【レポート】『社会事業家100人インタビュー』 特定非営利活動法人 ぱれっと 理事 谷口奈保子氏

「先輩社会事業家のビジネスモデルを学ぶ」

第21回社会事業家100人インタビュー

 

知的障害者への支援をビジネスとして成り立たせる工夫

 

 

ゲスト: 谷口奈保子様 (特)ぱれっと 理事

 

<ゲストプロフィール>

1942年、中国東北部(瀋陽市)生まれ。1946年 9月に家族と共に北海道滝川市へ引き揚げる。

明治学院大英文科、福祉学科卒。渋谷区社会教育課主催えびす青年教室常任講師を9年間務める。

1974年に長女が小児癌で亡くなり、その事がきっかけで34 歳(1976 年)より病院ボランティアを始め(週1回、難病児と付き添いの親を訪問し、話し相手や中学生の英語の勉強相手など)、9年間続ける。37 歳(1979年)の時母校に戻り福祉学科で3年間学び、在学中に教育実習をした青鳥特別支援学校で2年4ヶ月間、先生ボランティアをする。

1983年に「ぱれっとを支える会」を設立し、知的障害者のための余暇活動の場「たまり場ぱれっと」、1985年に働く場「おかし屋ぱれっと」、1991年に「スリランカレストランぱれっと」(2012年12月に閉店)、1993年に暮らしの家「えびす・ぱれっとホーム」を地域につくる。

1998年に5つめのセクション「ぱれっとインターナショナル・ジャパン(PIJ )」を立ち上げ、1999年10月10日にスリランカに障害者が働く作業所「Palette」(NGO登録)を開所する。2009年、国情の悪化によりPaletteの運営継続を断念。Paletteの10年間の働きが企業を動かし、スリランカ最大手の製菓会社がNPOのクッキー工房を設立。Palette のスタッフ及び通所員は、立ち上げメンバーとして雇用。

2002年4月1日に法人格を取得し「特定非営利活動法人ぱれっと」に名称変更。

2010年4月障害者と健常者が共に暮らす家「ぱれっとの家 いこっと」を開設。

2013年7月認定NPO法人格を取得

 

特定非営利活動法人ぱれっと 理事

ぱれっとインターナショナル・ジャパン 代表

一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク 副代表理事

 

<今回のインタビューのポイント>(インタビュアー IIHOE川北)

かつて、障害者福祉の分野において「事業」という言葉や概念が忌み嫌われていた時に、本来的な意味での継続的な自立をめざして、事業をスタートした谷口さん。「やるんだったら、売れるものにしないと」という言葉から、良い社会事業家になるためには、良い事業者でなければならないことを、確認してほしい。

 

護る福利から押し出す福祉へ

私がぱれっとの前身である「ぱれっとを支える会」を設立した約30年前、知的障がい者は見えない存在でした。当時の福祉は、施設にだけ予算がつく施設型福祉で、知的障がい者の多くは施設の中にいて、地域とは隔たれた世界にいたのです。私は1976年から病院ボランティアを9年間、特別支援学校で先生ボランティアを2年4ヶ月間行い、その現状を目の当たりにしました。従来の福祉では、障がい者が人として認められない。このままでは障がい者には人権がない。今までの「護る福祉」から社会へ「押し出す福祉」への発想の転換が必要だと思い、1983年に、地域で当たり前の生活ができる場として、知的障がい者のための余暇活動の場「たまり場ぱれっと」を、学生ボランティアと一緒につくりました。

たまり場ぱれっと」は、障がいの有無に関係なく、誰もが自由に集い余暇を楽しむ場です。毎月1回の開放日にお花見や料理教室、ダンス教室などさまざまな企画を催すほか、開放日以外にもクラブ活動があり、参加したい人達が中心になって活動をしています。この「たまり場ぱれっと」の活動の中から、英会話を学びたいという参加者の声をきっかけに、外資系企業の社会貢献活動として、社員ボランティアの方々から英会話を習う「寺子屋ぱれっと」も生まれました。

そのほか、障がいのある人とない人が一緒に行く旅行「プチ・バカンス」などの年に2回の宿泊行事や、月2回のパソコン教室、年1回地域を巻き込んで実施するティーボール*大会など、どれも参加者が自主的に主体性をもって活動を創造できる場となるよう、企業の支援やボランティアの支援を得ながら、これまで活動を続けてきました。

障がいのある人に対して何かをしてあげるのではなく、互いに学びあいながら、苦手なところをフォローする、そうした良好な関係をつくることを通じて、障がいのある人もない人も一緒に地域の中で当たり前の生活をすること。それがたまり場ぱれっとを設立した大きな目的であり、ぱれっとに関わる多くの人の願いでもあります。

*ティーボール:野球やソフトボールに似た屋外球技。ピッチャーのいない球技で、打者は審判の「プレイ」の宣告後、バッティングティーの上に置かれたボールを打つ。

 

おいしいから売れるクッキー販売

1985年には就労支援の場として、おかし屋ぱれっとを設立しました。手作りのクッキーとパウンドケーキ等の焼き菓子を店舗とインターネット、販売会等で販売しています。

設立当時は障がい者のつくったクッキーをバザーで売ることはあっても、それを一般の市場で売ることは考えられない時代でした。でも「障がい者が作ったものだから買ってもらう」のではなく、「おいしいから買う」ようになることを目指して、おいしいクッキーづくりの研究に半年間をかけました。その後、地道に営業に回り、企業にご協力をお願いしながら、クッキーを作った本人も参加する販売会を定期的に開催していきました。クッキーは「おいしかったよ」という感想を通じて、作った本人がお客さんとも交流できます。「おいしかった」と言ってくれたお客さんはリピーターになります。その結果、おかし屋ぱれっとを立ち上げて1年目で700万円を売り上げることができました。そして1年に400人もの見学者が来て、このクッキー販売は全国に広がっていったのです。

立ち上げから1年半後には、クッキーの増産に対応するための移転が必要になりました。大量製造のための機械設備を入れると、その費用は約1000万円。その資金捻出のために、無利息無期限の出資を募ったところ、1週間で資金が集まりました。その資金を元に大型の機械を入れ、よりよい労働条件を整備することもできました。幸いにも、その後、社会福祉協議会を通じて多額の寄付をいただき、出資金を返済して、経済的にも自立できるようになりました。


「障がい者だけを集める」のではなく「障がい者“も”働く、暮らす」社会へ

クッキーの売上によって「おかし屋ぱれっと」の経営は安定していきましたが、私はかねてから「障がい者だけが集まって働く」ということに疑問がありました。障がいの有無に関係なく、「障がい者も働く」というもっと自然な環境での就労支援ができないかと考えました。そして1991年に株式会社ぱれっとを設立して「スリランカ料理&BEER Palette」をつくり、知的障がい者、健常者、スリランカ人の3者が融合して働く、スパイス創作料理とスリランカ・カレーを中心としたレストランを始めました。

