日本初の「ソーシャルビジネス白書」刊行に向けた調査へのご協力のお願い

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このたび、「日本におけるソーシャルビジネスの現状」に関する調査を、下記の通り行うこととなりました。
本調査は、一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク(代表理事 藤田和芳)と、特定非営利活動法人エティック(代表理事 宮城治男)が共同で事務局を務め、実施するものです。
日本で初めてソーシャルビジネスの統計調査として行われるもので、調査結果は「ソーシャルビジネス白書」(委員長〔編集長〕:IIHOE〔人と組織地球のため国際研究所〕代表 川北秀人)として一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワークが取りまとめる予定です。
「ソーシャルビジネス元年」と言われた2011年から7年が経過し、SDGsへの賛同や参画も拡がりつつある中、ソーシャルビジネスの現状や課題を取りまとめ、今後数年間にわたって継続的に調査を積み重ね、白書を刊行していきたいと考えております。
つきましてはお取り組み状況などについてお聞かせいただきたく、ご多忙のところ大変恐れ入りますが、調査へのご協力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。


■調査対象:全国のソーシャルビジネス事業者
■調査内容:(1)組織の概要、(2)主な事業、(3)組織内の課題と解決策、(4)対象とされている社会的テーマにおける課題と解決策 ※詳細は「調査票」を参照ください。
■調査結果の公表:ご協力いただいた調査結果は、「ソーシャルビジネス白書」として取りまとめ、平成31年5月(予定)に発行される「一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク年次レポート」に添付する形で公開します。
■本調査は、今後数年間かけて継続的に実施する調査の初年度として、予備的な調査として実施します。そのため調査結果も年次報告書の別冊とさせていただきます。
■調査への回答はこちら。 ※フォームへの入力をお願いいたします。また、こちらの調査票(Word)へ、直接ご入力いただき、incu@etic.or.jp(特定非営利活動法人エティック)または、info@socialbusiness-net.com(一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク)まで、お送りいただいても大丈夫です。
■締め切り:1月16日(水)


■個人情報、回答内容の取り扱いについて
・アンケートで回答いただきました個人情報につきましては、本調査の目的以外で使用することはございません。
・アンケートで回答いただきました内容につきましては、調査とりまとめに活用させていただきますが、結果は個人が断定できない形で公表させていただきます。


■「ソーシャルビジネス白書」制作委員会 委員
委員長(編集長)
IIHOE (人と組織と地球のための国際研究所) 代表者
兼 ソシオ・マネジメント編集発行人
川北 秀人
委員
立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科 教授
立教大学社会デザイン研究所 所長
中村 陽一
委員
特定非営利活動法人ETIC. 代表理事
宮城 治男
委員
一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク専務理事・事務局長
町野 弘明


■お問い合わせ
「ソーシャルビジネス白書」制作委員会 事務局
特定非営利活動法人エティック
ソーシャルイノベーション事業部 担当:石塚真保・本木裕子
Tel: 03-5784-2115
email: incu@etic.or.jp

一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク 担当:石井綾
Tel: 03-6820-6300
email: info@socialbusiness-net.com

【レポート】第58回 社会事業家100人インタビュー:ジオガシ旅行団 代表 鈴木美智子氏

社会事業家100人インタビュー第58回
先輩社会事業家のビジネスモデルを学ぶ

2018年12月10日(月)19:00~21:00
於:ETIC. ソーシャルベンチャー・ハビタット
ジオガシ旅行団 代表 鈴木美智子さん 

 鈴木氏

プロフィール:
1971年静岡県生まれ。多摩美術大学卒業後、東京の広告代理店でデザイナーとして活躍。2007年、ふるさと伊豆半島に関する仕事がしたいと、南伊豆町に移住。2012年、伊豆の美しい風景を切り取ってお菓子化し、現地へ誘う体験型お土産ツール「ジオ菓子」を制作。ジオ菓子を携えてその場所を楽しむツアーを行う「ジオガシ旅行団」を設立、現在、代表を務める。大地を面白おかしく学びハラオチするプログラム「ジオガシキッチン教室」やジオ菓子商品開発の全国展開も行っている。
 
<今回のインタビューのポイント>(川北)
世界遺産(文化・自然)は「守る」ための認定制度であるのに対し、世界重要農業遺産システム(世界農業遺産)やジオパークは「活かす」ための認定制度。だからこそ、展示や解説だけでなく、楽しめる、続く・広がる関係づくりを可能にする工夫が大切になる。ところがジオパークは、地学という万年単位の時間と、物質と熱という化学との組み合わせゆえに、関心を持つ人も、紹介や発信の担い手も、男性(それも高齢!)に偏ってしまっている。そんななか、自分が好きな地域の自然を、一緒に楽しんでもらう人を増やすために、鈴木さんが生み出したのが「ジオ菓子」。お菓子づくりの素人とは思えないクオリティの高さ、そして、前職での経験が活かされたコピーやデザインのすばらしさ。次の段階へと進むための課題も含めて、ぜひ学んでいただきたい。
 
 
「ジオ菓子」は、興味と行動を誘発する
私は、隣の家まで1kmもあるような自然豊かな地区で生まれ育ち、その環境が子どものころから大好きでした。ジオガシ旅行団結成のきっかけは、伊豆半島のダイナミックで美しい風景には、成り立ち(注1)による深い理由があると知って衝撃を受けたこと。それぞれの地形がどのようにできたのかがわかると、たくさんの人たちに伝えたくなったんです。ただ、地層や地質について熱く説明しすぎると、聴いている側はだんだん遠い目になるんですね(笑)。そこで、どうやったら面白く、インパクト強く伝えられるか考えた結果、風景(地質や地形)に精巧に似せたお菓子がいいのでは、と始まりました。
私はお菓子づくりが専門ではないですし、地質学を専門的に勉強した訳でもありません。ジオ菓子は、あくまで伊豆半島の景色のすばらしさを伝えるためのツール。地質・地形とその地にまつわる文化・歴史について日本語と英語を併記したパッケージに入れ、地図もつけています。まず興味をひき手に取ってもらい、現地にいざなう流れをつくりたいからです。
(注1)
約2000万年前、伊豆は本州から数百km南、現在の硫黄島付近の緯度にあった。この頃の伊豆は深い海の底で活動する火山の集合体。フィリピン海プレート上の海底火山や火山島はプレートとともに北に移動し、100万年ほど前に本州に衝突。現在のような半島の形になったのは約60万年前。(伊豆半島ジオパーク ウェブサイトより引用、一部抜粋)
 
妥協のないつくりこみで発信力を高める
12年前は(インタビュー会場の近くの)渋谷マークシティに入っていた(株)サイバーエージェントでアートディレクター/広告プランナーとして働いていました。そのころから、「東京は情報があふれている中、自分ごととしてもらうためにはモノよりも体験が重要だ」という感覚がありました。モノから得られる満足は一瞬ですが、体験すればずっと自分の中に残ります。また、その感動を人に伝えたいと思うものなのです。
ジオ菓子はモノですが、それぞれにストーリーをのせて届けることで、発信力を高めています。また、おいしいことは大前提ですので、原料は厳選し、できるだけ地場産品を使用します。「爪木崎俵磯(つめきざきたわらいそ) 柱状節理」【クッキー】には下田産のひじきを使用し、収縮した角形の様子を表現しています。「下白岩(しもしらいわ) 有孔虫化石」【ヌガー】は、静岡県立伊豆総合高等学校自然科学部とのコラボレーションによって開発しました。見た目と触感が異なり、食べるとまた驚きが生まれます。「茅野(かやの) 鉢窪山スコリア」(注2)【チョコレート】は開発に苦労しましたが、そのかいあって、とても再現度が高いものになりました(誤食に注意!)。竹炭と伊豆産の玄米を使用した「カワゴ平火山(かわごだいらかざん) 黒曜石」【飴】も、地質学の専門家の方がルーペで見て「本物と見分けがつかない…」と感心されていました。
これらのジオ菓子は、オンラインショップで通年販売していますが、関連の学会やイベントに出展すると、会場でいただいた生の声を商品の改善に活かせるだけでなく、新たな接点が生まれることもあります。2016年8月には、東京大学の宮本研究室ご協力のもと、「火星スコリア」【焼きチョコ】を開発し、サマーミュージアムでお披露目しました。
(注2)
スコリア(scoria)とは、火山噴出物の一種で、塊状で多孔質のもののうち暗色のもの。主に玄武岩質のマグマが噴火の際に地下深部から上昇し、減圧することによってマグマに溶解していた水などの揮発成分が発泡したため多孔質となる。(ウィキペディアより引用、一部抜粋)
 
現地で比べて食べるツアーから、自分でつくる体験まで
旅行団結成の年から、ジオパーク研究員の解説付きカヤックツアーを実施しました。道が険しくてたどり着けない場所も、海からだとすぐそばまで近づけるんです。ただ、カヤック初心者には漕ぐだけで精一杯ですし、カメラを持っていけないというジレンマもあり、その後漁船でのツアーに変更しました。歩いていくツアーでは、ジオ菓子のモデルとなった場所を訪れて、実際の地形と並べてみてどれほど似ているかに驚きつつ食べてもらいます。民宿で、地元でとれる魚介類を使った料理を図解付きで提供してもらうこともあります。
「ジオパーク」(注3)が意味するところは、実は伝わりにくく、人によって考え方もいろいろです。このため、私はツアー中の説明では、ジオパークという言葉をいっさい使いません。ツアーが終了したときにはじめて「今日みなさんが訪れた場所や体験、得た知識全体がジオパークですよ」と伝えるようにしています。
伊豆半島に限らず、ジオ菓子は地域の資源を見直して活用する入り口になり得ます。大人向けの講演やワークショップのご依頼を受けて全国へ出張する他、主に小学生を対象に、まず座学で大地の成り立ちを学んでから、身近な景色をお菓子でつくる=可視(かし)化する「ジオガシキッチン教室」というプログラムを実施しています。
ジオ菓子の開発に際しては、どんな材料を選べば、似たかたちや色になるか考え、方程式を解くように試作を重ねますが、砂糖や油の化学反応や熱変質などという工程は、大地の成り立ちの過程と重なる部分があります。子どもたちにはオーブンをタイムマシーンに見立てて説明したりもします。
地元の景色を守るのは地元の人たちにしかできませんので、ジオ菓子づくりを通じて、改めて地域の風景の美しさや貴重さを見直すきっかけにしてほしいと願っています。
(注3)
ジオパーク(geopark)とは、地球科学的な価値を持つ遺産を保全し、教育やツーリズムに活用しながら、持続可能な開発を進める地域認定プログラム。地球・大地を意味するジオ(Geo)と公園を意味するパーク(Park)とを組み合わせた言葉。地域が「ジオパーク」と名乗るには、ジオパークネットワークに加盟するための審査および認定を受ける必要がある。「(ウィキペディアより引用、一部抜粋)
 
品質維持と事業継続のバランス
実は、ジオ菓子と同じような取り組みは全国各地にあるのですが、イベント期間限定だったり、補助金が切れたら終了など、次に行ったらもうなくなっていてがっかり…ということをよく経験します。私には、ジオ菓子が将来もずっと流通してほしいという思いがあり、ジオガシ旅行団を一過性のプロジェクトとしてではなく、事業として続けていくと当初から決めていました。また、選ぶ楽しさが重要だと考え、最初からシリーズでの展開を考えていました。現在19種類あり、その中の9種類が入った標本箱のような見た目のコンプリートボックスもたいへん人気です。
SNSの浸透もあり、最新情報を発信し続けていると、マスコミから取材申し込みをいただきます。これまで、「出没!アド街ック天国」(テレビ東京)、「ヒルナンデス!」(日本テレビ)、「あさイチ」(NHK)、「マツコの知らない世界」(TBS)などの情報番組で紹介され、反響を呼びました。
香港にあるセレクトショップのストアルームズが、ジオ菓子を年に何回か仕入れてくれています。また、海外の方からのツアー希望もいただきます。ジオ菓子と風景を並べて撮った写真はいわゆるインスタ映えしますし、一目瞭然ですので、興味を引きやすいのかもしれません。
 
