやって、人手不足の集落に人を送り込んでいきたいと思っています。
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獣害対策のプロ集団をつくって、地域の対策支援組織を応援する
もう一つ、獣害対策支援として行っているのは、獣害対策の支援組織を地域につくるということです。これまでの獣害対策は、市町村の獣害対策の担当課が、住民からの陳情を直接受けて、確認して、地域の協議会や猟友会に諮って狩猟を依頼するという、行政の担当者にすごく大きな負担がかかるしくみでした。その現場では、若い担当者たちがすごい苦労をしています。しかも担当者は数年ですぐ変わってしまいますから、根本的な取り組みを進める時間も体力もありません。
これをなんとかしないといけないと思い、市町村と連携して、地域の獣害対策に取り組む対策支援組織を地元につくる、という取り組みをはじめました。とはいえ、僕ら猪鹿庁のメンバーは自然体験分野出身なので、獣害対策についての専門知識はありません。そこで外の力を借りようと、大学の先生や他の地域で活動する人に相談したり、情報提供してもらったり、外部の専門家の知恵を借りることにしました。
こうした取り組みを進めるなかで、2011年に開いた獣害対策の研究会で、僕らと同じように獣害対策を仕事として、民の力でゴリゴリやって解決していくぞ!と活動している熱い人たちに出会い、「獣害対策のプロ集団としてネットワークをつくろう!」と合意して発足したのが、「ふるさとけものネットワーク」(通称:ふるけも)です。このネットワークは、獣害対策に関する情報共有や、技術を研鑽するための「けもの塾」の運営、団体の運営のサポートなどを行っています。また「ふるけも」では、自治体の担当者を対象とした研修を開催して、他の地域の獣害対策を学ぶ場を設けたり、これから野生動物に関わる仕事をしたいと思っている人たちに、僕たちの体験から得られた「学び」や「コツ」みたいなものを伝える場も設けています。その「けもの塾」の参加者もどんどん増えていて、やがて参加者が地域のコーディネーターとなって地域の獣害対策を進めていく、そういうしくみにしていきたいと思っています。
僕は、人間には食欲や性欲と同じように、「猟欲」があると思っています。その猟欲のスイッチを押すと、人は捕りたくて仕方がなくなる。そして、獣害被害に困っている集落にそういう人が入ることで、みんな幸せになる。しかも、捕った猪は1頭100万円で売れる。そうすれば、「獣害被害対策」なんて関係なくなって、地元の若者が「職業として猟師になりたい」と思うようになるでしょう。今は奨励金頼みで、公共事業化してしまっていて、捕れた肉もすごく安い値段でしか売れない。そんな状況を、ちゃんと捕って処理すれば、おいしい肉として高く売れるというようにしたい。そして、集落の人たちと狩猟に興味ある人たちがどんどん交流して、地域の応援隊ができる。狩猟や獣害対策のプロを養成して、獣の町医者を全国に配置する。そうなれば、獣害は獣益に、地域の資源になります。まだまだ実現できていないこともありますが、僕自身が郡上という地域に根付く猟師として、そして、全国に仲間を増やしていくために、これからもゴリゴリ楽しく動いて発信し続けたいと思います。

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