【東北復興に対する私たちのアプローチ~働くことは生きること~仕事という希望を積み上げる③】

こんにちは。ソーシャルビジネス・ネットワーク事務局の石井です。

これから創業支援をした60社から、数名をご紹介させていただきたいと思います。

まずは「Laugh」の菅野恵さん。笑顔が素敵な女性です。高校を卒業後、東京で働いていましたが、震災をきっかけにUターンし、起業しました。

菅野さんのお店は雑貨や石鹸などを扱うセレクトショップ。たくさんの方々の未来が笑顔に、そして笑いにあふれて欲しいという想いを込めて付けたということです。コンテナでつくられた陸前高田未来商店街にお店があります。

私がうかがったときは、無添加の、とても質の良いオリーブ石鹸が販売されていました。でもこのお店の看板商品は、なんと言っても陸前高田で作られた葡萄を原料にした石鹸「ラフぷる~ん」です。グミのようなプルプル感が珍しい石鹸、これは、池内タオルの池内社長の「徹底的に無添加に、安心安全な商品づくりを」というアドバイスに基づいてつくられました。ネットでの販売もしています。

明日は日本初の単独型訪問リハビリテーション事業、ロッツ株式会社の富山泰傭さんをご紹介したいと思います。

【東北復興に対する私たちのアプローチ~働くことは生きること~仕事という希望を積み上げる②】

こんにちは。ソーシャルビジネス・ネットワーク事務局の石井です。今日も朝から暑いですね。こんな日は、よく冷えた陸前高田の自根キュウリに美味しい塩を振って、ぽりっといきたいところです。

昨日は、私たちの東北復興支援に対する関わり方として、「仕事という希望を積み上げる」というアプローチを選択していることをご紹介しましたが、その活動について、具体的にご紹介させてしたいと思います。

被災地に仕事をつくる・・・。その資金源として、内閣府の交付金である「復興支援型地域社会雇用創造事業」を活用することにしました。これは被災地での社会的事業の創出を支援する団体に交付されるものです。

この交付金を活動資金とし、昨年度、ビジネスプランコンペやハンズオン支援をし、60社の社会的事業が生み出されることとなりました。

ハンズオン支援では、弊団体の理事を務めてくださっている池内タオル株式会社代表取締役社長の池内計司さんと、評議員を務めてくださっている株式会社四万十ドラマ代表取締役の畦地履正さんに、多大なご支援をいただきました。ありがとうございました。

さて60社の社会的事業ですが、例えば、陸前高田で作られた葡萄を原料にした石鹸の開発・販売、日本初の単独型訪問リハビリテーション事業の展開、一人暮らしの老人のためのカフェの運営など様々です。

そしてとても嬉しいことに、若い方が数多く活躍しています。中には陸前高田市出身の方が、震災をきっかけに、ふるさとをなんとかしたいという想いからUターンして起業したというケースもあります。

起業した方々が、とても素敵に仕事をしている様子を見て、さらに若い方々が「自分も」となっていくことで、希望がつながり、豊かなまちの復興が果たされれば嬉しいです。

この活動を通じて、若者ががんばってくれている、日本も捨てたものではないと、逆に元気をいただきました。

第17回社会事業家100人インタビュー 7月25日開催!

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『社会事業家100人インタビュー』第17回

(7/25:ゲスト かものはしプロジェクト村田早耶香さん)

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◆社会事業家100人インタビュー 第17回

 2013年7月25日(木)19:00~21:00

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~かものはしプロジェクトに学ぶビジネスモデルの進化~    

ゲスト:村田早耶香さん

(特)かものはしプロジェクト 代表

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先輩社会事業家から“ビジネスモデル”を学ぶ「社会事業家100人インタビュー」!
第17回のゲストはかものはしプロジェクトの村田さんです!