「ジオ菓子2.0」を始動!
立ち上げ当初の常勤スタッフは2名で、現在は私1名。工房を借りてジオ菓子を製作・ラッピングし、ツアーガイドや講師も務めている状況のため、事業を拡げたくてもキャパシティに限界があります。売り上げが1,000万円を超えたら株式会社にしようと考えていますがまだまだ届かず、ジオ菓子をビジネスとして継続する難しさを痛感しています。今後は、現在の商品を継続しつつ、ジオ菓子メソッドを踏襲した新商品を製造販売し、収益モデルの見直しを図ります。ジオ菓子製作に継続的な協力が可能な方、意義に賛同するツアーガイドの方、収益構造を改善する方策を一緒に考えてくれるブレーンの方を募集し、一緒に進めていければと考えています。
来年からは、講演など単発のかかわりではなく、ジオガシ旅行団の持つノウハウを他地域へ移転するプロジェクトを始めます。どんな地域にも展開しやすいようなプログラムに整え、継続的に取り組んでいただけるようデザインします。
BusinessModel_geogashi-converted-001(文責:棟朝)
今回の「社会事業家100人インタビュー」ご参加費合計のうち2,000円は、【フェリシモ わんにゃん基金】へ寄付させていただきました。

SDGsをビジネスとして具体化する“場”に参加してみませんか? 2019年1月31日開催! 「SDGsビシネス・ラボ」のご案内

SDGsをビジネスとして具体化する“場”に参加してみませんか?

「SDGsビシネス・ラボ」のご案内

 
今、世界のビジネスではESG 時代を迎え SDGs は企業ブランディングと社員士気向上のため、企業にとって必須の「共通言語」となり、状況が大きく変わってきています。それに合わせ、経団連の企業行動憲章が改訂され、ESG投資家の動きも加速する等、「SDGs」がビジネスの機会になることは、その流れを見ても明らかです。
そこで、「やってみたい活動をビジネスとして具体化する“場”」を立ち上げたいと思います。題して『SDGsビジネス・ラボ』 いわゆるサークル活動ではなく、あくまでもビジネス化を目標に、同じ関心テーマを持つ参加者が集まり、アクションを起こすためのものです。2019年1月からスタートして2019年3月まで、期間を区切り、プロトタイプの実行プラン作成/実施までを目標とします。テーマに関する知見を深めたり、「現場」当事者の方々と連携したり、業種・業態を超えた、多様なセクターの方々と協働(連携)を進めるための、コミュニケーション能力の醸成する“コミュニティの場”にしていきます。
 
開催日変更について
当初、第1回開催予定の12月は年末の為、調整が難しいというお問い合わせが重なりました。
つきましては、第1回をSDGs五輪とも言われる2020年の東京オリンピック・パラリンピックの前年にあたる2019年の幕開けである1月開催という事で仕切り直しさせて頂きました。
日本のSDGsビジネス展開にとって重要な年となる年頭から、一年を見通し更にその先を読み考える場に是非参加してみませんか。
 
開催日時について
日程変更に伴い、全4回から全3回に変更させていただき、全3回の日程は下記の3日間となりました。
(料金も変更になっております。)
●第1回2019年1月31日(木)※1月18日から1月31日に変更となりました。ご注意ください。
●第2回2019年2月13日(水)
●第3回2019年3月19日(火)
・SDGsビシネス・ネットワーキング(18:30~19:30)
・SDGsビジネス・ゼミ(19:30~21:00)
●参加費
・SDGsビシネス・ネットワーキング(60分):6,000円 税別(2,000円×3回)
・SDGsビジネス・ゼミ(90分) :15,000円 税別 (5,000円×3回)
※ SDGsビシネス・ネットワーキング費込
 
SDGsビシネス・ラボとは?

  • 全体会であるSDGsビシネス・ネットワーキング

最新のSDGsのトピックスや情報についてラボ長の笹谷さんからお話を頂きつつ、参加される皆様からも情報をいただき、様々なSDGsについての情報交換や意見交換を行う“場”を考えております。

  • 専門部会である『SDGsビジネス・ゼミ

各参加者が抱えている課題・テーマ・悩みなどについて、ラボ長の笹谷さんや異業種の方々からSDGsについての意見を頂き、課題解決に向けたアドバイスや深い議論を個別にできる少人数の“場”を考えております。

笹谷氏

図2-1

図2-2無題

お申し込み・お問合せ先は下記でございます。

お申し込み先:info@socialbusiness-net.com
氏名・所属・連絡先(メールアドレス)をお送りください。
お問合せ電話番号:03-6820-6300
 
 

第59回 社会事業家100人インタビュー ジオガシ旅行団 鈴木美智子氏  2018年12月10日に開催決定!!

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◆社会事業家100人インタビュー 第59回
2018年12月10日(月) 19:00~21:00 @渋谷
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ゲスト:ジオガシ旅行団 鈴木美智子さん
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆◇◆
日本には、世界に紹介したい社会事業家がたくさんいます。
新たなビジネスモデルを創りだした先輩社会事業家100人に、
そのビジネスモデルを確立した経緯、
事業として成り立たせていく段階での経験談を掘り下げてお聞きする
『社会事業家100人インタビュー』。
今回は「ジオ菓子」をツールに地域の魅力を発信する
ジオガシ旅行団の鈴木美智子さんにお話を伺います。
 
ジオガシ旅行団 鈴木美智子氏
 
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● ゲスト紹介:ジオガシ旅行団 鈴木美智子さん
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「風景を切り取ってお菓子にする」。
その土地にしかない地層や風景を「ジオ菓子」として表現して、
ジオパークに認定された地域を、おいしく発信する。
ジオ菓子を食べて、「現地を見たい!」と感じた人が、
地図を手掛かりに現場を旅する。
子どもたちと「ジオ菓子」を一緒につくりながら、その地域の歴史、
大地の歴史を伝える。
お菓子がその土地の歴史を知り、体験するガイドになる。
そんなありそうでなかった手段で地域のPRに一役買っているのが
「ジオガシ旅行団」。
「あの地層おいしそう!」という発想からスタートして、
ストーリーのある風景を、地域の菓子職人さんたちとともにお菓子にして、
そのお菓子を地域のガイドツールにするための工夫を凝らしてきた鈴木さん。
観光資源としてはもちろん、教育、環境保全、防災、そして
地域の誇りを伝える手段として、拡がりつつあります。
日本各地で「風景を切り取ってお菓子にする」手助けをしながら
ジオツーリズムを推奨する鈴木さんに、
発想の面白さをどう事業につなげてきたのか、伺います。
プロフィール:
1971年、静岡県生まれ。
多摩美術大学卒業後、東京の広告代理店でデザイナーとして活躍。
2007年、ふるさと伊豆半島に関する仕事がしたいと、南伊豆町に移住。
2012年、伊豆の美しい風景を切り取ってお菓子化し、現地へ誘う体験型お土産ツール「ジオ菓子」を制作。ジオ菓子を携えてその場所を楽しむツアーを行う「ジオガシ旅行団」を設立、現在、代表を務める。
大地を面白おかしく学びハラオチするプログラム「ジオガシキッチン教室」やジオ菓子商品開発の全国展開も行っている。
ジオガシ旅行団HP:https://geogashi.com/
オンラインショップ:http://shop.prizumy.com/
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● 開催概要
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日時:2018年12月10日(月)
19:00~21:00(開場18:45)
会場:ETIC.ソーシャルベンチャー・ハビタット(渋谷)
渋谷区神南1-5-7 APPLE OHMIビル5階
http://www.etic.or.jp/etic/access.html
定員:約30人(先着順)
参加費:
SBN会員: 1,500円
SBN非会員: 2,500円
※SBN:一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク
※うち1人500円分は、ゲストの指定する寄付先にそのまま寄付させていただきます。
※参加費は「Peatix」にて事前入金をお願いいたします。
対象:社会事業家として事業を始めている方、これから始めようとされている方、
ビジネスモデルの作り方を先輩社会事業家から学びたい方
共催:一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク(SBN)
IIHOE [人と組織と地球のための国際研究所]
協力:特定非営利活動法人ETIC.
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● プログラム
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◇ ゲストのご紹介、趣旨説明

◇ ゲストご自身からビジネスモデルの紹介


◇ インタビュー

インタビュアー:ソーシャルビジネス・ネットワーク理事、
IIHOE代表者 川北秀人
◇ 参加者からの質疑応答
・参加者からの質疑応答の時間を設けますので、
ご参加いただく方は1人1回はご質問ください。
・ゲストの事業についてご理解いただくために、事前資料をお送りします。
(参加申込いただいた方にご連絡します。)
※希望者の方は終了後に1時間程度懇親会にご参加いただけます。
(同会場にて。懇親会参加費別途2,000円)
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●申込み
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「Peatix」にて事前申込み・入金をお願いいたします。
下記よりお申込みください。
https://peatix.com/event/553386/view
申し込み期限:2018年12月7日(金)
*定員になり次第、締切ります。
*ご事情により、事前精算・申込が行えない場合は、お問合せ先まで
ご連絡ください。
【問合せ先】
(一社)ソーシャルビジネス・ネットワーク
TEL:03-6820-6300
FAX:03-5775-7671
e-mail:100info@socialbusiness-net.com
@の部分は半角に変換して、お送りください。
◇本プロジェクトのfacebookページ
http://www.facebook.com/100JapaneseSocialEntrepreneurs
◇これまでのインタビューはこちらから!
https://socialbusiness-net.com/newcontents01

【レポート】第57回 社会事業家100人インタビュー:認定特定非営利活動法人夢職人 理事長 岩切 準氏

社会事業家100人インタビュー第57回
先輩社会事業家のビジネスモデルを学ぶ

2018年9月20日(木)19:00~21:00
於:ETIC. ソーシャルベンチャー・ハビタット
認定特定非営利活動法人夢職人 理事長 岩切準さん 

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プロフィール:
1982年東京生まれ。東洋大学大学院社会学研究科社会心理学専攻修了。2004年から東京都江東区を中心に、地域社会で子どもや若者の成長を支援する社会教育事業に取り組む。07年度NEC社会起業塾を経て08年に特定非営利活動法人化(18年9月に認定取得)。2018年現在、年間のべ6,000人以上の首都圏の子どもや若者に学びの場と機会を提供している。14年から子どもの貧困・教育格差の解決をめざし、学校外教育バウチャーを提供する(公社)チャンス・フォー・チルドレンの理事を務める。15年4月に大学入試改革に向けて、民間の検定試験の「質」と「信頼性」を判定する全国検定振興機構の理事に就任。
 
<今回のインタビューのポイント>(川北)
夢職人の事業品質の高さは、参加者の安全の保障を精神論ではなく、しくみ化により実現・継続していること、他団体を巻き込んで多様なプログラムを年間通して提供できていることから生まれている。子どもを対象とした活動を展開する団体には、自分たちのやりがいのためではなく、子どものニーズに徹底してフォーカスすることの必要性とその進め方について、特に参考にしてほしい。
 