実は当時、私は普通のカレー屋さんを出店しようと考えていたのですが、たまたま恵比寿の飲食店で働いていたスリランカ人の青年と出会い、彼の「日本のカレーはカレーじゃない」という言葉がひっかかって、スリランカにカレーを食べに行ったのです。そうしたら、スリランカのスパイスの効いたカレーがとてもおいしかった。スリランカ料理は日本ではあまりみかけません。これを日本人にも好まれるような味にアレンジしたら、差別化できて商売として成り立つかもしれない、と思い、スリランカ料理のレストランにすることにしたのです。

91年から2012年までの22年間、スリランカ料理を提供しながら、障がい者、健常者、外国人がともに利益を追求するために働く企業として、多くの人に愛していただきましたが、地価の高い恵比寿での経営はなかなか厳しく、残念ながら2012年12月に閉店しました。現在、新たな取り組みを模索しています。

同様に、障がい者だけを集めるのではなく、障がい者も地域の一員として自然に地域に交わるための暮らしの場をつくろうと、「障がい者と健常者が一緒に同じように暮らす」ための家をつくろう、という取り組みも進めてきました。

ぱれっとでは、障がい者の親の高齢化を見越して、1993年に暮らしの家「えびす・ぱれっとホーム」を地域につくり、障がい者が自立して地域で生活するためのホームの運営をしてきました。共同生活介護事業所(ケアホーム)として渋谷区から補助金を受け、また併設の知的障害者(児)緊急一時保護事業は同区より委託をうけて運営しています。

しかし、もっと障がい者を特別扱いしないで、地域の中で健常者と一緒に暮らすことができないか、と考えて2010年4月に障がい者と健常者が共に暮らす家「ぱれっとの家 いこっと」を開設しました。長年ぱれっとを支援してくださっている(株)東京木工所グループと(特)ぱれっとの協働事業として、(株)東京木工所グループと(特)ぱれっとで建物のサブリース契約を結び、(特)ぱれっとと入居者で賃貸契約を結んでいます。障害者支援などの制度にのっとったものではない、全く新しい取り組みです。基本的には入居者の家賃収入で運営を成り立たせています。現在は障がい者が2人、健常者が6人の8人で共同生活をしています。

「いこっと」は入居者同士のコミュニケーションを大切にし、自分たちで住まい方を作っていく家です。開設にあたっては、入居希望者や協力者が月に2回、1年間をかけて、どんな家を創りたいか議論を重ね、入居者同士がコミュニケーションのとりやすい工夫を盛り込みました。完成後は運営のためのボランティア組織として“いこっとサポットの会”を設け、(特)ぱれっとと協力して「いこっと」の運営をサポートしています。基本的には身辺の自立ができる人を対象としていますが、料理などの不得意な部分で少し協力をしてもらうことができれば、障がいがあっても一緒に暮らす上での大きな問題にはなっていません。障がいが軽度で身の回りのことが自立してできる方であれば、少しのサポートで、親や施設から自立した生活が十分可能なのです。この事業が成功し、モデルとして全国に広がることで、障がい者の暮らしの選択肢が広がることを願っています。

この「いこっと」の運営を通じて、「障害の定義は何か」ということも改めて考えさせられました。一緒に暮らしている様子をみると、障がいのある人ではなく、健常者と言われている人の方が病んでいる、と感じることもあります。長時間労働など働き方が尋常でなく心のバランスを崩してしまったり、掃除や洗濯、料理が全く身についていない人もいます。それはその人を働かせる社会のありようや、育ってきた家庭や親の問題でもあるわけですが、人間形成においては、障がいの有無が大きな問題となっているわけではないのです。「障害」とは一体何なのか。知的障がいだけが障がいではありません。障がい者かどうかではなく、人それぞれの個性や可能性を大事にした暮らしの豊かさや広がりが、地域の中で共に暮らし、支え合う中で見えてくるのではないかと思うのです。

100人のニーズには100通りのサービスを

私がアメリカの福祉サービスを視察していつも感銘を受けるのが、どんな障がいを持っていても人として認められる、ということです。障がいの有無に関係なく、人権が確立されている。アメリカで3か月間、研修を受けたことがありますが、そこで学んだ最大のことは「100人のニーズがあれば100通りの違ったサービスがある」ということです。一人ひとり人間は違います。だから一人ひとり支援のしかたも違って当たり前。「100人いれば100通りのニーズがあり、100通りのサービスがある。そのことを頭に入れて活動してほしい。それだけで、サービスのありようは全く違ったものになるから」と、研修の最後の日に言われたことを、今でも忘れられません。

他方で、日本で活動を続ける中では保護者の方々と衝突することもしばしばでした。「どうしてうちの子をそんなに働かせるのか」「あなたは障がい者を育てたことがないから、自分たちの気持ちがわかるはずはない」。そうした言葉の裏には、当然保護者としてのご苦労や、それをなかなかわかってもらえない世の中に対する憤りもあるでしょう。本音と建て前の違う保護者に翻弄されることもありました。こうした人たちを説得して納得してもらいながら、どのように新しい福祉のしくみを作っていくか。国の審議会等に委員として呼ばれて意見を求められることもありますが、行政の人たちは目線が高すぎて、現場をわかっていない、と感じることが多々あります。

アメリカでも以前は施設型福祉の時代がありました。施設に予算がつき、障がい者はその施設に入る。「それはコロニーだ。障がい者ももっと社会に出るべきだ」と訴えたニューハンプシャー州に住む1人のお母さんの裁判が、10年かけて勝利を勝ち取り、施設に予算がつく施設型福祉から、一人ひとりへのサービスに予算がつく形へと、徐々に変わっていったのです。このニューハンプシャー州での変化が全米に広がり、脱施設型の福祉が定着していくことになりました。

日本では、まだまだ地域の中で障がい者が自然に自立して暮らせる環境にはなっていません。施設型福祉も残っています。私たちは就労・暮らし・余暇などの生活場面において障がいのある人たちが直面する問題の解決をしようと、「社会に押し出す福祉」を進めてきたわけですが、障がいのある人たちが地域で当たり前に暮らせる社会は、障がいのない人にとっても、すべての人が人権を尊重されて暮らせる社会。そういう社会の実現のために、目の前にいる一人ひとりのニーズにあったサービスをつくりだしていくこと。それが30年前から今も変わらず、私たちがめざす、「すべての人たちが当たり前に暮らせる社会の実現」です

課題先進国会議 第2回~ソーシャルシネマから現代社会の課題を考える~申し込み受け付けを開始しました

 

「課題先進国会議」、第2回目は、現代社会の問題点にスポットを当てた映画”ソーシャルシネマ”を題材に、映画を見た後に、社会的企業家と、新しい社会システムのあり方とその糸口を模索する、「ソーシャルシネマ・ダイアログ」として展開します。ぜひご参加ください。