詳細:http://blog.canpan.info/iihoe/archive/228

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かものはしプロジェクトは「子どもが売られない世界をつくる」

ことをミッションとし、2002年からカンボジアで、2012年からインドでも

児童買春問題の解決に取り組むNGO。

 

2002年に村田早耶香さんを中心として、当時大学生だった3人の若者が

立上げ、児童買春の原因の一つである貧困対策のための職業訓練をスタート。

現在では農村部の貧困家庭の女性を中心に、働く場と教育を提供するための

コミュニティファクトリーを経営。

「子どもが売られる」状況を予防するための取り組みを行っている。

 

2009年からは売られてしまうリスクの高い子どもたちを保護するために孤児院支援を開始、

また2010年からは警察が事件を摘発するための訓練等をサポートする警察支援事業も実施。

2012年からはインドでの活動をはじめるべく、現地NGOとのパートナーシップを組んで

新たなプロジェクトを開始している。

 

2900人にのぼるサポーター(個人会員)や約400人にのぼるボランティア、

多くの専門家が評議員や顧問としても支援するかものはしプロジェクト。

たくさんの外部の力を借りながら基盤を固めていった求心力はどこにあるのか。

様々な課題にぶつかる中でビジネスモデルをどのように変化させてきたのか。

「活動内容」ではなく、その「ビジネスモデル」の進化・深化を、その背景とともに学びます。

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● ゲスト:村田早耶香さん

特定非営利活動方針 かものはしプロジェクト 代表

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プロフィール:

19歳の時に、子どもが騙されて売られている問題を知り活動を開始。

20歳の時に仲間と共にかものはしプロジェクトを設立。

2006年25歳の時に日本青年会議所主催「人間力大賞 準グランプリ」受賞

2007年26歳の時に 国際青年会議所主催 過去にケネディやキッシンジャーなどノーベル平和賞受賞者が若手だった時に受賞している、傑出(けっしゅつ)した若者に送られる「TOYP(トイップ)」受賞

2011年 ジョンソン・エンド・ジョンソン主催 「ヘルシー・ソサエティ賞」を受賞し皇太子殿下に謁見

日本の若者の活躍が話題となり、カンブリア宮殿、NHK、イギリスのフィナンシャルタイムズなど各種メディアに取り上げられる。

2012年、 全国日本商工会議所助成連合会主催 第11回女性起業家大賞優秀賞受賞

 

著書:「いくつもの壁にぶつかりながら」2009年 PHP研究所

 

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● 開催概要

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日時:2013年7月25日(木)19:00~21:00

場所:ソーシャルビジネス・ネットワーク(SBN)事務所

東京都港区南青山1-20-15 ROCK 1st ソーシャルビジネス・ネットワーク(SBN)事務所

(地下鉄千代田線 乃木坂駅 3番出口より徒歩3分)

https://socialbusiness-net.com/about/access

定員:15名

参加費:  

 SBN会員: 1,500円

 SBN非会員: 2,500円

 https://socialbusiness-net.com/

※うち500円は、ゲストの指定する寄付先に寄付させていただきます。

 (参加費は当日、受付にて徴収させていただきます)

※同日にSBN会員申込していただくと、会員価格でご参加できます。

対象:

社会事業家として事業を始めている方、これから始めようとされている方

ビジネスモデルの作り方を先輩社会事業家から学びたい方

主催:一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク(SBN)、

   IIHOE [人と組織と地球のための国際研究所]

 

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● プログラム

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◇ ゲストのご紹介、趣旨説明

◇ ゲストご自身からビジネスモデルの紹介

◇ インタビュー

  インタビュアー:ソーシャルビジネスネットワーク理事、  

  IIHOE代表者 川北秀人

◇ 参加者からの質疑応答

・参加者からの質疑応答の時間を設けますので、

 ご参加いただく方は1人1回はご質問ください。

・ゲストの事業についてご理解いただくために、事前資料をお送りします。

(参加申込いただいた方にご連絡します。)

・希望者の方は終了後に1時間程度懇親会にご参加いただけます。

(同会場にて。1500円程度予定)

 

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● 申込みについて

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下記URLのフォーマットに記入の上、7月24日(水)までにお送りください。

定員になり次第、締切らせていただきますので、お早目にお申込みください。

http://goo.gl/skWyL

※開けない場合は、メールにて、お名前、ご所属、ご連絡先(eメール、電話番号)、

ご住所(市町村まで)、SBN会員有無、懇親会参加可否 を書いてお送りください。

送付先 hoshino.iihoe@gmail.com

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【お問い合わせ先】

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 IIHOE[人と組織と地球のための国際研究所] 担当:星野

 hoshino.iihoe@gmail.com 070-6971-3523

 