下町ならではの地域教育を事業にする
自然体験・野外活動を提供する団体としてはめずらしく、東京(江東区)を拠点としていますが、ここで生まれ育って得た経験が、夢職人の事業にも影響しています。
自営業者が多い下町であり、地域全体で子どもを育てる空気がごく自然にありました。近所のおじさん・おばさんに遊びに連れて行ってもらったり、子ども会でお祭りに参加したり。高校生のときはジュニアリーダー(注1)として、地域の子どもたちと一緒に遊びました。そしていつしか、「みこしを担ぐ」「餅をつく」「火を扱う」ことが得意になり、この3つは人に負ける気がしません。
このような経験を通して、学校と家庭以外での教育の重要性に気づきました。ただ、区の社会教育関係の事業が縮小されたり、地域のキーマンが亡くなったりという、自分ではいかんともしがたい要因によって地域が崩れていくことも目の当たりにし、地域教育を事業にしようと決意しました。
(注1)子ども会などの活動や遊びのリーダー的な役割を担う。教育委員会と子ども会連合組織が事務局を務め、初級~上級の研修会への参加によって養成される。
家庭・学校・地域のトライアングルで子ども・若者の成長を支えていくことが理想ですが、家庭教育は保護者、学校教育は教師の責任のもとに行われるのに対し、地域教育は誰の責任で行われるのかはっきりしていません。一方で、地域には多様な人がいるので、それぞれの人が持つ技能や知識などの教育資源をしっかり活かせば、できることの可能性が広がります。そこで、まず実際の教育現場をつくることから始めました。
事業を始めるといっても、保護者にとっては大事な子どもを預ける訳で、「この人は本当に信用できるのか?」と、疑いをもつのは当然です。ただ、私は地縁団体との結びつきが強く、地元の人たちに知られていたのが幸いしました。校長先生が面白がってくれて、総合学習の時間に出張授業したこともあります。そのうちPTAとつながりができて、だんだん信用を得られるようになっていきました。ただ、それはあくまで私自身への信頼であり、他のボランティアスタッフへもということではありません。その頃は、「岩切さんに子どもを預けているのに」と言われるのがつらかったです。
そこで、団体として信用を得るために、ボランティアの採用・研修システムを整え、品質管理を徹底するようにしました。説明会でも私からは話さず、ボランティアに前に立ってもらいました。その結果、現場で子どもを受け入れる枠も広がり、子どもが子どもを呼んできてくれるようになります。10年以上活動を続けているとOB・OGの層も厚くなり、担い手のスタッフとして戻ってきてくれています。「夢職人のプログラムに参加すると、こんな高校生・大学生に育ちますよ!」というモデルを保護者に見せられることも強みです。
 
調査に基づいて、プログラムを開発・改善する
04年からスタートした会員制の「キッズクラブ」(小学1年生〜中学3年生が対象)では、年間を通じて日帰りプログラムを月1回程度、宿泊プログラムを連休や長期休みに実施しています。土日祝日に仕事があって子どもと休みが合わせにくい状況の方、乳幼児(兄弟・姉妹)の育児や介護、病気・障害などで学齢期の子どもに応じた外出が難しい方など、さまざまなニーズがあります。近年は、海外からの参加もあります。リピーターによる母国での口コミが広がっており、その問い合わせ対応のために、ウェブサイト内に英語のページもつくりました。
自然体験・野外活動だけでなく、スポーツ・レクリエーション、文化・芸術活動など幅広い体験ができることも人気の理由でしょう。異年齢で構成される集団活動なので、意見がぶつかり合ったりもしますが、それを乗り越えることで子どもたちは成長します。これまでのべ7,000人が参加し、支える若者ものべ4,500人にのぼります。体力的な問題で3学年ずつに分けるのですが、この学年層には何に挑戦してもらうべきか考え、カリキュラム化しています。
大学院で社会心理学を専攻し、社会調査や心理統計を学んだことによって、データを正しく収集し分析する重要性に気づきました。プログラムの開発・改善は、調査に基づいて行います。子ども向け・保護者向けそれぞれへのアンケートはもちろん、普段の会話からもニーズをくみ上げます。思い付き・思い込みでやるのが一番ダメです。
 
専門家や他団体と一緒に、問題に取り組む流れをつくる
「プレーパーク」(注2)の運営には、09年から関わっています。都立木場公園で毎月第2土曜日に開催していて、1日に300人~500人が訪れます。夢職人では場と一部のコンテンツだけ用意して、地元の製材所から出た端材を使ったり、近隣在住のアーティストを招いたりと、さまざまな形で地域の方々にご協力いただいています。
プレーパークでは、未就学児を連れた保護者から中高生まで、だれでも無料で遊べるので、貧困、不登校、発達障害など、子どもやその家族が抱える問題に触れる機会もあり、活動や体制改善へのヒントを得ています。
また、適切なタイミングで専門機関につなぐ役割も重要です。区の家庭教育支援センターのスタッフにプレーパークに来てもらって、さりげなく接点をつくるなど、問題の芽をどう摘んでいくかにも気を配ります。
教育の問題は、(幼稚園・小学校・中学校と)常に年齢ごとに横に切られているために、解決がさらに難しくなっています。子どもを縦でつないで見ることができる社会教育の現場では、問題の構造や解決への道のりが見えやすくなります。
(注2)本インタビュー第47回 (特)プレーパークせたがや理事 天野秀昭さんの回を参照。
子どもを取り巻く社会課題は、刻々と変化します。団体内部の学びにするだけでなく、外部へ発信するとともに、それぞれの専門家と一緒に考えていきたいとの思いから、13年より、ウェブマガジン「ひみつ基地」を月1回発行しています。子どもと若者の支援に携わっている外部の専門家26名が記者として登録しています。購読は無料ですが、全バックナンバーの閲覧や読者と記者の限定コミュニティへの参加などの特典がある有料会員枠も設けています。2018年現在で、月間で10万人ほどの方に来訪していただけるサイトになりました。
現場での取り組みを進めていくと、他団体と一緒に、しくみそのものをつくったり変えたりすることも必要だと感じるようになりました。そこで、全国の団体・企業と連携して実施する「ネイチャーキッズ」を17年にスタートしました(注3)。地方で野外・自然体験プログラムを提供する団体が首都圏の子どもたちになかなかリーチできない状況を打破するために、夢職人が総合事務局として集客や申込み受付業務を担当し、第二種旅行業法の資格を持つ関西教育旅行株式会社が各ツアーを主催することで、団体の運営上の負担を減らしたのです。全国各地の独自性・専門性が高いプログラムを、首都圏の子どもたちに年間通して提供できるようになりました。当初対象は個人を想定していましたが、法人や学童保育など団体による問い合わせも増えています。
「ネイチャーキッズ」に参画する団体のプログラム品質を保証するため、夢職人で事前審査を行っています。また、団体創設者の高齢化によって団体運営そのものが立ち行かなくなるケースも多く、研修をかねて運営スタッフをお互いの団体に送り込むといった、人的支援のコーディネートもかかせません。
(注3)(特)夢職人が(特)教育支援協会から同名の事業を譲渡され、新しい事業体制を構築した。
 
ボランティア選考時点でリスクを減らす
夢職人は職員3人、ボランティア133人という構成(18年9月現在)で、理事もボランティアです。そもそもボランティア組織として立ち上がったので、「ボランティアが職員を雇っている」という構造でもあります。団体内ではキャリアパスを定めています(図参照)。年齢に関係なく、経験を積めば自身の希望によって進んでいくことができるので、大学生の理事がいたこともあります。

【図】夢職人のキャリアパス

(子どもたちの活動を支える)サポートスタッフ
          ↓
(子どもたちの活動をつくりだす)プロジェクトスタッフ
          ↓
(ボランティア組織をマネジメントする)コミュニティマネージャー
          ↓
(法人管理・業務遂行に責任を持つ)インターン・職員
          ↓
(組織全体を統括する)理事

ボランティア応募の傾向として、教育関係への就職志望者が3分の1、社会や自分になんとなく疑問を感じている人が3分の1、あとは、地方から首都圏に進学・就職して、新たに何かに取り組もうと考える人が多いようです。いずれにしても、自分の能力を伸ばしたいという向上心を持った人がほとんどです。
ボランティアになるためには「説明会+体験」への参加が必須で、選考はボランティアが行います。自分と一緒に働く仲間を選ぶ訳なので真剣です。ただし、人によらずシステマティックに選考できるよう、選考基準を設けています。
幼児性愛者がボランティアに応募する可能性もあるでしょう。被害を未然に防ぐために説明会で禁止事項をはっきり伝えるようにしています。たとえば、活動中、記録係以外の撮影は禁止されており、携帯やスマートフォンを出すこともダメです。やむを得ず電話する際はスタッフが横につきそいます。トイレやお風呂はもちろんですが、子どもと1対1になる状況を絶対につくりません。これは被害を防ぐ目的の他、活動後、子どもが親に話したことについて、親から夢職人に相談があった場合、1対1だと確認できないので、第三者が必要だからという意味もあります。体験参加の際も、スタッフとしてふさわしい言動かどうかチェックします。このようにフォローとリスクヘッジを何重にも設け、しくみとして保証しているのです。
 
お互いを認め、高め合うしくみをつくる
ボランティアになった後も年4回の集合研修の他、各プログラムへの事前・事後に研修があります。研修は形式的なものではなく、悩みごとをちゃんと解決し、必要なスキルを習得する実践的な内容です。ボランティアのための活動ではないので、「子どものためにどういうスタッフであってほしいか」をいつも伝え、考えてもらうようにしています。
たとえば、夢職人では結果に到達するまでのプロセスを大事にしているのですが、学校教員や塾の先生のボランティアには、「間」が苦手で、子どもに「教えすぎてしまう」人がいます。ボランティアに望ましくない言動があれば、子どものいない場ですぐ指導が入ります。トレーナー同士もボランティアへの伝え方を学習し合います。夢職人では子ども40人に対して20~25人の大人が引率するので、こういったチェックがきめ細かに行えるのです。
ボランティアには、こちらから一方的に業務を押し付けるのではなく、自主性を重んじて、自ら選択してもらうようにしています。また、年1回のビジョン・シェアリング・デーではボランティアの表彰を行っています。保護者からの感想も随時イントラネットでシェアしますし、活動ごとに「MVPカード」を渡します。「あなたのことをちゃんと見ているし、みんな認めていますよ」と、かたちにして示すことが大事です。組織や事業の品質は、しくみを整えるだけでは不十分で、人と人の関係性で決まってくる部分が大きいからです。
活動の中で、ボランティア同士でも自然に縦のつながりができていきます。高校生や大学生が自身のキャリアを考える際、わざわざ探さなくても多様なロールモデルが周りにいるので、単に職業や会社名へのあこがれではなく「ああいう人になりたい」と思う人を見つけられます。ボランティアで得た多様な経験やスキルがアピールポイントになりますし、先輩への相談も気軽にできる環境なので、ほぼ希望通りの就職が実現しているようです。
 
ポジショニングを常に意識し、地域教育をデザインする

市民活動として地域教育のモデルをつくりたいという思いは最初からぶれませんでした。そのためのポジショニングは常に考えています。資源が少ない中で、どこに力を入れれば効くかの見極めが重要です。団体の資源には限りがあるので、数打つほどの体力もありません。表に出ない裏で調べて考えている時間が実は長いです。
年間活動費は、赤字になったのは東日本大震災の年だけで、創業以来順調に右肩上がりで、18年は4,000万円前後になる見込みです。内訳は、事業収入85%、寄付2%、助成金8%、会費5%で、事業収入はほぼ参加費によるものです。事業収入以外の2割は投資と考え、必ず次の活動につなげるように意識しています。社会教育はタダで当たり前とされがちですが、子どもたちのためには、外部環境に左右されず、事業として安定して継続することが必要です。無料の活動で良さを知ってもらい、有料のプログラムへご参加いただくこともあり、保護者や子ども同士の口コミで広がるので、広報費は少額で済んでいると思います。ただし、キャッシュフローは大変で、実施前に入金いただきますが、台風等でキャンセルの場合は全額返金するシステムのため、事業数が一定量ないと成り立たない構造ではあります。
もともと体験学習は、体ができてくる小学校中・高学年がメインターゲットでした。近年は受験や習いごとで時間が取れず、低学年がボリュームゾーンになっていますが、今後テコ入れすべき一つは、未就学児と保護者だと考えています。親世代自身も体験学習の経験がないので、プレーパークに来てもどうしていいかわからず、手持ち無沙汰な保護者もいるからです。
また、不登校や居場所がない中学生・高校生たちともっと接点をつくる必要性を感じています。学校や家庭以外の場所として、なるべく早い段階で夢職人とつながって、生きる力をつかむきっかけを得てほしい。夢職人の事業には、誰もが存在意義を見出し活躍できる、多様な機会と場があります。
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(文責:棟朝)

今回の「社会事業家100人インタビュー」ご参加費合計のうち3,000円は、(特)夢職人へ寄付させていただきました。

第58回 社会事業家100人インタビュー (特)夢職人 理事長 岩切準氏 2018年9月20日に開催決定!!