〔開催概要〕

  • 開催日時:2014年1月17日(金)19:00~22:00
  • 開催場所:スワンカフェ&ベーカリー赤坂店
  • ホスト:熊野英介さん(アミタホールディングス株式会社 代表取締役会長兼社長)
  • コメンテーター:海津歩さん(株式会社スワン 代表取締役社長)
  • 参加費:会員 2,000円、非会員3,000円 *スワンカフェの温かい珈琲とパン付きです。
  • 定員:30名
  • 視聴する映画:『サバイビング・プログレス - 進歩の罠』21 世紀を生き抜くための選択とは?めまぐるしいスピードで変化する世界で人類がサバイバルできるかは私たち次第。壮大なスケールで人類の生存について問うドキュメンタリー
  • 協賛:NEC
  • 協力:スワン
お申し込みはこちら
 
 

【レポート】『社会事業家100人インタビュー』 特定非営利活動法人 大杉谷自然学校 校長 大西かおり氏

「先輩社会事業家のビジネスモデルを学ぶ」

第20回社会事業家100人インタビュー

失われかけている地域の資源を、地域の強みに変える

―地域の自然と人々との交流で営む自然学校―

 

ゲスト:大西かおり様
(特)大杉谷自然学校 校長

 
<プロフィール>
昭和47年(1972年)三重県大台町生まれ。大杉谷自然学校校長。
大台町で生まれ育ち、平成13年4月大杉谷自然学校設立。
過疎高齢化の地域教育力を生かした環境教育を展開。
地域の文化伝統の消失、衰退について、また林業不景気による森林荒廃について環境教育
プログラムを通じて社会に問題提起を続けている。
<今回のインタビューのポイント>(インタビュアー IIHOE川北)

1980年代にはじまった先駆的な試み以来、全国各地に広がりつつある自然学校にとって最も大切なのは、施設や立地や自然環境でも、プログラムでもなく、それを運営するスタッフと地域の人々との関係の豊かさに他ならない。自然に学び、自然を守る心とスキルを育てる自然学校は、その自然とともにくらす人々との連携や協働、そして信頼や日常のくらしの共有によってこそ成り立っていることを、大西さんの経験と姿勢から学んでほしい。

————————————

これをしなければ生きていけない、ことがカギ

大杉谷自然学校を設立した、自分自身にとっての動機は、「実家に帰ってきて暮らすためにできることは何か」という問いでした。

私は大台町生まれで、大学卒業直後に青年海外協力隊としてフィリピンに行きました。「社会に貢献する仕事をしていきたい」という想いはずっと持っていたのですが、協力隊から帰ってきて、これからどこで暮らしていくかを考えた時、大台町しかないと思いました。家があるので家賃がかからない、暮らしていく上でお金があんまり必要じゃないということも、どう暮らすかを考える上でとても重要でした。「自然が好き、子どもが好き」だからではなく、「自分がどのように大台町で暮らして食べていけるか」を考えた結果、「これからは環境教育だ!自然学校がいいのではないか」と考えたのです。地域活性化等の事業に取り組む人がどう食いつないでいったらいいのか、どうやったら事業を続けていけるキーマンを育てられるのか、という質問を受けることがありますが、私は「それをしなければ生きていけない人を投入すること」が一番いいと思います。

大杉谷地区は、高齢化率は約70%(2013年1月時点)。私の住んでいる地域では先日、10年に一度の地域全体での水道管の大掃除を行いましたが、私以外の住人はほとんど70歳代。「(10年後の)次はないかもね」という話が、本当にリアルなんです。今何かしないと、本当にこの地域は消えてしまう。実際になくなってしまった集落がいくつもあります。そんな状況の地域で、今から13年前に、小学校廃校の代替案として、「大杉谷自然学校」の企画を町に提案しました。人口減で学校の統廃合が進む中、町の方針ともリンクして、大台町の環境教育を大杉谷自然学校で実施することになりました。町役場との関係は当初から深くありましたが、町立ではなくNPOとして、建物は廃校を間借りする形で、2001年(平成13年)に大杉谷自然学校を設立しました。

ライバルはゲーム

大杉谷自然学校は、環境教育、調査研究、地域支援の3つの事業を行っていますが、特に大事にしているのは、体験が少ない人への教育の場をつくること、地域の知恵を伝えること、そして昔の日本人のすごさを感じてもらうことです。

現代の子どもたちの中には、火をみたことのない子が増えています。川遊びも魚釣りもしたことのない子がいます。圧倒的に体験が少ないのです。大杉谷地域は、一部を吉野熊野国立公園に、全体を奥伊勢宮川峡県立自然公園に含まれる自然豊かな地域であり、一級河川である宮川の源流部に位置します。この清流・宮川をフィールドにした子どもの自然体験プログラム「わくわく宮川体験キャンプ」を毎年開催して、子どもたちがキャンプをしながら川遊びや魚釣り、ナイトハイク、ご飯作りなどをする機会をつくっています。

そうした体験の中での子どもたちの学びは、それぞれの関心や個性によってさまざまで、学びの広さ・深さは、到底、私達が把握したり、計ったりできるものではありません。子どもたちの学びは本当に多様で、明確な目標や評価に落とせるものではないのです。そういった一人ひとりの学びの多様性を大切にしていくことが、リピーターの子どもたちを増やし、最終的には自然学校の収入にも結び付くポイントであると思います。

2005年から2012年までの8年間、年平均で130件・約4100人に活動を提供しています。2012年の総収入3476万円のうち、78%が事業収入で、最近は国の事業も実施するようになり、約28%が国・県等行政、23%が大台町、他に大杉谷地区の区長や住民と共に設立した移住促進協議会関連や主催事業による収入です。

私たちのライバルは、他の自然学校や体験教室などではなく、ゲームや塾、おもちゃなど、親がお金を払う先全てです。少子化によって、参加者となる子どもは取り合いの状態で、厳しい状況の中で、子どもたちの体験の機会をいかにつくり、守っていくかが重要です。その意味では、私たちが働きかけるべきなのは、子どもたちよりも、むしろ親たちなのかもしれません。子どもたちの体験の大切さを理解し、大杉谷地域のような地域の中での暮らしを親たち自身が体験することが必要でしょう。そのため、大杉谷自然学校では親子で参加できる体験プログラムも企画しています。

昔の人のすごさを伝える

大杉谷地域の高齢化率は約70%だと言いましたが、私はある意味で、とても幸せな数字だと思っています。地域の高齢者から、たくさんのことを学べるからです。地域の暮らしの中には、たくさんの知恵やアイデアが詰まっています。例えば鮎の伝統漁法「しゃくり」。鮎を針で引っかけて捕る方法ですが、これは鮎の生態を熟知していなければ生まれなかった漁法です。また、山に入って自然の恵みを採り、薪を割って火をたき、かまどでご飯をたく、という行為。今ではそうした場も減ってきていますが、特に東日本大震災後に若い人たちの間でも、昔の暮らしを大切にしようという動きが増えてきました。そうした人たちのモデルになるのが、地域でしっかり暮らしている人たちで、地域のおじいちゃん、おばあちゃんの知恵や技を伝えていくことは本当に大切なことです。

