第26回『社会事業家100人インタビュー』
「先輩社会事業家のビジネスモデルを学ぶ」第26回
2014年4月7日(月)19時~21時
於:(特)ETIC.ソーシャルベンチャー・ハビタット
ゲスト:畦地履正さん 株式会社四万十ドラマ 代表取締役
<プロフィール>
1964年四万十町(旧十和村)生まれ。通信関連企業への就職を経て、87年、十川農協(現高知はた農協)に就職。94年に四万十川中流域町村(大正町・十和村・西土佐村)が出資した第三セクター会社、株式会社四万十ドラマに就職。2005年の市町村合併に伴い、行政の株式を買い取った地域住民が株主となり完全民営化された。07年10月、同社の代表取締役に就任。
「四万十川に負担をかけないものづくり」をコンセプトに地域と密着し、自然循環型企業を目指した事業展開を行っている。07年に道の駅「四万十とおわ」の運営を四万十町より指定管理を受け、1日1000台未満という交通量の少ない国道に面しながら、2012年には年間1億5千万円を売り上げた。
<今回のインタビューのポイント>(IIHOE 川北)
中山間地域で、「そこにあるもの」を商品にして、東京をはじめ全国の市場に、さまざまな切り口で風穴をあけてきた地域振興の第一人者。地域資源をいかした商品を、力強いデザイナーとともに骨太の地域ブランドに育てるとともに、その経験を活かして、他の地域の活性化にも協力している。素材を大事にするブランディングの徹底や商品開発力に注目が集まるが、現場の生産者とともに、しくみを育てていく、そのビジネスモデルのステージの進化を学んでいただきたい。
足元にあるものを、資源と考える
高知県は森林率84%で全国一位、四万十町に限れば森林率90%を越え、田畑を除くと数%しか人の住める土地がありません。高い高齢化率や経済の指標を見れば日本中で高知はビリですが、頭を切り替えれば、CO2吸収率は日本一位。美しい山川やお茶の段々畑といった、日本の守りたい風景があり、豊かな本物のくらしがあります。
地域にあるもので産業を興すには、まず足元のことを知らなければなりません。20年前に第三セクターができた頃は、私は地域の人、取り組み、文化等詳しいことは知らない状態でした。そこで、まず地域にある強みを調べました。
農家の方たちが庭先でつくる自家消費用の野菜は、農薬を極力つかわないで育てています。この無農薬インゲン豆2kgをおばちゃん3人が高知市内のスーパーへ出荷したところから、四万十ドラマは始まりました。現在、年商は3億5千万円を超えています。農薬を使いたくないから、虫も草も、手で取る。その手間暇を惜しまない人たちが、我々の宝です。
また、四万十の茶葉も、著名な他の産地で採れた茶葉にブレンドされて、よその銘柄名で市場に出ていましたが、それを何としても変えたいと思いました。そこで、「手摘み・手刈り」をしていることを強みとして価値を打ち出したところ、「しまんと緑茶」シリーズは我が社の主力商品になりました。「四万十の緑茶を購入することは、地域の段々畑を守ること」というストーリーが理解され、東京駅の駅ナカにも入っていて、今年5月からはナチュラル・ローソンでも取り扱いが始まります。実は、高知県は和紅茶の発祥の地。今後、緑茶の消費は減ることが予測されるため、「しまんと紅茶」シリーズも開発しました。和紅茶の世界においては、トップの商品開発力だと誇っています。
調べて、絵を描く ―地域振興のビジョン
我々は地域の商社です。庭先の野菜も、天然アユ、天然うなぎも、全部、四万十にあったもの。地域にはうなぎをさばく名人がいて、「この名人がさばく天然うなぎはここに来ないと食べられない」って聞くと、観光に行きたくなるでしょう?