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◆社会事業家100人インタビュー 第58回
2018年9月20日(木)19:00~21:00 @渋谷
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ゲスト:(特)夢職人 理事長 岩切準さん
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆◇◆
日本には、世界に紹介したい社会事業家がたくさんいます。
新たなビジネスモデルを創りだした先輩社会事業家100人に、
そのビジネスモデルを確立した経緯、
事業として成り立たせていく段階での経験談を掘り下げて
お聞きする『社会事業家100人インタビュー』。
今回は、東京都江東区を中心に子どもや青少年を対象とした
社会教育事業に取り組む、岩切準さんがゲストです!

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● ゲスト紹介
(特)夢職人 理事長 岩切準さん

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「地域の力」が弱いとされる都市部において、子どもや若者の育ちを
地域ぐるみで支え、様々な体験の場をつくってきた(特)夢職人
かつては自治会活動が活発だった下町でも、子どもたちが地域のおじさん
やおばさんと気軽に話し、親でも学校でもない、ナナメの関係で地域の人
と関わることは難しくなった。
ならば、自分たちで団体を立ち上げて、かつての地域社会が担っていた役割
の一翼を担う取組みをしよう。
子どもたちの心の拠り所となれるような原体験を積める場をつくろう。
そうして2004年に地元の仲間たちと夢職人を立ち上げた岩切さん。首都圏で子ども向けの自然体験・野外活動、スポーツ・レクリエーション、
文化・芸術活動などを補助金や委託事業なしの自主事業として展開。
地域で行っているプレーパークでは、月1回の開催にも関わらず、
年間で3,000人以上の親子が参加する人気の遊び場となっている。
通年で体験型教育プログラムを提供する会員制の「キッズクラブ」には、
約50の市区町村の子どもたちが登録し、海外から参加している子も。
これまでにのべ7,000名以上が活動に参加しており、子どもたち自身が
主体となってつくる活動を実施している。
近年では、全国各地の様々な体験活動を推進する団体・法人と連携し、
多彩な教育キャンプを提供する「ネイチャーキッズ」も展開している。次世代の社会の担い手となり、家庭を持つ世代となる高校生や大学生、
若手社会人の社会参画を後押しし、教育ボランティアに関する様々な研修・
トレーニングを実施。活動の中でリーダーシップを培ったボランティア
スタッフたちは、夢職人の教育活動はもちろんのこと、学校教育や児童
福祉の現場、様々な企業やNPOで活躍をしている。子どもを中心に置きながら、子どもをとりまく学校、家庭、社会全体の
問題に目を向け、現場から見えるリアルな状況をウェブマガジン
(「ひみつ基地」)としても発信している夢職人。
大学生時代に任意団体として始めた活動が、どのようにして今の形になったのか。
都市部の子どもや若者をとりまく環境をどう見て、事業をつくってきたのか。
これまでの活動の背景を、岩切さんに2時間じっくり伺います。
プロフィール:
1982年東京生まれ。
東洋大学大学院社会学研究科社会心理学専攻修了。2004年から東京都江東区
を中心に、地域社会で子どもや若者の成長を支援する社会教育事業に取り組む。
2007年度NEC社会起業塾を経て、2008年に任意団体からNPO法人化。
現在、年間のべ6,000人以上の首都圏の子どもや若者に学びの場と機会を提供している。
2012年から子どもと若者の成長を支えるウェブマガジン「ひみつ基地」を発行。
2014年から子どもの貧困・教育格差の解決を目指し、学校外教育バウチャー
を提供する公益社団法人チャンス・フォー・チルドレンの理事を務める。
2015年4月に大学入試改革に向けて、民間の検定試験の「質」と「信頼性」
を判定する全国検定振興機構の理事に就任。
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● 開催概要
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日時:2018年9月20日(木)
19:00~21:00(開場18:45)
会場:ETIC.ソーシャルベンチャー・ハビタット(渋谷)
渋谷区神南1-5-7 APPLE OHMIビル5階
http://www.etic.or.jp/etic/access.html
定員:約30人(先着順)
参加費:
SBN会員: 1,500円
SBN非会員: 2,500円
※SBN=一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク
※参加費は申し込み時にPeatixにて事前精算をお願いします。
※うち1人500円分は、ゲストの指定する寄付先にそのまま寄付させていただきます。
※同日にSBN会員申込していただくと、会員価格でご参加できます。
対象:
社会事業家として事業を始めている方、これから始めようとされている方
ビジネスモデルの作り方を先輩社会事業家から学びたい方
共催:一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク(SBN)
IIHOE [人と組織と地球のための国際研究所]
協力:特定非営利活動法人ETIC.
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● プログラム
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◇ ゲストのご紹介、趣旨説明
◇ ゲストご自身からビジネスモデルの紹介
◇ インタビュー
インタビュアー:ソーシャルビジネス・ネットワーク理事、
IIHOE代表者 川北秀人
◇ 参加者からの質疑応答
・参加者からの質疑応答の時間を設けますので、
ご参加いただく方は1人1回はご質問ください。
・ゲストの事業についてご理解いただくために、事前資料をお送りします。
(参加申込いただいた方にご連絡します。)
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● 申込み
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「Peatix」にて事前申込み・入金をお願いいたします。
下記よりお申込みください。
https://peatix.com/event/413674/view
申し込み期限:2018年9月17日(月)
*定員になり次第、締切ります。
*ご事情により、事前精算・申込が行えない場合は、お問合せ先まで
ご連絡ください。
【お問合せ先】
(一社)ソーシャルビジネス・ネットワーク
TEL:03-6820-6300
FAX:03-5775-7671
e-mail:100info@socialbusiness-net.com
@の部分は半角に変換して、お送りください。
◇本プロジェクトのfacebookページ
http://www.facebook.com/100JapaneseSocialEntrepreneurs
◇これまでのインタビューはこちらから!
https://socialbusiness-net.com/newcontents01

【レポート】第55回 社会事業家100人インタビュー:(特)ORGAN 理事長/長良川温泉泊覧会プロデューサー 蒲 勇介氏

社会事業家100人インタビュー第55回
先輩社会事業家のビジネスモデルを学ぶ

2018年4月6日(金)19:00~21:00
於:ETIC.ソーシャルベンチャー・ハビタット

(特)ORGAN 理事長/長良川温泉泊覧会プロデューサー 蒲 勇介さん

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プロフィール:
郡上市に生まれ、岐阜市に育つ。国立岐阜工業高等専門学校電子制御工学科卒業、ロボットを学び九州芸術工科大学芸術工学部画像設計学科に編入、デザインを学ぶ。在学中から先輩の起こしたベンチャー企業でデザインの仕事にのめりこみ、3年目にフリーランスとして独立。その後、岐阜市に戻ってまちづくりに関わる。長良川流域のつながりの中に、この地域のアイデンティティ(本質的な個性)を見出し、流域をつなぐ観光まちづくりに取り組んでいる。
 
<今回のインタビューのポイント>(川北)
地域が好きな人、地域を仕事の題材にする人、地域の課題に挑む人は、それぞれに数多くいる。しかし、それらをすべて体現するには、自らの技能や時間を存分に投じて率先して取り組むことを通じて地域に貢献し、周囲の人々に信頼や期待を受け、協力してもらい続けることが不可欠になる。「何もない」と言われ続けた地域が変わるきっかけは、その地域の住民自らの視野と価値と行動の拡がりにあることを、蒲さんの実践を通じて学んでほしい。
 
怒りとコンプレックスが活動の源泉に
大学の時に、(今日の会場である)(特)ETIC. のウェブサイトで「社会起業家」という概念を初めて知りました。ちょうど特定非営利活動促進法ができた頃で、NPOに注目が集まっていましたが、社会課題解決とビジネスを結びつけるという考え方にあこがれました。
岐阜県民にはなぜか自己肯定感が低い人が多く、私もかつては多くの若者同様、「岐阜は何もないところ」という認識でした。ただ、「だから東京へ行こう」とは思いませんでした。私の現在の活動の源泉となったのは、端的に言えば、名古屋の植民地のような位置付けに対する怒りとコンプレックスです。人々の心のベクトルが、地元を肯定する方向に行かないのはなぜだろうと考え、地域経済学を学んだ大学では、東京を頂点としたヒエラルキーが存在し、誇りもお金も人も吸い取られている現実を知りました。
今なら、東京の人に「岐阜ってどんなところ?」と聞かれたら、胸を張って「日本一の和傘のまち」と答えます。和傘の80%は岐阜産なのですが、実は地元の人もあまり知りません。岐阜でつくられたほとんどの和傘は、京都や金沢で高く売られてきたからです。
 
岐阜が持つ地域資源の豊かさに気付く
2003年に創刊した季刊フリーペーパー「ORGAN」(~04年/7号まで発行)の取材を通して、長良川の歴史や環境と密接に関係するモノやコトの深いストーリーに気付きました。その中から、岐阜市の伝統工芸品「水うちわ」の復活プロジェクトが生まれ、デザインも手掛けることになりました。現在は伊勢丹新宿店でも販売しており、定番の人気商品です。8,000円前後という高価格でも、商品の価値を認めて買ってくれる人がいるという驚きとうれしさ。こうして水うちわは、自分にとってブレークスルーするきっかけとなりました。
ORGANの法人化(2011年)前は、仲間と一緒に、まずは地域のことを知ろうと、既存のまちづくり活動に混ぜてもらうかたちで、町家保存・活用の運動にかかわったり、岐阜町若旦那会をつくったり、都市と農村、若者と地域の人をつなぐことを目的に「日本山村会議美濃郡上」を開催したりと、地域資源の魅力を発掘して、私たち自身が楽しめる体験プログラムを展開し、ネットワークを広げていきました。そして岐阜は、山と川と一緒に生きてきた、誇るべき独自の文化を持っているという確信を深めていきました。
 
全員参加の流域型まちづくり「長良川おんぱくスタート
それらの活動の中で、地域資源(地域住民・商店・若旦那会など)と、既存組織(行政・旅館組合・観光協会など)と、地域外の人やこれまでまちづくりにかかわる機会がなかった人たち(若者・女性など)とを結びつけるしくみとして、「オンパク手法」(注1)が有効なのではないか、と気付きました。そこで、オンパクの先進地から講師を招いて勉強会を開催するなどの準備期間を経て、ORGANが事務局となり、2011年に長良川温泉泊覧会実行委員会を立ち上げました。
初開催にもかかわらず「長良川おんぱく2011」が100のプログラムを揃えたのは、地域の既存組織を巻き込むには、ストーリーだけでなく、数字や実績が必要だと考えたからです。準備や企画はとても大変でしたが、それまで取り組んできた活動で出会った仲間がいたので実現できました。2010年の段階で、声がけすれば協力してくれる約150人のリストがあったのです。
オンパク手法の利点は、顧客を囲い込めること。これまで「長良川おんぱく」に参加してくれた人は約6200人。リピーターはSNSで積極的に発信し、新しいお客さんを連れてきてくれます。参加者に参加理由を尋ねてみると「希少な体験ができるから」がトップで、ここでしか得られないコトやモノが求められていることがわかります。
パートナー(注2)となる中小・零細企業や個人にとっては、地元住民や近隣からのお客さんを対象としたテスト・マーケティングの絶好の機会です。ここで得た反応や反省を基に、全国からの観光客やインバウンド向けの新商品開発や起業につなげていくことができます。「ORGANキモノ」(アンティーク着物のレンタル・着付け・町歩き)は、おんぱくから生まれた体験事業のひとつです。
注1:(一社)ジャパン・オンパクのウェブサイトおよび、野上泰生さんのインタビュー記事を参照。
注2:オンパクで、体験プログラムを実施・提供する人や団体。
 