当校でも、「大杉谷孫さんクラブ」として、田舎のおじいちゃんおばあちゃんのところに遊びにいく気分で、地域の人から伝統漁法や炭焼き、山の幸を使った料理や木工細工まで、様々な知恵を教わるプログラムをつくっています。地域の自然と共存しながら、食べ物だけでなくエネルギーも自給して暮らしていた日本人。雪の中でも乾布摩擦を欠かさないような、昔の勤勉な“ネイティブジャパニーズ”から、私達は今こそ学ぶべきだと思うのです。


何かしなければ地域ごと消えてしまう

大杉谷自然学校が入っている、廃校になった小学校は、集落のはずれにあります。最初からはずれにあったわけではなく、間にあった集落が次々となくなり、小学校が集落のはずれになったのです。昭和30年(1955年)には2986人だった大杉谷地区の人口は、2013年1月現在275人。非常に過疎化が進んでいます。大杉谷自然学校を設立してから4年目頃まで、運動会を開催していましたが、地域住民全体を対象にした運動会なのに、高齢者しかいませんでした。それを見て、「これはいけない。この地域はやがて消えてしまう」と思いました。

それまでは自分の組織のこと、食べていくことで精いっぱいだったのですが、この頃から、「今何かしなければ、地域が消えてしまう」という危機感を強く持つようになりました。当初は自然に親しむ機会の少ない子どもたちに体験をしてもらうことを目的につくった自然学校ですが、地域がなくなれば、自然学校ももちません。そこから、地域の高齢者から学ぶプログラムをつくるようになりました。結果として根源的・本来的な自然学校の意味の発見につながったと思っています。

人は「地域が滅びる」、しかもそれが自分の住んでいる地域で起こる、なんて露ほども思わないですよね。でも、高齢化が進みすぎてからでは遅いのです。大杉谷地域ほど高齢化が進むと、いろいろな機能を維持することが難しくなって、ついに葬式を地域で出すこともできなくなりました。集落機能の低下は、地域で助け合うことを難しくし、家族や親戚が少ない中では地域に住み続けることはできません。こうした状況になる前に、地域は手を打たなければなりません。気づくのは早いほうがいい。

他方で、行きすぎた高齢化社会だからこそ見える将来像もあります。大杉谷地域は、人口減少数が大きいため、少なからず流入人口が必要です。今から15年くらい前までは、地域に人が入ってきても、受け入れない風潮がありました。でも、今はもう限界であることが分かっています。よって、移住政策が必要であるという意見が多くなりました。自然学校の事業と、地域の課題解決のための事業を掛け合わせることもできます。そうやって新しいコミュニティづくりができる土壌はできてきたのではないかと思います。

私は、必ずしも、お金を稼げる人が地域を継ぐ人なのではないと思います。その地域の中の価値観はお金では計れないからです。地域活性化のポイントは「それをしなければ生きていけない人を投入すること」と表現しましたが、移住が成功するかどうかのポイントも、「たとえ仕事がなくても、この地域に住みたい」という強い想いがあるかどうかではないでしょうか。

その人が本来的に求めているリターンが何なのか、大切にしている価値観が何なのか、地域の暮らしの中でそれを満たすことができれば、例え経済的に豊かでないとしても、その地域で充実した人生を送ることができます。日本の地域社会に残された循環型社会のヒントを伝えていくことは、大杉谷自然学校の使命でもあります。私達は地域のおじいちゃんおばあちゃんたちから、地域で生き続けるための知恵や工夫、そしてその価値観や生き方を、今こそ学ぶべきだと、改めて強く思います。

12月12日 ソーシャルビジネス・カフェの参加申し込み受け付けを開始しました

 

今回の「ソーシャルビジネス・カフェ」は2つの目的で開催します。

1つは、「社会を変えたいという思いと、そのプランを共有し、みんなでよりよいものにしていく」こと。
もう1つは、「これからの日本を担っていく、若手社会企業家をサポートする」こと、です。

イベントは2部制となっています。

 第1部は、「ソーシャルビジネス・プレゼンテーション」。
フレッシュなアイデアを持つ4名の若手社会企業家のプレゼンテーションを共有します。

そして第2部は、 「先達と若手が語る膝詰め座談会」。
社会企業家の若手と先達が顔を合わせ、若手が先達の知恵とノウハウに触れることで、
事業の底力を強化し、これからの日本を担っていく社会的事業を、より持続可能なものにしていくことを
目的としています。講演会という形で、先達の成功の秘訣を学ぶ機会はありますが、
今回のように”膝詰め”で、じっくりと相談できる機会は、あまりないのではないでしょうか・・・。
5名程度のテーブルに分かれて語り合います。
ここには参加者のみなさまにもお入りいただき、思いや事業を共有し、
応援していただければと思います。 

詳細はPDFファイルのチラシをご覧ください。参加をお待ちしています!

申し込みはこちら

社会事業家100人インタビュー 第21回 参加者募集 (ゲスト:(特)ぱれっと理事谷口奈保子氏)

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆社会事業家100人インタビュー 第21回
 2013年11月12日(火)19:00~21:00 
————————–————————–——

余暇活動からクッキー販売・レストラン運営、ケアホームの運営、国際支援まで
~知的障害者への支援をビジネスとして成り立たせる工夫

ゲスト:(特)ぱれっと 理事 谷口奈保子様
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆◇

先輩社会事業家から“ビジネスモデル”を学ぶ「社会事業家100人インタビュー」!
第21回のゲストは(特)ぱれっと 理事 谷口奈保子様です。

障害がある人も、全ての人たちが当たり前に暮らせる社会を実現しよう、と30年前から、知的に障害のある人たちを対象に、余暇活動支援(たまり場)や就労支援(レストラン・クッキー製造販売)を展開してきた(特)ぱれっと

障害者、健常者、外国人がともに働き、自らの雇用を生み出すレストラン(居酒屋)の経営や、障害者と健常者が共に暮らす家、自立して地域に暮らす住まい方の提案など、様々な挑戦を行ってきたぱれっとの、事業展開の可能性の見極めとビジネスとして成立させるための工夫を、学びます。

───────────────────────────────────
● ゲスト:(特)ぱれっと 理事 谷口奈保子様
───────────────────────────────────
特定非営利活動法人ぱれっと 理事
ぱれっとインターナショナル・ジャパン 代表
社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク 副代表理事

プロフィール:
1942年、中国東北部生まれ(瀋陽市)
1946年 9月に家族と共に北海道滝川市へ引き揚げる
明治学院大英文科、福祉学科卒
渋谷区社会教育課主催えびす青年教室常任講師を9年間務める 。