※本事業はSBN理事を務めるIIHOE川北と、SBNとの協働事業のため、

申込対応業務をIIHOEにて担当しています。

◇本プロジェクトのfacebookページ

http://www.facebook.com/100JapaneseSocialEntrepreneurs

イベントページ

http://www.facebook.com/events/133209986886078/

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【レポート】『社会事業家100人インタビュー』特定非営利活動法人てっちりこ 代表理事 岡本勝光氏

「先輩社会事業家のビジネスモデルを学ぶ」

第16回『社会事業家100人インタビュー』 特別編 (岡山開催) 

~地域の資源を生かした地域経済のつくり方~

 


ゲスト:岡本勝光さん
特定非営利活動法人てっちりこ 代表理事

プロフィール

赤字の第三セクター会社の経営支援のために、40代後半に出身地の岡山県奥津地方にUターンした岡本さん。道の駅の開業をサポートし、開業3年連続で黒字決算を達成。その後、出身集落の大釣温泉周辺の景観と清流を守る環境保全活動を行うため、2004年に地元の仲間と特定非営利活動法人「てっちりこ」を設立されました。

「てっちりこ」では地域特有種の姫とうがらしの栽培と加工販売事業に着手し、研究者の協力を得て姫とうがらしの成分を徹底分析。特性を活かした姫とうがらしドレッシングや調味料が人気商品となり、地域で伝統的に続いてきた姫とうがらしの栽培・生産を守りながら地域の雇用を創出。重量作物が育てられない地域の高齢者の仕事づくりになっています。

また、事業収益で郵便や宅配便が満足に届かない地域の配達代行や奥津渓谷の環境保全活動などにあて、地域の資源を生かしながら地域内の経済循環をつくり、中山間地域の地域活性化に取り組まれています。

 

<今回のインタビューのポイント>(インタビュアー IIHOE川北)

人口流出や高齢化など、数十年にわたって「過疎先進地」であった中山間地域は、課題に向き合う努力と工夫の先進地でもあります。

 岡本さんは、自ら起業される前に、第三セクターでマイナスからの再生を実現されたうえで、地域の方々とともに団体と事業をスタート。「実績→信頼→組織づくり→商品+ブランドづくり→地域へのサービスの拡充」という人「交」密度を高める過程と、特産品づくりを通じた地域の巻き込みやブランドの発信は、地域づくりに取り組む人々にとって、共通の基礎です。

「地産地笑」

地元のもので、地元の人が笑える地域に!

 

私たちの地域、岡山県奥津地方(旧奥津町)は約50年間、ダム闘争をしてきた地域です。人口の約1/3が移転を余儀なくされ、苫田ダム完成とほぼ同時期の2005年に平成の大合併により、鏡野町・上齋原村・富村との合併で新・鏡野町(かがみのちょう)となりました。鏡野町の中でも奥津地域の現在の高齢化率は約43%。ダム建設による移転の影響もあり、深刻な過疎化が進んでいます。昨年の正月には、奥津温泉の歴史ある旅館が廃業となり、大きなショックを受けました。

こうした経験から目の当たりにしたのは、中山間地域は切られる傾向にある、ということ。我々住民が生活し続ける環境は、我々自身が守っていかないといけない。そういう想いで2004年、50歳の時、特定非営利活動法人てっちりこを立ち上げました。

 

鏡野町には、ダム建設の影響で公共施設がたくさんあります。補助金がたくさん出たので、施設はできますが、運営能力がない。施設が完成しても、1年後には赤字になる、の繰り返し。そんな中で、小売業で中小企業診断士だったこともあって、道の駅をはじめとする公共施設のビジネスモデルを、第三セクター会社の参与や役員の立場でみてもらえないか、という依頼がきました。地元民としては、赤字を出し続ける公共施設の状況を「もう見ていられない」という思いもあって、引き受けることにしました。とはいえ公共施設のビジネスモデルをつくるのには様々なジレンマがあって、一筋縄ではいきません。