新潟でまちづくりのコーディネーションを学ぶ
観光まちづくりのプロジェクトを(単発で終わらせず)次の展開・発展につなげていくには、異なる立場の人が、一緒に成功体験を積んで自己評価を高めながら、PDCAを回し、プログラムの魅力を高めて集客力を上げる(または新商品を生む)循環をつくっていくしかありません。そのためには、世代や所属が違っても、民主的にフラットに話し合いを進め、お互いの強みを引き出し、評価し合う力が必要です。
まちづくりの現場における、若者や弱者が発言権を持たない状況をなんとか変えたいと、私は新潟に自腹で通い、清水義晴さんや(特)まちづくり学校の大滝聡さんなどの師匠の下で、場づくり・会議手法・ワークショップデザイン・プロジェクト設計など、まちづくりのコーディネーション全般を学びました。
新潟で学んだ手法をアレンジして、話し合いの場やおんぱく関連の研修に取り入れた結果、世代間・セクター間の会話が増え、関係性が良い方向に変わっていきます。個々人の価値観を変えることはできませんが、今では50~70歳代の旅館経営者や財界の人たちは、「次は何やるの?」と期待感をもって聞いてくれるようになりました。
こうして、おんぱく開催で得たノウハウや信頼を生かして、県内の観光まちづくりイベントや協議会の事務局を担当するほか、全国各地での地域おこしをお手伝いしてきました。体験予約webシステム(長良川ASP:アプリケーション・サービス・プロバイダー)も提供しています。このような積み重ねが実り、2017年度の(特)ORGANの事業費は、おんぱく関連を核に約6,000万円、デザイン事務所「ORGANデザイン室」と合わせると約7,500万円でした。ただし、拡大にばかり目を向けると、どうしてもコスト削減や効率化に走ってしまうことになるので、「規模最適」の意識は持ち続けたいと思います。
 
高付加価値の商品を、店舗で開発・販売する
2014年にはネットショップ「長良川デパート」、2016年には実店舗「長良川デパート湊町店」をオープンしました。ワークショップや説明にも力を入れ、商品が持つ文化的な背景や歴史を知ってもらえるように心がけています。1本35,000円もする和傘が、オープンから2年で200本も売れたのには、職人も旅館も驚いています。
ただ、おんぱくというまちづくり手法では、ソーシャルキャピタルは生まれても町の景観は変わりません。具体的にまちを変えていくには不動産の活用という分野に踏み込み、新たな事業者を増やしていかなければならないという思いから、現在築100年を超える町家を3軒賃貸しています。現在、岐阜ならではの新たな活用法を模索しており、「日本一の和傘産地の逆襲!築100年の町家を伝統工芸体験拠点「CASA」にしたい!」と題して、クラウドファンディングに挑戦中です(追記:おかげさまで、目標金額を達成しました!)。
実店舗は、お客さんの反応を確かめられる場。観光客がぱっと見てすぐ買うかどうかで、売れ線がわかります。たとえば、本美濃紙の折り鶴イアリングは、外国人の受けはいいのですが、日本人は別のデザインを選びます。本美濃紙のヘアゴムとヘアピンは、マグネットからの展開で、お土産需要をうまくつかんで、数量(個数)で言えばもっとも売れているものです。職人さんとつながっているので、頼めばすぐ試作品や改良品ができるのも強みです。
 
データを分析し、課題解決のための指標を設定する
2015年に「清流長良川の鮎」が世界農業遺産に認定され、DMO(Destination Management Organization)立ち上げの契機となりました。事業の一環として、エリア全体での観光調査・データ分析を進めたところ、
①エリア全体の観光イメージがバラバラ(長良川と4市(岐阜・関・美濃・郡上)の観光資源がつながって認識されていない)
②エリア内周遊度が低い
③日帰り客が圧倒的に多い
という課題が明確になりました。官民連携で、課題解決のための指標を設定し、ターゲット別に取り組みを考え実行することがDMOの役割です。
流域を周遊してもらって滞在時間を延ばし、長良川のファンをつくるための試みとして、つい先日(2018年3月31日)「長良川体験チケット」をスタート。おんぱくのような期間限定ではなく、40のプログラムから選んで、いつでも好きな体験ができます。チケット付きの岐阜バス1日乗車券もあるので、旅行代理店からもとても良い反応をいただいています。2018年度中には、外国人をメインターゲットに、高単価・高付加価値の流域での伝統文化体験を販売する旅行代理店を自前でつくる予定です。
 
「長良川」という文脈で、すべてを編集する
もともとは私が「面白い!もっと知りたい!」を追求することから始まった活動であり、プロダクト・アウトに陥りがちだという自覚はあります。ただ、ORGANの事業の想定顧客層(ペルソナ)は30歳代の女性であり、編集長をはじめとして、キュレーション(編集)は女性スタッフにかなり任せています。彼女たちは見せ方や切り取り方をうまく整えてくれるので、私のマニアックさが緩和されていると思います(笑)。
一方で、私が自慢したいことに共感してくれる人とつながりたい・新たなファンを増やしたいという思いも強くあるので、マニア枠は残していきます。実際、関市の刀匠による体験プログラムには、全国から“刀剣女子”や、溶接に興味があるという人など、こちらが想定していない層の参加がありました。
ORGANの強みは、デザイン、ビジュアル化、コピーライティングという編集工程がすべて自前でできること、そして、地域資源・人材のネットワークがあることです。ウェブマガジン「長良川STORY」の中で紹介した「鮎菓子ペンケース」は、ツイッターで1000回以上リツイートされ、話題となりました。
定例開催が前提とされるオンパクのようなプログラムは、地域資源をただ寄せ集めるだけでは魅力的になりませんしすぐ飽きられてしまいます。長良川という一つのおおきな文脈(コンテクスト)に、人やモノやコトのストーリー(コンテンツ)を乗せて、ブランドとして表現することが不可欠です。
マンネリ化を防ぐには、創発環境をつくり出すかありません。以前は、ブランドを維持するには、すべて自分を通してコントロールしないとだめだと思っていましたが、それは無理だとわかりました。そこで、ファシリテーションをしっかりした上で、あとは手放すようにしたのです。その結果、地域ブランドが底上げされましたし、「新しい挑戦をしてもいいんだ!」という空気感が生まれ、お互いが刺激し合えるコミュニティへ変化しました。外部からの売り込みも増えています。
 
環境、伝統、文化、経済はすべてつながっている
職人や漁師は後継者難が深刻です。なりわいとして長良川にかかわって生きる人を増やしていくために、まずは和傘を10億円産業にして、うち8億円が岐阜に落ちるようにしたいです。今年から大手小売店との取引も始まり、銀座の店舗でも和傘の販売を行うことになりました。また、刀匠と和傘のすべての製造工程に関わる職人や企業(産業クラスタ)が揃っているのも岐阜だけなので、強みとしてさらに打ち出していきたいです。
文部科学省の「気候変動適応技術社会実装プログラム(SI-CAT)」に、岐阜大学と一緒に取り組んでいます。環境が変化すると、経済や伝統が維持できず最終的には消滅してしまうという危機感を持ったからです。たとえば、和傘の部品「ろくろ」にはエゴノキしか使えませんが、エゴノキをとる木こりがもういないので、今はプロジェクトとして山に切りに行っている状況です。最近はシカの食害が目立っており、持続可能な原料調達の仕組みづくりの大きな壁になっています。
鮎などの魚類と内水面漁業、鵜飼漁法を核とした観光産業、かつて水運でつながった和紙とそこから生まれた伝統工芸産業、そしてそれらが連綿と続いてきた背景にある長良川という環境の力。すべてはつながっているし、だからこそこの川の恵みに生かされているということを住民が自覚し、100年先もこの恩恵に預かり続けられるように、流域を包括する古くて新しい経済圏の再構築が必要だと考えています。
BusinessModel_organ(文責:棟朝)
 
今回の「社会事業家100人インタビュー」ご参加費合計のうち4,000円は、(特)ORGAN(クラウドファンディング「日本一の和傘産地の逆襲!築100年の町家を伝統工芸体験拠点「CASA」にしたい!」)へ寄付させていただきました。

【レポート】第56回 社会事業家100人インタビュー:(特)秋田県南NPOセンター 理事 菅原賢一氏

社会事業家100人インタビュー第56回
先輩社会事業家のビジネスモデルを学ぶ

2018年4月10日(火)18:30~20:30 於:日本財団2F会議室

(特)秋田県南NPOセンター 理事 菅原賢一さん

菅原様

 
プロフィール:
技術士(総合技術監理部門)、技術士(建設部門)
1947年 秋田県横手市生まれ。国土交通省に37年間勤務し、退職後、秋田県南NPOセンター設立に関与。2004年~2009年 秋田県南NPOセンター理事、2010年~2014年 秋田県南NPOセンター理事長、2014年~現在 秋田県南NPOセンター理事
 
<今回のインタビューのポイント>(川北)
高齢化と人口減少が同時に進行し、課題が深刻化する地域において、自治会・町内会やその連合会の役割は、子どもや子育て世帯のための行事(イベント)ではなく、高齢者のくらしを支える事業(サービス)へのシフトが不可避だ。特に豪雪地では、家屋や道に積もった雪を動かせなければ、通院・通所や買い物など、生活の基礎を脅かす深刻な問題となりかねず、その担い手として、地域組織を再編・新設する地域も増えつつある。その先駆者として、日本有数の豪雪地である秋田県南部の横手市内を皮切りに、雪とともにくらし続けるための「共助組織」づくりと、地域を超えた連携を進めている(特)秋田県南NPOセンターのお取り組みから学んでいただきたい。
 
NPOセンターが共助社会づくり?
(特)秋田県南NPOセンターは、秋田県南部(仙北市・大仙市・美郷町・横手市・湯沢市・羽後町・東成瀬村)を主な活動地域とする中間支援組織です。年間事業費は約5,000万円で、男女共同参画部門(南部男女共同参画センター指定管理)、市民活動部門(市民活動サポートセンター受託)、協働推進部門(NPO派遣相談員事業)、サポートステーション部門(若者就労支援事業)、共助社会づくり部門(共助組織設立・運営支援、地域・自治会支援)の5部門で構成されています。
私は共助社会づくり部門の担当理事です。NPO等の団体支援だけでは、深刻度を増す地域の課題解決に限界を感じ、もっと地域に入り込んで、支援先のすそ野を広げないとという思いから、当センターが提案者となり、内閣府の「新しい公共支援事業」による「高齢過疎地域における共助力アップ支援事業<横手モデル>」(注)として実施したのが始まりです。4つのモデル地区(保呂羽、南郷、三又、狙半内(さるはんない))を設定し、雪下ろし支援・雪よせ支援・買い物通院送迎支援についての実証実験を行いました(2011年10月~2013年3月)。
(注)「『高齢・過疎地域』における共助力アップ支援協議会」(構成団体:秋田県(活力ある農村集落づくり推進室)、横手市(経営企画課)、秋田県南NPOセンター、横手市社会福祉協議会、JA秋田ふるさと、横手平鹿建設業協会)として実施した。
 