調査してみて、地域産業の主力になるのは、お茶と栗とシイタケだと考えました。栗はかつて年間500トン採れていましたが、現在は約30トン。生産者は収穫した栗を、ただ農協へ持っていき、農協は市場に販売するという仕組みで「人任せ」になっていました。ここに後継者がいなくなる原因があります。
四万十の栗は大きくて、一般的な栗より1粒平均で5g重い。生栗を蒸すと糖度は20度近くもあり、非常に高い評価を得ています。有名な栗の産地にも視察に行きましたが、どこも自地域の栗を「大きくて甘い」というだけで、グラム数も糖度も測っていませんでした。そこで我々は徹底的に調べて、四万十は栗の加工・販売まで地域で行い、大きくて、甘くて、さらに手間暇のかかった商品にしています。
栗の鬼皮を手でむいて、渋皮を爪楊枝でとり、仕上がるまで3日間かかる「物語」があります。既に東京の洋菓子屋に採用され、その商品は百貨店でも取り扱われました。加工、販売まで地域でやれば若者の雇用が生まれます。我々は、栗畑をもう一度再生させることを鍵に、3年かけて栗の木を1万本植えました。
7年前にオープンした道の駅「四万十とおわ」のそばに、栗の加工場を併設した「しまんとおちゃくりcafe」を始めます。植えた栗1万本から商品ができるまで、5~10年かかりますが、原材料の栗だけで1億円分の収穫を見込んでいます。その栗を1.5次加工すると、2・3億円の価値になり、菓子にすると10億円になります。10億円を売り上げる商社ができれば、地域は変わります。
栗の栽培基準も、我々がつくります。「こうつくれば単価が高く売れる」という仕組みを示せば、生産者は喜んでやってくれます。高く売るのは若者の仕事です。地域に若者の働く場所ができます。地域の再生や地域のブランドで、世界に売っていくチャンスもあります。10億円を売り上げるしくみは、私たちのビジョンです。栗では実現に向けて着実に動いています。栗で成功すれば、お茶でも、シイタケでもできるでしょう。
地域振興にはビジョン、「絵を描く」ことが必要です。文字じゃ地域の人には伝わりません。ビジョンの原点は地域で考えます。外部のコンサルタントから与えられるものではないし、原点がないままブランディングを進めても、表面的なパッケージデザインにしかなりません。自分たちに何ができるか、何をやりたいかという考えを強く持って、自分たちが進みたい方向を絵で示すのがビジョンです。また、自分たちの「考え方」を伝えるために、デザインの力を使うことも、とても重要です。
「しまんと新聞ばっぐ」で都市と農村の交流
しまんと新聞ばっぐは、世界の共通語になっている「もったいない」と「折り紙」が融合したもので、大変、注目を集めました。2007年にニューヨークのギフトショーに出展した際は、有名ブランドメーカーのバッグと並んで評判を呼びました。きっかけは、「四万十川流域で販売される商品は、全て新聞紙で包もう」という、梅原真さんの提案。地域のおばちゃんが折り方を考え、「作り方レシピ」として特許も申請しました。当初、新聞バッグは高知新聞でしか作っていませんでした。
これが評判を呼び、「作って売りたい」という声があがり、2009年には折り方のインストラクター養成講座も始めました。この講座は四万十でしか開催しないことで、観光客を呼び込み、コミュニケーションを図ります。作れる人が増えると、発表の場が欲しくなり、「新聞バッグコンクール」を始めたところ、毎回500もの作品が集まるようになりました。預金通帳入れとして高知銀行のノベルティになったり、東北の復興支援にも使われたりという、コラボレーションも次々に生まれています。環境配慮と日本の文化への関心から海外での評価も高く、アラブ首長国連邦で開催された万博に出品されたり、タイでのイベントで使用されたり、ベルギーでは新聞バッグの紹介のために、地元の新聞紙面にデザイナーの提案する図柄が掲載されたりしました。国内では、神奈川新聞社の70周年の記念紙に掲載されました。
当時、道の駅で包装紙を新聞紙に代えたのは、全国でも初めてでした。ビニール袋を必要とする人は5円を支払い、そのお金は森林の保全のために使われるようにしました。これも循環のしくみのひとつです。地域にあるものでビジネスする、利益は地域に返すという循環のしくみの本質は、どの事業でもぶれません。
商品開発にはリスクをとることも必要なので、事業開発の投資的段階では積極的に公的助成金や補助金は利用してきましが、組織の運営自体は自分たちでやってきました。そろそろ、補助金からは距離を置く時期にきていると思っています。今後は人材育成も視野に、新規事業には丁稚奉公、いわゆるインターンシップを採用して挑む計画です。本気で地域振興に取り組む人材を増やし、四万十で育った人材が他地域にも広がってゆく大きな循環のしくみを考えています。