1974年に長女が小児癌で亡くなり、その事がきっかけで34 歳(1976 年)より病院ボランティアを始め(週1回、難病児と付き添いの親を訪問し、話し相手や中学生の英語の勉強相手など)、9年間続ける。
37 歳(1979 年)の時母校に戻り福祉学科で3年間学び、在学中に教育実習をした青鳥特別支援学校で2年4ヶ月間、先生ボランティアをする。

1983年に「ぱれっとを支える会」を設立し、知的障害者のための余暇活動の場「たまり場ぱれっと」、1985年に働く場「おかし屋ぱれっと」、1991年に「スリランカレストランぱれっと」、1993年に暮らしの家「えびす・ぱれっとホーム」を地域につくる。
1998年に5つめのセクション「ぱれっとインターナショナル・ジャパン(PIJ )」を立ち上げ、1999年10月10日にスリランカに障害者が働く作業所「Palette」(NGO登録)を開所する。
2009年、国情の悪化によりPaletteの運営継続を断念。Paletteの10 年間の働きが企業を動かし、スリランカ最大手の製菓会社がNPOのクッキー工房を設立。
Palette のスタッフ及び通所員は、立ち上げメンバーとして雇用。

2002年4月1日に法人格を取得し「特定非営利活動ぱれっと」に名称変更。
2010年4月障害者と健常者が共に暮らす家「ぱれっとの家 いこっと」を開設。

2003年12 月「第4回ヤマト福祉財団賞」受賞
2006年11月「第 10 回糸賀一雄記念賞」受賞
2011年10月 第2回(社団)日本経営士会「ビジネス・イノベーション・アワード」優秀賞受賞
2012年10月「第10回読売福祉文化賞 」受賞

───────────────────────────────────
● 開催概要
───────────────────────────────────

日時:2013年11月12日(火)19:00~21:00

場所:ソーシャルビジネス・ネットワーク(SBN)事務
東京都港区南青山1-20-15 ROCK 1st ソーシャルビジネス・ネットワーク(SBN)事務所
(地下鉄千代田線 乃木坂駅 3番出口より徒歩3分)
http://socialbusiness-net.com/about/access

定員:15名

参加費:  
 SBN会員: 1,500円
 SBN非会員: 2,500円
  http://socialbusiness-net.com/

※うち500円は、ゲストの指定する寄付先に寄付させていただきます。
 (参加費は当日、受付にて徴収させていただきます)

※同日にSBN会員申込していただくと、会員価格でご参加できます。

対象:
社会事業家として事業を始めている方、これから始めようとされている方、ビジネスモデルの作り方を先輩社会事業家から学びたい方

主催:一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク(SBN)、IIHOE [人と組織と地球のための国際研究所] 

───────────────────────────────────
● プログラム
───────────────────────────────────

◇ ゲストのご紹介、趣旨説明
◇ ゲストご自身からビジネスモデルの紹介
◇ インタビュー
  インタビュアー:ソーシャルビジネス・ネットワーク理事、  
  IIHOE代表者 川北秀人
◇ 参加者からの質疑応答

・参加者からの質疑応答の時間を設けますので、
 ご参加いただく方は1人1回はご質問ください。

・ゲストの事業についてご理解いただくために、事前資料をお送りします。
(参加申込いただいた方にご連絡します。)

・希望者の方は終了後に1時間程度懇親会にご参加いただけます。
(同会場にて。2000円程度予定)

───────────────────────────────────
● 申込みについて
───────────────────────────────────

下記URLのフォーマットに記入の上、11月11日(月)までにお送りください。
定員になり次第、締切らせていただきますので、お早目にお申込みください。

http://goo.gl/skWyL

※開けない場合は、メールにて、お名前、ご所属、ご連絡先(eメール、電話番号)、SBN会員有無、懇親会参加可否 を書いてお送りください。
送付先 hoshino.iihoe@gmail.com

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【お問い合わせ先】
————————–————————–——————-
 IIHOE[人と組織と地球のための国際研究所] 担当:星野
 hoshino.iihoe@gmail.com 070-6971-3523

※本事業はSBN理事を務めるIIHOE川北と、SBNとの協働事業のため、申込対応業務をIIHOEにて担当しています。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【レポート】『社会事業家100人インタビュー』 株式会社大地を守る会 代表取締役社長 藤田和芳様氏

「先輩社会事業家のビジネスモデルを学ぶ」

第19回『社会事業家100人インタビュー』

~運動と事業の両輪で有機農業の市場をつくる~

 

ゲスト:藤田和芳様 
(株)大地を守る会 代表取締役社長

 

<ゲストプロフィール>

1947年岩手県生まれ。出版社勤務を経て、1975年に有機農業普及のNGO「大地を守る会」設立に参画。

1977年には、大地を守る会の流通部門として、ソーシャルビジネス(社会的企業)のさきがけとなる「株式会社大地」(現・株式会社大地を守る会)設立。

有機農業運動をはじめ、食糧、環境、エネルギー、教育などの諸問題に対しても積極的な活動を展開している。韓国、タイ、インドネシア、中国、モンゴル、パレスチナ、ドイツ、スペインなどへも度々訪れ、アジアを中心に、世界各国の農民との連携を深めている。

1980年、「全国学校給食を考える会」設立に参画、事務局長に就任。

94年秋より、「国産のものを食べよう」「市民の手で、コメ、麦、大豆の自給を進めよう」と提案する「THAT’S(ザッツ)国産」運動を行なっている。

2003年から、夏至と冬至の年2回、電気を消してキャンドルを灯し、ゆっくりした時間を過ごす「100万人のキャンドルナイト」に取り組んでいる。

2013年からは、中国農村部の貧困問題に取り組むNGO「北京富平学校」と提携し、北京にて有機農産物の宅配事業を立ち上げている。

現在、株式会社大地を守る会代表取締役、早稲田大学非常勤講師、ソーシャルビジネスネットワーク代表理事、「100万人のキャンドルナイト」よびかけ人代表、アジア農民元気大学理事長、アジア民衆基金会長などを兼任。

 

<今回のインタビューのポイント>(インタビュアー IIHOE川北)

わずか十数年前まで、「運動」と「事業」は別のもの、と考えられていた。そのパラダイムに挑み、見事に打ち破ったのが、有機農業分野の先輩方だ。もはや今日、事業が社会を変える手法であることに疑問を投げかける人はいないが、逆に、事業しかしていない、自分たちのことしか視野に入っていない団体や会社も、増えてしまっている。社会事業家が社会を変えるために、なぜ、運動と事業は同じ視野で実践されなければならないのか。その世界的パイオニアから学んでほしい。

 

————————————

デモや勉強会じゃ社会は変わらない

 