急激な人口減少と高齢化、雪害への切迫感
秋田県は、この60年間一貫して人口が減っており、そのペースは年々加速しています。1世帯あたりの平均構成人数は、1950年の5.81人から2015年に2.63人となり(参考:全国平均は1950年5.07人→2015年2.38人)、75歳以上の高齢者のみの世帯率は13.2%を占めました(同:9.2%)。各世帯の人数が減って高齢化すると、買い物、通院、雪下ろし・雪よせ、農作業、お祭りなど、これまで個人の領域でできたこと・するべきとされてきたことが、当然ですができなくなってきます。自助力が低下した分、共助力を高めていかなければ、今後ますます立ち行かなくなります。
県内の各地域にとって、雪の問題は特に大きく、2010年は屋根からの転落事故が200件も発生して社会問題になり、2011年から2014年は4年連続で大雪に見舞われました。「雪害をどうにかしないと」という切迫感が、結果的に<横手モデル>と呼ばれる取り組みを前に進めるきっかけになりました。
<横手モデル>は、旧小学校区を単位とした地域共助組織が、サービスを受けたい住民から依頼を受け、事務局からお助け隊を派遣するしくみです。現在、県南部(横手市・湯沢市・美郷町・羽後町)で18組織が303名の「お助け隊員」を擁し、116集落・4092世帯をカバーしています。「デイサービスの大きな介護車両がくるので、家の前まで道幅広く除雪してほしい」「自家用車を出せるように、車庫まで道をつけて(道路から車庫までの間の除雪をして)ほしい」などのきめ細かいニーズに応えています。
 
BusinessModel_akitakennan
多様なステークホルダーと連携する
共助組織は継続できなければ意味がありません。そこで、行政からの補助金頼みではなく、複数の資金源を得られるよう、地域の多様な組織などとの協議・調整を重ねてきました。
たとえば、13年から株式会社マルシメさんは、狙半内地区からスーパーモール「ラッキー」への無料送迎バスを毎週金曜日に運行し、買い物送迎を支援してくださっています。17年3月までに運行回数は200回、利用者数は延べ3200人となりました。社会福祉法人相和会さんは、「共助作業の安全支援」として、雪よせ・雪下ろし作業にかかる傷害保険料を、13年から4地区分ご負担くださっています。また、秋田県は、従来は業者に依頼・発注していた県道脇の草刈りを、14年から共助組織11団体に委託してくださっており、地域にとっては夏場の貴重な収入源となっています。
また、17年11月からは、トヨタ自動車株式会社さんの福祉車両を使った住民バス運行の実証実験が始まっています(18年7月末まで)。共助組織と横手市が契約を結び、月・水・金の週3日、共助組織のリーダーが運転し、自宅から病院や店舗等へ送迎しています。乗車実績は17年12月には4名でしたが、翌年1月には20名、2月22名、3月34名、4月は10日現在ですでに30名となっています。
 
地域で経済を回し続けるしくみをつくる
南郷地区では、買い物支援への取り組みを始めるのに先立ち、「女性の声を聴く座談会」を開催しました。買い物の現状やニーズについて率直に教えてもらうために、「なぜ地域の商店に行かないのか」とたずねてみると、「賞味期限が書いてない」「価格が他に比べて高い」「お店に入るとじろじろ見られる」などの意見が出されました。こうした意見をお店の人に確認すると、「そんなことはない!」と言われます。実は座談会に出席されたご婦人方は、昭和の時代からその地域の商店にずっと行っておらず、単なる思い込みだったことが判明しました。ただ、その先入観を覆して日常的に買い物をしてもらうには、まず店舗の改善が必要です。そこで、経営の専門家に経営状況を診断してもらうとともに、店内のイメージ改善や売れ筋診断、不良在庫処理などを行っていきました。また、共助活動でお助け隊員に支払う賃金の一部を地域通貨で支払い、お店で使ってもらうようにしました。県外から視察を受け入れる場合も、店舗での買い物をコースに入れています。
山内南地区では、16年から「生きがい食材納入活動」を行っています。共助組織のメンバーが耕作放棄地で野菜や山菜などを栽培し、秋田県南NPOセンターのスタッフが集荷し、相和会の高齢施設や保育所に納入しています。高齢者施設の利用者は地域住民であり、地域住民がいるからこそ施設は成り立ちます。利用者の食事の材料に地元産の野菜を使っていることは、利用者やその家族に対する良いアピールにもなります。取り組みが実り、2年目にして売上目標とした100万円を達成できました。これらの野菜の販売先は、首都圏向けの頒布会や、ふるさと納税返礼品にも広がっています。
 
立ち上げをサポートし、自立をフォローする
共助組織を新たに設立する際には、まず地域の自治会の会長さんたちに挨拶し、その役員のみなさんが集まる機会にお邪魔して、市町の職員と秋田県南NPOセンターのスタッフが一緒に説明します。そこでは「地域の困りごとワークショップ」を実施して、その地域の課題を可視化・共有し、「うちの地区もやった方がいい」「今始めないと間に合わない」など、役員のみなさんに気付いてもらった上で、組織化への具体的な準備に入ります。
共助組織の基本単位となるのは自治会ですが、自治会は会費制で規約があり、意思決定は総会でと決まっています。自治会とは別の組織にする方が、機能上動きやすいので、改めて立ち上げる訳です。
まず4組織(保呂羽地区自治会、三又共助組合、狙半内共助運営体、南郷共助組合)でスタートしましたが、無理に数を増やすことはせず、まずこの4つに自立してもらうことに重点を置きました。その間、他の地域の人に「共助組織とはどんなものか」を知ってもらう時間が稼げたのもよかったと思います。
くらしのニーズに根差した、地味ですが、とても大切な活動ばかりですので、発信には力を入れています。何をやるにも秋田県南NPOセンターから、地元のマスメディアにプレスレリースを一斉送信しますし、調印式や設立式、花束贈呈など、ニュースになりやすい式典をきちんと設定します。新聞やテレビが取り上げてくれると、地域の人たちは自分たちの取り組みが社会から注目されていると感じ、これからも続けていこうというモチベーションが生まれるからです。
 
数字で現状をつかみ、未来を予測する
地域のニーズをつかむためには、前述のワークショップや座談会に加え、「中学生以上全住民アンケート」(「ソシオ・マネジメント」第3号「小規模多機能自治」P42-45)が有効です。年齢層ごとに集計すれば、年齢層別の傾向が明らかになるので、優先すべき取り組みを絞りやすく、「困った」「何とかしてもらいたい」という感覚や状況から、「地域でできることは地域で解決していこう」という意識が育っていきます。
共助社会づくりにおける中間支援組織の役割は、人口予測や全住民調査などを通して、数字で過去から現状を把握し、同時に未来を予測すること。数字は得意でない人も多いですが、判断の材料となる「共通語」であり、他や過去との比較もできます。地域を動かすためには、その判断の材料と、動き出すきっかけとなる機会や手法が重要なのです。
毎年3月には、共助組織が集まって発表会を行い、各々の取り組みを磨き合う機会を設けています。お互い知り合うと、サポートもしやすくなります。17年の第7回地域再生大賞では、横手市共助組織連合会が「北海道・東北ブロック賞」を受賞しました。
(文責:棟朝)
 
 
 
今回の「社会事業家100人インタビュー」ご参加費合計のうち3,500円は、(特)秋田県南NPOセンターへ寄付させていただきました。

【レポート】特別企画  社会事業家100人インタビュー:全国牛乳パックの再利用を考える連絡会 代表 平井成子氏

社会事業家100人インタビュー 特別企画
先輩社会事業家のビジネスモデルを学ぶ

インタビュー実施日:2018年2月16日(金)
ゲスト:全国牛乳パックの再利用を考える連絡会 代表 平井成子様

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プロフィール> 
平井 成子(ひらい せいこ)さん
全国牛乳パックの再利用を考える連絡会 代表
一般財団法人古紙再生促進センター評議員
1962年生まれ、山梨県大月市在住。
大学卒業後、地元特別支援学校の講師を経て、1988年に母親が代表をつとめる全国牛乳パックの再利用を考える連絡会(全国パック連)の活動に事務局員として参加。
1993年、代表の病死により、全国パック連の代表を引き継ぎ今に至る。
主な活動
・古紙利用率向上の可能性に関する調査検討会委員など、毎年経済産業省委託事業の委員会に唯一の市民団体の立場で委員としてかかわっている。
・2004年、原紙メーカー12社による飲料容器のための環境協調会議(於;シアトル)にて日本の牛乳パックリサイクルについてプレゼンを行う。
・中央環境審議会リサイクル部会及び産業構造審議会リサイクル小委員会合同会議にて(2004年12月開催)パック連の活動報告等の意見陳述を行う。
・牛乳紙パックで遊ぶ学ぶコンクール審査委員
・地域への牛乳パックリサイクル講習会や小学校への出前授業を展開し、100か所以上に至る。 等
 
<今回のインタビューのポイント>
「洗って、切り開いて、乾かして、回収に出す」。今では自治体やスーパー等での回収が当たり前になっている牛乳パック。しかし30年前、牛乳パックは全て捨てられていた。そのリサイクルをはじめたのは、企業や行政ではない。「上質の紙を使っているのに捨てるなんてもったいない!モノを大切にする姿を子どもたちに見せていきたい」と、回収ルートも持たぬまま、一人の主婦が仲間に呼びかけて始めた運動だ。「牛乳パックのリサイクルを通じて、家庭の中でのしつけ、そして自らの生き方、暮らし方を問い直して欲しい」という一心でリサイクルルートを開拓し、活動を全国に広げた。やがてその運動は、製紙メーカー、回収業者、市民団体、自治体、そして国を巻き込み、社会全体で取り組むしくみへと結び付いた。
「運動をしくみにして人の行動を変える」。その先駆けともいえる牛乳パックのリサイクル運動のこれまでの経緯、これからの課題を読み解くことで、「運動をしくみにする」その言葉の背景にある一つ一つの行動を学んで欲しい。
 
牛乳パックは社会を見るレンズ
運動の始まりは、1984年に母である平井初美が山梨県大月市で始めていた子育てグループ「たんぽぽ」の呼びかけでした。モノが豊かになり、その尊さを感じられなくなってしまっている子どもたちに、モノを大切にする親の姿を見せていきたい。そのためにまず親が行動しよう。そんな活動の中で、牛乳パックには最高級のバージンパルプが使われていること、それが全て使い捨てされていることを知り、「牛乳パックを捨てないで!使い捨て生活を見直して子どもたちにモノの大切さを教えよう」と大月市内で自主的な回収を呼びかけたのが発端です。
牛乳パックを利用した紙すきハガキづくりのワークショップなどを実施して、使用済みの牛乳パックの回収を呼びかけたところ、多くの人の共感を呼び、短期間で大量の牛乳パックが回収されました。しかし当時は、牛乳パックにラミネートされているポリエチレンを分離処理する設備を持つ製紙メーカーはほとんどなく、牛乳パックはリサイクルできない「禁忌品」として指定されていました。運動を始めた当初、そのことを母は知らなかったのです。集まった牛乳パックをもう一度捨てるようなことがあってはならない。その社会的責任を感じて、母は必死に回収した牛乳パックの受け入れ先を探しました。
それから4カ月間、集めた牛乳パックを引き取ってくれる業者・メーカーを探すために、母は再生紙メーカーや回収業者に電話をかけまくり、東奔西走しました。そしてついに見つけたのが、富士市の丸富製紙株式会社(以下、丸富製紙)さんでした。丸富製紙では、産業古紙である未使用の牛乳パック(製造工程で出る裁ち落とし、プリントミスなどのパック)を再生しており、分離されたポリエチレンもガス化して重油代わりに再利用していたのです。母は同社の社長さんに直談判して、使用済みの牛乳パックの回収受け入れを依頼しました。しかし、使用済みの牛乳パックを受け入れるためには、カビや匂い、湿気がないことが条件でした。飲み終えた後に「洗って切り開き、乾かす」手間が必要となるのです。「そういう手間暇をそちらでかけられますか?」と丸富製紙の社長にたずねられた母は、「責任をもって回収ルールとして徹底します」と答えました。
それまで捨てていた牛乳パックを、「洗って切り開き、乾かしてから回収に出す」なんて、とても面倒でそこまでしてリサイクルに出してくれる人はほとんどいないんじゃないか。紙の全体の生産量からするとわずか1%にすぎない(当時)牛乳パックに、そこまでする意義があるのか。たくさんの懸念や反対の中で、母は信念を曲げませんでした。
「手間暇をかけることで、ゴミではなく資源として生まれ変わる。その手間暇を通じて、確実に人の意識は変化していく。そういう姿を家庭の中で見せることで、子どもたちにも、物を大切にする心を持って欲しい」。
リサイクルのルートを開拓するためには、安定的に大量の回収が必要ですが、牛乳パックの回収量を到達点と考えるのではなく、自らの生き方や暮らし方を問う、そのためのレンズとして牛乳パックの回収を呼びかけよう。その信念の下で、運動の理念に賛同した再生紙メーカーの丸富製紙と、丸富製紙の取引先であった山田洋治商店(回収業者の直納問屋)、そして小平市の回収業者のタイアップによって、牛乳パックのリサイクルルートが開かれました。
 