大地を守る会は、1975年に有機農業運動を担うNGO「大地を守る市民の会」(1976年に名称を「大地を守る会」に変更)として設立され、その2年後1977年には、同会の流通部門として、「株式会社大地」(現・株式会社大地を守る会)を設立しました。NGOで脱原発の運動もするし、株式会社でビジネスもする。そうしてNGOと株式会社を車の両輪として、事業展開してきました。農薬に頼らない農業を広げるためには、誰がそれを買うか、という出口まで作らないといけません。運動体として、農薬を使わない農作物の大切さを説き、有機農業に転換した農家には全量買い取りを約束する。その一方で、会社で流通を作り、消費者に有機野菜を売っていく。これは有機農業を広げる運動であり、ビジネスでもある。その両方を常に持っていることが大事なのです。出口のない運動だけでは広がらないし、デモや勉強会だけでは社会を変えることはできません。

大地を守る会は、運動とビジネスをこれまでそれぞれ別の組織を持って実施してきましたが、2010年に、NGO大地を守る会と株式会社大地を守る会を合併し、社会的企業としての株式会社の中で理念を掲げ、運動とビジネスを両方やるという挑戦を始めました。

そのために、株式会社大地を守る会の定款を変更し、日本国憲法のように「前文」を作りました。前文では、大地を守る会は「社会的企業である」と宣言し、その果たすべき使命は、「日本の第一次産業を守り育てること」「人々の生命と健康を守ること」「持続可能な社会を創造すること」であるとしました。私たちはこの定款前文に基づいた農作物を扱っていきます。

将来、私たちは社会的企業であることを掲げて株式公開する可能性もあります。その時には、営利追求のための企業ではなく、社会的企業としての株式会社大地を守る会の役割を広く社会に伝え、それに共感する人に選んでもらえる企業にしていきたいのです。

 

青空市場から共同購入、そして、宅配へのモデル転換

 

農薬に頼らない野菜を作り売る、ということは、流通に都合のいいように農作物を作り替える現在の農業のあり方に異を唱えること。消費者から見れば、形がいびつで扱いにくいものがあるかもしれません。しかし誰がどんな農法でつくったのか、栽培した畑の情報や野菜の履歴を示し、消費者に有機野菜のよさを理解していただかなければ、提携する有機栽培農家に全量買い取りの約束をし続けられません。

創業当時、江東区の団地の中でゴザをひいて野菜を売っていました。最初は誰も相手にしてくれません。「どこで採れた、農薬を使わない安全なおいしい野菜ですよ」と説明し続けて、少しずつ理解してくれる消費者を増やし、青空市の場所も増やしていきました。

 

消費者が増えると、お客さんに「グループを作ってほしい」とお願いし、そのグループに野菜を売る、という共同購入の制度を始めました。私たちはトラックでじゃがいも10キロとかほうれん草20把とか、農家が出荷したダンボールのまま各グループを回って、グループ全体の注文の量を置いていく。そしてそのグループの消費者が集まって、自分たちで仕分けをする。私たちはこれを「ステーション」と呼んでいました。そのステーションでは、生産者の苦労話や、子育てや政治の話などが話されて、消費者が集うオアシスのようになりました。ステーションの運営はそれぞれのグループに任されていましたから、1つ1つのステーションが自立してたくさんのオアシスができることが、単に野菜を売るだけでない、我々の運動でもありました。

しかし、女性の社会進出が広がるにつれて、共同購入に限界を感じるようになりました。共同購入のしくみでは、昼間に家にいる専業主婦にしか売ることができない、ということに気づいたのです。その頃は、会員数が2,000人程度になっていたものの、昼間に家にいない等の理由で新たなステーションの設立や参画をためらう消費者が多く、なかなか会員数が増えなくなっていました。

そこで、一軒一軒に野菜を届ける、宅配の事業を始めようと思い立ちました。しかし、これまでの共同購入のステーションに大きな意義を感じてくださっている消費者もいます。その方たちの中には「消費者相互のコミュニケーションが希薄になり、ステーションそのものがバラバラになってしまうのではないか」という反発もありました。

結果として、昼間は共同購入のグループに野菜を届け、夕方以降は個宅に宅配をする、ということを始めました。そうすれば、同じトラック・配送員が共同購入も宅配も担うことができます。そして情報誌の充実や生産者との交流の場の設定など、宅配の消費者にも、生産者との接点を多く設けることにしました。

はじめは配送センターのある調布で、センターの半径5キロ圏内に絞って宅配を始めました。共働きの家庭やお年寄り、あるいは障碍をお持ちの方など、ご希望なら冷蔵庫まで野菜をお持ちします、その代わり配送は17時から24時にかかってしまうことがあります、と書いたチラシを配りました。1985年のことです。その結果、爆発的に会員数は増加しました。

しかし、会員数を増やすということと、ビジネスの形を作っていくこととは違います。例えば宅配のための仕分けの作業。会員数が3,000人を超えた頃には、人海戦術の仕分けでは追い付かなくなっていました。消費者ごとの注文に合わせて、「じゃがいも1キロ、小松菜2把」、など読み上げて小分けの箱詰めをしていたのですが、会員数が増え、注文の箱の数が増えるとその仕分けの声が聞こえなくなり、ミスが発生します。そこで仕分けの管理をコンピューター化して、宅配のシステムを独自に作っていきました。それにより会員数増に対応できるしくみが出来上がり、宅配エリアを半径5キロから半径10キロに、さらにその外にも、そして日中も、というように宅配の件数が拡大していきました。今では、大地を守る会の生産者は2,500人、消費者の会員は約96,000世帯、ウェブ上の買い物ユーザーが約81,000人、計約17万7千人(2013年6月末時点)の消費者に大地を守る会の野菜をお届けしています。

今振り返れば、青空市だけをやっていたら、大地を守る会を大きくすることはできなかったでしょうし、共同購入というビジネスモデルの上に漫然としていたら、潰れていたでしょう。それぞれの転換期に悩み、自分たちのシステムを作っていった、ということが、その後の大地を守る会の基礎になっていきました。

 

 

 

百の説法より畑へ

 

次に大切なのは、お客さんにどうやって信頼してもらうか、ということ。もちろん、有機栽培のおいしい野菜、という商品の力があることが大前提ですが、もっと大事なのは、消費者をどう運動の部分に巻き込むか、ということです。簡単に言い換えれば、消費者と生産者を結びつけること。農薬の恐ろしさや、有機栽培の意義をどんなにたくさん言葉で重ねるより、直接畑に行って見て、生産者の話を聞いてもらうことで、伝わるものがあります。

だから大地を守る会では、毎週のように生産者の元を訪れる交流会の機会を作り、消費者と生産者をつないでいます。これは一見、大きなコストのように思えますが、生産者と直接つながることで、消費者が他の業者に「浮気」をしなくなります。「あの農家は私の友達だ」と感じてもらえれば、継続的に商品を買ってもらえるし、客単価も上がります。