牛乳パックを媒介にして他分野の団体が集う
その後、たんぽぽと山田洋治商店による地道な普及啓発と、スーパー等への回収協力依頼を通じて回収方法を確立したことで、この牛乳パックのリサイクル運動は日々の生活の中にある身近な素材として、リサイクルの象徴的なものとなり、回収量も徐々に増加しました。回収に協力してくれる団体や店舗、学校、自治体も増え、大月市だけでなく、全国各地で自分たちも牛乳パックの回収、再利用運動を始めようという団体がでてきました。
そこで1985年に、全国各地で牛乳パックの回収、再利用運動に取り組んでいた11団体で「全国牛乳パックの再利用を考える連絡会」(以下パック連)を結成。食育やせっけん運動、生活協同組合、無農薬野菜の流通、福祉活動など、さまざまな分野で活動している団体が集まり、牛乳パックの再利用について意見交換しながら、それぞれの活動の幅を広げていく新しいネットワークができました。牛乳パックを通じて、環境問題はもちろんのこと、食、農業、教育、福祉などさまざまな問題を含めた、ライフスタイルを問い直すための運動を担う組織が生まれ、そのレンズの役割を、牛乳パックが担うことになったのです。
1987年には「第1回牛乳パックの再利用を考える全国大会」を開催し、その後、九州、関西、首都圏、東北などで地域ごとのネットワークが相次いで発足しました。1989年に牛乳パック再利用運動と手すきハガキ作りについてのリーフレットを作成し、「木枠さえあれば自分で手すきハガキがつくれます」と紹介すると、それがメディアで紹介され、木枠の注文が殺到。パック連の事務局を担っていた、たんぽぽの事務所である我が家の電話は鳴りっぱなしでした。
1990年には環境庁(当時)が主唱する環境週間イベントにおいて「第1回手すきはがきコンテスト」を開催し、牛乳パックのリサイクルは多くの人に認知されるようになり、海外からも視察が訪れるなど、運動の広がりは国内だけでなく海外でも注目されました。
それまでの市民運動は、行政や企業の行動の問題点を指摘し批判することに力を注ぐケースが多かったのに対して、この牛乳パック再利用運動は、敵をつくらない運動です。行政からの後援も得られるようになり、環境問題に取り組む市民団体として行政との新しい関係を築くきっかけともなりました。
 
集めるだけじゃない、「集めて使うリサイクル」へ
こうして運動が広がり、牛乳パックの回収量も増えてくると、それをどう使うか、が次の問題になりました。1987年には、丸富製紙だけでなく、牛乳パックを原料として回収受け入れに協力してくれる製紙メーカーが複数になりましたが、それでも使い切れない量のパックが集まってきました。当時、回収された牛乳パックのほとんどはトイレットペーパーやティッシュペーパーとして再生されていました。もともと、環境に配慮して芯のないトイレットペーパーを製品化していた製紙メーカーでつくるネットワーク「コアレス会」に所属する製紙メーカーが主な回収受け入れ先となってリサイクルを担ってくださっていたのですが、再生品である製品が売れなければ回収されたパックが活用されません。そこで、まずは製紙メーカーと協同でアンケート調査を実施。「自分が回収に協力した牛乳パックからできた再生品を買っているか」を調査したところ、「牛乳パックの回収に協力はするが、トイレットペーパーやティッシュぺーパーなどを買う時にはそれらの再生品を選んでいるわけではない(市民)」、「回収に協力しているが、再生品の販売比率は低い(量販店)」、といった問題がわかりました。
そこで1993年からは、「集めるだけではダメ、再生紙を使ってこそリサイクルは完結する」と訴え、「集めて使うリサイクル」を提唱し始めました。さらに、「牛乳パック再利用マーク」(以下パックマーク)を決めて、回収された牛乳パックを原料として作られた再生品にマークをつけて販売促進をする活動を開始。全国各地で「牛乳パック再利用マーク全国キャラバン」を展開しました。リサイクルの意義を伝えて回収量を増やすことに力を注ぐだけではなく、リサイクルの出口となる再生紙普及活動にも力を注がなければならない、という姿勢への転換をしたのがこの頃です。
そこには、再生紙の市場の変化と、再生紙メーカーが生き残りをかけた戦略としてこのキャンペーンに協賛していただいた、という背景がありました。運動を始めた当初の牛乳パックの末端の引き取り価格は1キロ(牛乳パック30枚相当)5円。回収業者の採算を考えて他の古紙類と抱き合わせて大量回収すること、継続的、安定的な回収を図ることなどを約束して、再生紙メーカー、回収業者、市民グループの三者連携で始められた運動でしたが、回収業者や再生紙メーカーからすれば、手間のわりに利益の少ない仕事。活動の趣旨に賛同してくださる志のある企業だからこそ続けられる運動でした。しかし1990年代に入ると、パルプの国際価格が低下したことで、再生紙メーカーはパルプメーカーに押されて業績を落とし、中小規模の再生紙メーカーの中には廃業に追い込まれる所も出てきました。
厳しい状況の中で、コアレス会に参画されている再生紙メーカーは、この運動に賛同してくだり、使用済み牛乳パックを原料として使っていること、「みなさんの回収した牛乳パックを使って製品をつくっています」というところに、生き残りをかけてくださったのです。「営業マンを一人出すくらいの気持ちで、あなたたちの活動を応援しましょう」と、毎月25万円ずつ協賛金を出してくださり、その資金を元にして全国445カ所での「牛乳パック再利用マーク全国キャラバン」が実現しました。
ちょうど、1992年にリオ・デ・ジャネイロで開催された「環境と開発に関する国際連合会議(通称:国連地球サミット)」の影響もあり、「環境」という視点がビジネスの新しい切り口になる時代でもありました。その時代背景の中で、「自分たちで洗って切り開いて乾かして回収した牛乳パックをリサイクルしてできた商品」という訴えは消費者にとってもわかりやすく、当時パック連に加入していた生活協同組合や、消費者団体、無農薬栽培グループ、婦人団体など約1200団体に使用を呼びかけるキャンペーンを行い、「再生品を使ってこそのリサイクル」、「このマークで選ぼう!」という呼びかけを大々的に行いました。
この全国キャラバンを実施した1993年は、私たちにとって、大きな柱を失った年でもありました。当時のパック連代表であり、この運動の創始者である母が1月に他界したのです。その1年ほど前から、以前摘出手術を受けた腫瘍が小腸間膜に転移していることが見つかり、闘病しながら講演会やシンポジウムの檀上に立っていました。「集めて使うリサイクル」へ、その運動の転換の真っただ中での別れでした。母の後任として私がパック連とたんぽぽの代表になったのはその2ヵ月後のことです。「母が実践してきた歴史を語れるのは私しかいない」。そんな気持ちで、1988年からたんぽぽの事務局の手伝いをしていましたが、正直、パック連の代表になるのには戸惑いがありました。「私は母のようにはできない」という気持ちが根本にあるからです。しかし「前代表のやってきたことを自然に受け継げるし一番理解している」、という周りの説得と、「母と同じことはしなくていい。自分なりに考えたことをやっていけばいい」と納得できたことで、覚悟を決めることができました。
同年5月30日(ゴミゼロの日)には、関西の市民グループとスーパーが一緒になって再生紙の利用拡大キャンペーンを一斉に展開。ダイエー、ジャスコ(当時)などスーパー7社が大阪、兵庫の9店舗でトイレットペーパーやティッシュペーパーなどの再生紙製品を集中的に展示販売し、市民グループが店頭に立ってリサイクルを示すパネルの説明やチラシの配布、再生紙に関するクイズの出題などで利用を呼びかけました。このキャンペーンはチェーンストア協会、再生紙メーカー、自治体、市民グループの協働取組みとして、その後も阪神、大阪、滋賀に拡大。翌年にも「再生紙普及キャンペーン・パックマークキャラバン」として福岡、徳島、関西、名古屋、首都圏など全国に広がりました。
 
「容器包装リサイクル法」による法制化
1995年になると、「容器包装に係る分別収集及び再商品化の促進等に関する法律(容器包装リサイクル法)」(1995年6月制定、1997年4月から本格施行)が成立し、包装容器類に対して、消費者は分別排出すること、市町村は分別収集すること、そして事業者は市町村が分別収集した容器包装廃棄物をリサイクルすること(そのコスト負担を一部義務付ける)、という応分の負担のしくみがつくられました。
この法案制定にパック連も積極的に関わり、各地で市民レベルでの学習会を繰り返し開催、厚生労働省をはじめとする省庁の担当者が説明に訪れ、関係企業も多く参加しました。法律の制定の動向をただ見守るのではなく、消費者、市町村、事業者のそれぞれの立場から何ができるのか、牛乳パックの位置づけはどうなるのか、積極的に議論しました。その結果、当初は量が少なくてビンや缶などと同列に置かれていなかった紙パックのリサイクルについても、市民運動を主体として多くの人が関わるリサイクル運動であることが鑑みられ、ビンや缶と同じように企業責任が一部かけられて回収されることになったのです。法制化の段階ですでに回収業者による有償での回収が行われ、上物古紙として再生品がつくられていることなどから、牛乳パックは他の紙製容器包装とは分けて議論され、自治体による分別回収の対象とはなったものの、基本的にはそれまでのリサイクルルートがベースとなって継続されることになりました。ただし、アルミ付きの飲料用紙容器については事業者責任においてリサイクルの道筋をつくることが求められることになりました。リサイクルの推進、それを本来担うべき事業者に責任を認め、消費者にも広く分別を求めたという意味で、法制化は影響も意義も大きかったと思います。
こうしてリサイクルが行政システムや企業活動の中に位置づけられるようになった、ということは、これまで市民がボランティアをしながら地道に取り組んできたことが社会的に位置づけられたという成果です。他方で、「市民の責任を伝えて市民の五感を鋭くする」、洗って切り開いて乾かす、という回収を徹底することや、自治体が定めた分別回収のルールを守ること、事業者がリサイクルしやすい製品づくりをすることに目を光らせ、その意味を事業者に積極的に働きかけていくこと、さらに再生品を日常的に利用することについて啓発していく必要があります。私たちの主な役割が、リサイクルルートを開拓してそれを回すことそのものから、その意義の啓発へ、市民の教育へと、運動の根本に立ち返ることになりました。
 
業界団体との連携の模索
社会的なしくみづくりが進むことで、パック連は、容器包装リサイクル法制定に向けての勉強会や情報交換などを通じて、関係企業や事業者団体との関係も深まり、紙容器メーカーや乳業メーカーで構成される業界団体との協働事業にも取り組むようになりました。
毎年実施していた「牛乳パックの再利用を考える全国大会」や独自調査・研究会などと並行して、事業者団体からの協賛を得て、牛乳パックリサイクルの普及啓発活動や再生紙普及活動などを実施するようになり、この頃からパック連の経済基盤は安定するようになりました。
法律の本格施行がはじまり、再生品が多く世に出るようになったこともあり、パックマークの認知度は向上。1998年からは中学校の社会科教科書や小中学校の環境副読本にも掲載されるようになり、パックマークはエコマークなどとも並んで、社会的な認知を受けたエコ・ラベルの一つとして定着するようになりました。パックマークはパック連が事務局を務める「牛乳パック再利用マーク普及促進協議会」によって会員登録を受けた企業が使用でき、マーク使用のための登録料もご負担いただいています。2006年にはパックマーク登録企業は22社となり、トイレットペーパーやティッシュペーパーはもちろんのこと、ノートや事務用品、名刺、ポストカード、カレンダーや各種印刷用紙など、多くの再生品が登場しました。
また、1992年に飲料用紙容器メーカー、乳業メーカーが中心となってつくられた「全国牛乳容器環境協議会」とは、牛乳パックのリサイクル促進のための各種啓発事業を協働で実施しています。
一方で、それまでは、運動の趣旨に賛同してくださる志ある企業とだけのお付き合いだったのが、この頃から、大手メーカーを含めた、多様な企業とのやりとりが増えていきました。業界団体のひもつきになってしまうと、「運動」の側面が薄れていく。やれることが限られている業界団体の予算の範囲内で啓発事業のメニューを増やしていくことにも限界を感じていました。協賛金という会計の不明瞭さを問題視する人もいたため、一度協賛を断ろう、自分たちだけでやってみよう、と2000年に業界団体からの協賛金を断って独自の事業を展開することにしました。
そこで、(独)環境再生保全機構の地球環境基金の助成金を得て、周辺諸国の飲料用紙容器リサイクル活動の実態調査を実施。調査を通じて韓国、フィリピン、タイの現地NGOと牛乳パックを切り口としたネットワークをつくり、それがきっかけとなって、フィリピンの紙パックリサイクル活動を支援する事業につながりました。
業界団体にとっては、私たちとの関係が絶たれたことで、やるべき普及啓発事業がやれなくなりました。牛乳パックのリサイクルについて専門性がある人材もなく、地域でリサイクルを担っている市民団体とのコネクションもありません。法制化によって事業者のコスト負担が一部義務付けられたとはいえ、使用済み牛乳パックの回収は、家庭への啓発活動から拠点回収、回収業者のルートに乗せるまで地域のボランティアの存在に頼っている現状です。市民団体との連携なくしてはこのリサイクルは実現しないのです。そこで2001年以降は、パック連で普及啓発事業の企画を立て提案・実施し、その対価について業界団体が支払いをする、というしくみに変えて再び業界団体と連携していくことになりました。パック連を「ひもつき」にはしない。でも業界団体とも連携して、活動を広げていく。経済的な基盤としては業界団体からの資金の比率は高いですが、今でも、「ケンカしてでも曲げないことは曲げない」という姿勢は貫こう、と思っています。
 
これからは、「地域で集めて地域で使う」リサイクルへ
パック連は発足から今年で34年になります。この間ずっと使用済み牛乳パックの回収協力をよびかけてきましたが、牛乳パックの回収率は現在44.3%で、その比率はこの数年なかなか上がっていません。その理由の一つは、雑古紙回収として他の紙類と一緒の回収に出されてしまうからです。雑古紙は回収後に焼却される懸念もあり、上物古紙としての牛乳パックのリサイクルとは別のルートに乗ってしまいます。さらに、輸出されて近隣諸国で資源として使われるケースもあり、国内で純粋な上物古紙を確保しにくくなっています。
このため今後は、より「地域で集めて地域で使う」リサイクルを唱えていく必要があると考えています。もともとこのリサイクルは、地域で操業する再生紙メーカーと、地域で古紙回収を行う回収業者、地域の市民ボランティアとのタイアップではじめた運動です。「自分が回収に協力した牛乳パックが、あの会社で再生紙になって、この商品になった。それをこのお店で買って使うんだ」という顔の見える信頼関係の中で、地域で回収されたパックを地域で使うリサイクルの輪をたくさんつくって広げていくことがますます必要です。パルプメーカーに押され気味の地域の再生紙メーカーも、大手パルプメーカーと比べて価格で負けたとしても、品質と信頼では負けない、そういうところを応援していきたい。回収を呼びかけている側の自治体や企業、業界団体自身も、再生紙をもっと利用して欲しい。その働きかけをしていきます。
そこで2012年から、量販店での「紙パックリサイクル促進キャンペーン」を実施しています。牛乳パックの形をした特徴ある回収ボックスを設置して、「牛乳パックを6枚持ってきてくれたらティッシュボックス1箱と交換します」と呼びかけたり、手すきはがき作りを行ったり、牛乳を飲んで手開き体験などしながら、紙パックリサイクルへの理解を促しています。また、「パックマークのついた商品は店内のここで売っています!」と紹介。それまで業界団体が中心となっていた回収の普及啓発事業を、量販店・スーパーの店舗にとってもお客さんを呼び寄せ、売り上げに貢献するようなしくみになるよう企画しました。こうした活動はお客さんも量販店も喜ぶ、意味ある活動です。業界団体からの支援を活用することで、開催する側は場所代のみで実施できます。リサイクルの意義を伝えながらデモンストレーションするノウハウは、これまでのパック連で培ってきたもの。パック連でなければできない事業です。
小学校などへの出前授業も充実し、パックを利用した紙すきの体験を学校で提供する出前授業には、業界団体のOBがサポーターとして参加してくださっています。
さらに、牛乳パックを再生した手すきはがきの製作や牛乳パック回収作業は、全国各地の福祉作業所の重要な仕事の一つとなっており、パック連ではそうした福祉作業所の自主製品の販売の支援も行っています。
リサイクルを促す主体のメインが自治体や事業者になったとしても、パック連の軸はエンドユーザーである市民・消費者への普及啓発です。自分が飲んだ牛乳のパックを、洗って切り開いて乾かして回収に出す。その手間を通じてゴミを資源に変えること、モノを大切にする気持ち、そういう意識を消費者や子どもたちにもってもらうこと。その活動の根本は変わりません。これからも、自分たちの活動に責任を持ちながら、「集めて使う」リサイクルを促し、牛乳パックを通じて広く社会を見る、そういう視点をこれからの世代に伝えていきたいと思っています。

(文責:星野)

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店頭キャンペーン3店頭キャンペーンの様子

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牛乳パックの形をした回収ボックスは全国2万カ所以上に設置

第56回 社会事業家100人インタビュー (特)ORGAN 理事長 蒲勇介氏 2018年4月6日に開催決定!!

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆社会事業家100人インタビュー 第56回
4月6日(金)19:00~21:00 @渋谷

——————————————————————-
ゲスト:(特)ORGAN 理事長 蒲勇介さん
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆◇◆
日本には、世界に紹介したい社会事業家がたくさんいます。
新たなビジネスモデルを創りだした先輩社会事業家100人に、
そのビジネスモデルを確立した経緯、
事業として成り立たせていく段階での経験談を掘り下げて
お聞きする『社会事業家100人インタビュー』。
今回は、岐阜県で長良川流域のまちづくりに奔走する
蒲勇介さんがゲストです!
 
「岐阜と長良川に愛と誇りを持って暮らす人を増やす」ために
“長良川の物語”を伝えるお店「長良川デパート」や
長良川の文化や体験を発信する「長良川おんぱく」の開催、
伝統工芸の復活と新たなブランドとしての発信など、
長良川流域の魅力を凝縮して発信している(特)ORGAN
若者やよそ者が地域に関わり、当事者になっていくための
「縁つなぎ」もしかけるなど、地域の文化や商品を発信する
だけでなく、そこに人を呼び込み、人を育てるプラットフォームを
つくってきた蒲勇介さん。自ら地域の魅力を見出し、磨き、発信する
ことで、「地域づくり支援」ではなく、自分たちが当事者となって
楽しむ蒲さんの発想の源や収益構造、今後の展開と課題など、
たっぷり伺います。
JSE100_kabasan.jpg───────────────────────────────────
● ゲスト:(特)ORGAN 理事長 蒲勇介さん
───────────────────────────────────
プロフィール:
(特)ORGAN 理事長 ファシリテーター/デザイナー/プロデューサー。
郡上市に生まれ、岐阜市に育つ。
国立岐阜工業高等専門学校電子制御工学科卒業、ロボットを学び
九州芸術工科大学芸術工学部 画像設計学科に編入、デザインを学ぶ。
在学中から先輩の起こしたベンチャー企業でデザインの仕事にのめりこみ、
3年目にフリーランスとして独立。
その後、岐阜市に戻ってまちづくりに関わる。
フリーペーパー「ORGAN」の取材中に出会った岐阜の伝統工芸品「水うちわ」
の再生をきっかけに、長良川流域のつながりの中にこのエリアのアイデンティティ
を見出し、流域をつなぐ観光まちづくりに取り組んでいる。───────────────────────────────────
● 開催概要
───────────────────────────────────
日時:2018年4月6日(金)
19:00~21:00
(開場18:45)
会場:ETIC.ソーシャルベンチャー・ハビタット(渋谷)
渋谷区神南1-5-7 APPLE OHMIビル5階
http://www.etic.or.jp/etic/access.html
定員:約30人(先着順)
参加費:
SBN会員: 1,500円
SBN非会員: 2,500円
※SBN=一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク
※うち1人500円分は、ゲストの指定する寄付先にそのまま寄付させていただきます。
(参加費は当日、受付にて徴収させていただきます)
※同日にSBN会員申込していただくと、会員価格でご参加できます。
対象:
社会事業家として事業を始めている方、これから始めようとされている方
ビジネスモデルの作り方を先輩社会事業家から学びたい方
共催:一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク(SBN)
IIHOE [人と組織と地球のための国際研究所]
特定非営利活動法人ETIC.
───────────────────────────────────
● プログラム
───────────────────────────────────
◇ ゲストのご紹介、趣旨説明
◇ ゲストご自身からビジネスモデルの紹介
◇ インタビュー
インタビュアー:ソーシャルビジネス・ネットワーク理事、
IIHOE代表者 川北秀人
◇ 参加者からの質疑応答
・参加者からの質疑応答の時間を設けますので、
ご参加いただく方は1人1回はご質問ください。
・ゲストの事業についてご理解いただくために、事前資料をお送りします。
(参加申込いただいた方にご連絡します。)
───────────────────────────────────
● 申込み
───────────────────────────────────
下記URLのフォーマットに記入の上、4月5日(木)までにお送りください。
定員になり次第、締切らせていただきますので、お早目にお申込みください。
http://goo.gl/skWyL
※開けない場合は、メールにて、お名前、ご所属、ご連絡先(eメール、電話番号)
を書いてお送りください。
送付先 hoshino.iihoe(a)gmail.com *(a)を@に直してお送りください。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【お問い合わせ先】
————————————————————-
IIHOE[人と組織と地球のための国際研究所] 担当:星野
hoshino.iihoe(a)gmail.com *(a)を@に直してお送りください。
※本事業はSBN理事を務めるIIHOE川北と、SBNとの協働事業のため、
申込対応業務をIIHOEにて担当しています。
◇本プロジェクトのfacebookページ
http://www.facebook.com/100JapaneseSocialEntrepreneurs

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