さらに、大地を守る会が脱原発や遺伝子組み換え食品への反対、TPPへの反対などの市民運動を展開していることで、そういう取り組みをしている団体だという関心を高めることにもつながります。こうした運動の部分に消費者を巻き込むこと、例えば集会などに誘い、関心を高めてもらうこと、共感してもらうことでさらに熱心なファンをつくっていくのです。運動に熱心になればなるほど、その人は大地を守る会以外には「浮気」をしなくなりますから。そうやって、運動をやりながらビジネスが成り立っているのです。

国内だけでなく、日本で採れないものを海外から輸入する場合も、出来る限り顔の見える関係でフェアトレードをするように努め、なぜその地域から、その生産者から購入するのか、という理由を消費者に伝えています。コーヒーは、独立の過程で大きな犠牲が出た東ティモールで栽培された豆を購入し、オリーブオイルはイスラエルとの関係で爆撃の絶えないパレスチナの農家から、そしてHIVに感染している子どもが非常に多い南アフリカからは有機ルイボスティーを輸入し、その売上げの1%を、それぞれの地域の学校に寄付しています。

例えば家庭でサラダを食べる時、福島県の農家の佐藤さんが作ったトマトと、埼玉県の吉澤さんがつくったレタスに、パレスチナのオリーブオイルをかけながら、それぞれの生産地のことを親子で話してもらえたらどんなに素晴らしいことか。そういう活動を理解してくれる人はヘビーユーザーとなり、客単価がどんどん上がっていく。そうやって運動と事業が密接につながっていくのです。

 

運動が事業の足腰を強くする

 

例えば小さな町の小さな豆腐屋さんを想像してみてください。地域に根付いた手作りの豆腐屋さんであれば、地域の農家からとれた大豆、しかもできれば農薬で地域環境を汚染していない無農薬の大豆を使って豆腐を作りたいと思うでしょう。しかしそういう材料を使って作った豆腐は、近所のスーパーの豆腐より高くなります。商売を続けるためには、毎日200人に豆腐を買ってもらわなければならないとすると、そのお客様が10日に1回来てもらうとして、最低でも2,000人位の友達やお客さんを作らなければいけない。でも2,000人に思いを届けるためには、豆腐だけでは伝わらない。豆腐以外のメッセージを伝えないといけない。そういう時に、「あの豆腐屋は単なる豆腐屋ではなく、原発の話もできるらしいぞ」とか、「パレスチナの問題に取り組んでいて、国際問題に詳しいらしい」など、話題になるためのなんらかの物語がなければいけない。豆腐だけでは物語を作ることは難しいんです。

だから運動の力で人を巻き込み、社会に働きかけることが必要です。例えその運動と本業が直接つながらなくても、面白がってもらえるだけでもいい。大地を守る会では夏至の日に電気を消してスローな夜を過ごそう、という「100万人のキャンドルナイト」という運動をしていますが、大地を守る会の事業との直接のつながりはありません。「100万人のキャンドルナイト」をやっているのが大地を守る会だということもあまり知られていません。でも、それでいいんです。間接的に人をよせつけるということ、そしてその組織の奥の深さを見せること、それが事業の足腰を強くすることだと思っています。直接の顧客は広がらなくても、共通の価値観の根っこのところを広げていく。それが結果的に自社の顧客に結びつくと思っています。

 

信頼というビジネスを中国へ。そして世界の農業を変える

 

今年7月、北京で現地NGOと合弁で宅配事業を立ち上げました。日本の野菜を売るのではなく、これまで大地を守る会が培ってきたノウハウを伝え、中国の農家に有機野菜をつくってもらい、中国の消費者の玄関先にまで宅配する、というビジネスを開始したのです。

3年程前から準備をはじめ、中国の農家の人たちに日本の有機栽培農家を見てもらい、ノウハウを伝えるなどの取り組みをしてきました。現在、500人程の消費者の会員がいますが、産地が水浸しになったり、野菜が計画通り出荷されなかったり、トラックから野菜が全部盗まれる、といった様々なトラブルが起こっています。

しかし今の中国は、日本で大地を守る会を始めた時と同じ状況にあります。環境問題があり、農薬の使用が広がり、公害も広がって食べ物の安全性が脅かされている。廃油を食用として転売する業者もいます。安全性を求める消費者の意識は高いのに、それが果たされていない。そのジレンマの中に「信頼」を持ちこんだら大きなビジネスになる。もし、中国の農業が有機農業に転換し、環境問題に配慮した無農薬の農作物が広がれば、世界の農業が変わるかもしれない。そして生産者と消費者、人間と人間が信頼という形で結びつくことができたら、それは国境を越えた世界の平和につながるかもしれない。

中国の人たちは、環境や食の安全に関する情報に飢えています。おそらくそれは、ほかのアジアの国にとっても同じでしょう。これから中国での5年間の事業計画を成功させたら、アジアに大地を守る会を広げていきたい。そして同時にビジネスとしても成功させたい。運動とビジネスを同時に進め、消費者と生産者をつなげることで、世界の農業はきっと変わると私は信じています。

 

課題先進国会議~いま最も大切な問いについて語り合う時間~宮台真司さんと語る 申し込み受け付け中

課題先進国会議~いま最も大切な問いについて語り合う時間~宮台真司さんと語る 
申し込み受け付け中

3.11の震災、原発事故をきっかけに、本当に大切なものは何だったのか、
どういう生き方、暮らし方をしたかったのかを見直すことになった人は多かったのではないかと思います。

この企画は、食の安全、環境保全、多様な教育機会の提供など、社会の”おかしい”の解決に
取り組んできた社会企業家が、社会学者やアーティストなど異分野の方を毎回1人招き、
「これから私たちはどうしていったらよいのか」について語り合うトークセッションです。

社会的企業家のトップランナーである、藤田和芳、熊野英介が、毎回1名、異分野の方をゲストにお招きし、
3.11をきっかけとして“課題先進国”としての姿が浮き彫りとなった日本において、いま何が問題なのか?、
その問題の解決のためには何が必要なのか?というシンプルな問いから、新しい社会システムのあり方と、
その糸口を模索していくトークイベントを、シリーズで展開します。  

第1回目は、11月 23日(土)、宮台真司さんをお招きし、スワンカフェ&ベーカリー赤坂店にて開催します。

ご自身も二人のお嬢さんを育てていらっしゃることからも、経済や社会システム論にとどまらず、
育児、教育制度、原発、エネルギー、少子高齢化など、様々な社会的課題に対して深い考察と
発言をされている宮台真司さんと、 これからの日本について語り合ってみませんか?

■開催日: 11月 23日(土)18時~20時

■開催場所: スワンカフェ&ベーカリー赤坂店
        銀座線 虎ノ門駅より徒歩5分
        南北線 溜池山王駅より徒歩5分
        丸の内線 国会議事堂駅より徒歩6分

■募集人数:30名
        ※受付は終了いたしました。 

■資料代:会員)1,000円、非会員)2,000円

■協賛:NEC

■お問い合わせ先:
       一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク
       担当:石井 E-mail:ishii@socialbusiness-net.com 電話:03-6820-6300

イベント「社会的企業家と語るポスト3.11~日本と私のこれからを考える」開催のご案内

3.11をきっかけとして、新しい生き方、働き方を模索し始めた方は多いのではないでしょうか?
このイベントは、人や地球に優しい生き方、働き方を実践している社会的企業家のトップランナーから
学び、語り合うイベントです。

講師は、「思考するカンパニー―欲望の大量生産から利他的モデルへ 」著者の、
熊野英介さん(アミタホールディングス㈱代表取締役会長)、障がい者雇用によるカフェ、
ベーカリー運営を全国に展開する海津歩さん(㈱スワン代表取締役社長)、
「風で織るタオル」、「コットンヌーボー」で世界的なエコタオルブランドを確立した池内計司さん
(池内タオル㈱代表取締役社長)です。

開催時間は2013年10月5日(土)18時~20時半。
少人数、対話型のイベントです。ぜひご応募ください。

 

———————————————————–

 

 

このイベントは、「生き方・働き方を変える大学」のスーパーゼミナール

https://socialbusiness-net.com/contents/news1813)の初回のプログラムの一部ですが、
当ゼミナールの説明会を兼ねて実施致します。

1.社会的企業家によるセッション

熊野英介(アミタホールディングス㈱ 代表取締役会長 兼 社長/SBN副代表理事)

海津 歩(㈱スワン 代表取締役社長/SBN常務理事)

池内計司(池内タオル㈱ 代表取締役社長/SBN理事)

  ファシリテーター: 町野弘明(SBN専務理事・事務局長)

2.「生き方・働き方を変える大学」のスーパーゼミナール説明会

■実施概要:

開催日時:2013年10月5日(土)18時~20時30分
募集人数:30人(先着順)※定員になり次第、〆切と致しますことをご了承ください。
参 加 費:無料
会場:都内 港区南青山付近 ※ご参加される方に後日、ご案内致します。
対象:働き方、仕事、ビジネスを通じて、自分の生き方を考えたい方/
ソーシャルビジネスに取り組みたい方/被災地で支援活動をしたい方/18歳以上 

■申込方法:メールに、氏名、職業、連絡先(電話、メールアドレス)を記入頂き、
info@socialbusiness-net.com へお送りください。

■お問い合わせ:info@socialbusiness-net.com
「生き方・働き方を変える大学」 イベント担当:石井

■講師紹介

熊野英介
1956年兵庫県出身。アミタホールディングス㈱代表取締役会長兼社長。
「持続可能社会の実現」を掲げ、他社に先駆け再資源化事業を開始。
総合環境ソリューション企業として事業領域を拡大している。

海津 歩
1960年東京都出身。85 年ヤマト運輸㈱に入社。各地の営業所長、支店長を歴任。
2005年「スワンベーカリー」を経営する㈱スワンを、引き継ぎ、代表取締役社長に就任。
「障がい者の自立」を目的とし、障がい者を雇用したスワンベーカリーを全国展開している。

池内計司
1949年生まれ。71年松下電気産業(現・パナソニック㈱)入社。83年、池内タオル㈱入社、
代表取締役に就任。環境に配慮した質の高いタオルを製造し、国内のみならず世界中で
高い評価を受けている。

町野弘明
1962年生まれ。流通企業、社会情報系シンクタンクを経て、2001年、
日本初のソーシャルマーケティング専門のコンサルティング・ファームを創業。
2010年、(社)ソーシャルビジネス・ネットワークを設立、専務理事・事務局長に就任。
なつかしい未来創造㈱取締役副社長。

 

社会事業家100人インタビュー 第22回  11月30日に静岡にて開催決定!!

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   社会事業家の先輩にビジネスモデルを学ぶ!
社会事業家100人インタビュー 第22回
   @静岡県葵区開催!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

日本にも産後の女性の健康をサポートするしくみを
―産後ケアの社会的必要性を広く伝える―

・ゲスト:吉岡マコ様
     (特)マドレボニータ代表  

────────────────────────────────
2013年11月30日(土)10:00~12:00
アイセル21(静岡県葵区)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆◇◆

ゲストは、(特)マドレボニータ代表の吉岡マコさん。
自身の体験を新しい社会課題としてどう整理し、解決のための仕組みをつくってきたのか。
ひとつひとつのプロセスを紐解き、吉岡さんのビジネスモデルに学びます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「社会事業家100人インタビュー」@静岡
11月30日(土)10:00~12:00

ゲスト:(特)マドレボニータ 代表理事 吉岡マコ様
自身の産後の経験から、産後の女性の健康をサポートするしくみが日本にはまったくない
ことに気づき、1998年に「産後のボディケア&フィットネス教室」を立ち上げ。
「私以外にも困っている人はきっといるはず!」という信念の下、
産前・産後に特化したヘルスケア・プログラムの開発、研究・実践を重ね、
2007年に(特)マドレボニータを設立。
同年より、産後ケアのインストラクター認定制度を作り、産後ヘルスケアのプロを養成。
09年からは産後のリアルを伝え、周囲からの適切なサポートにつなげてもらおう、と
『産後白書』を発行して産後ケアの社会的必要性を広く伝える活動を行っている。

会 場:アイセル21(葵区東草深町3-18)3階 31集会室

定 員:30人(先着順)

参加費:1,500円(参加費は当日、受付にて徴収させていただきます)
  ※うち500円は、ゲストの指定する団体等に寄付させていただきます。

対 象:社会事業家として事業を始めている方、これから始めようとされている方、ビジネスモデルの作り方を先輩社会事業家から学びたい方。

申込方法:
9月24日(火)午前10時より、受付開始。フォーラムしずおかまで、
下記①~⑤をメールもしくは、電話でお申込みください。

①参加者氏名 ②電話番号 ③生年(西暦) ④所属先 

※事前資料をメールでお送りするため、電話でお申込みいただいた場合も、
申込み先メールアドレスに、空メールをお送りください。  

申込先:(特)男女共同参画フォーラムしずおか
      TEL:054-248-7401
      メール:info★forumshizuoka.jp(★を@に変えてお送りください)

当日のプログラム

◇ ゲストのご紹介、趣旨説明
◇ ゲストご自身からビジネスモデルの紹介
◇ インタビュー
◇ 参加者との質疑応答

・ゲストの事業についてご理解いただくために、事前資料をメールでお送りします。
・参加者との質疑応答の時間を設けますので、 ご参加いただく方は1人1回、ご質問ください。

フォーラムしずおかさんのHPはこちら
http://forumshizuoka.eshizuoka.jp/e1137105.html

Contact us

ご相談・お問合せは
お気軽にお寄せください