そんなところに、1人のおじいさんが「こんなとうがらしがあるんじゃけど、これ売れるじゃろうか」と道の駅にとうがらしを持ちこまれました。1998(平成10)年のことです。食べてみたら、ほんまに美味い。普通の鷹の爪のとうがらしじゃない。そのとうがらしを詳しく調べるために、とうがらしの第一人者を調べ、信州大学の先生に送って調べてもらったところ、「これは日本古来の品種と言ってもいいくらい、すごいとうがらしですよ!」という回答が返ってきたのです。「これは特産品化せにゃ!」と考え、生産を増やすことを提案、まずは持ち込まれたおじいさんの近所に、この姫とうがらしの生産を広げてもらう事業計画を書きました。

ところが、第三セクターはそんな個人的なことをしてはいけない、公平に公募しなければいけない、それが平等だ、と三セク内部からストップがかかったのです。これはまだ、うまくいくかどうかもわからない試験的な、住民と一緒につくっていく民間の計画です。平等原則を貫いていたんじゃ進まない。地域の人と一緒にもっと楽しみながらやろうや、と、2004年に特定非営利活動法人てっちりこを立ち上げ、そこでこの計画を手掛けることにしたのです。

てっちりこではまず、地域の資源にどんなものがあるかを調査しました。まずはとうがらし。信州大学の先生の助言ももらいながら、この姫とうがらしが調味料に向いていることを突き止め、3年かけて商品開発をしました。

そのほかにも、旧・奥津町では、全700軒のうち17軒に1軒の割合で山椒の木がありました。そのほとんどが家庭用に少し採るだけで、収穫はほとんどされていない。「この山椒を商品化したら、地元の人はたくさん出荷できるだろうなあ。それに赤じそ。荒廃地でも種さえあれば勝手に生えてくるからなんぼでもある。それを活かしてゆかりにしたり、青じそドレッシングにしたらどうだろうか・・・」という風に、地域に眠っている資源を一つ一つ調べていって、どうやったら商品化できるかを考えていきました。

その結果、姫とうがらしドレッシングに姫とうがらし味噌、山椒の実、青じそドレッシング、七味ふりかけなど計6種類の作物を商品化して、地域の人に生産を広げてもらうことにしました。地域の人にとってはもともとそこにあった作物が転作作物になり、重量作物が育てられない地域の高齢者の仕事づくりにもなる。もちろん出荷基準をつくって、出荷量もコントロールしながら、少しずつ、その地域の資源を活用した商品化を進めていきました。

とはいえ、NPOの経営はやっぱり苦しい。最初の2年間はほとんどボランティアで、3年目からようやく売上が出てくるようになりました。最初はとうがらし商品で20-30万円の売上。それを「倍々ゲームで毎年増やしていこう!」と、いろんな商品をつくって売り出しました。これまでに、とうがらし商品が35アイテム、山から採れる作物を加工した「山美人」シリーズが25アイテムで計60アイテムを商品化しました。しかしこれらがスーパーで一般に売られているような大手の商品と競合したのでは勝てません。こだわって作られたものをこだわって売ってくれるところ、付加価値をつけられるところで売らなくては。そこで大手スーパーではなく、あえて百貨店やサービスエリアに営業をかけ、1本100円じゃなくて350円で売れるところで売ってもらおうと考えました。

それから地元の人を味方につけようという作戦を立てました。新しい商品ができると、まず旧奥津町の700軒にみんな配ります。「こんな商品つくってみたけどどうじゃろうか」と聞いて回って、「こりゃええ」と地元の人たちから言ってもらえたら、販売に踏み込む。地域の人がみんな知ってる、自慢できる商品に仕上げることが大事なんです。地域のじいちゃんばあちゃんが知ってるから、盆や正月に帰ってきた子どもたちに話してもらえる。そしたら近くのサービスエリアではお土産として、盆正月には1000本単位で売れるわけです。

 

行政の人がよく言うのは地産地消、という言葉。地元の商品を地元で消費すること。でもそれは当たり前のことです。我々がしているのは地産地商。地元の産品を地元で商いする。それからさらに進んで、地産都商。地元の産品を都会で商いする。そうすると地元にお金が回るようになる。そして、最後には「地産地笑」。地元のもので地元の人が笑えること。そういう地元産品を作って、笑える地域にしていかないと、と考えています。


大切なのは、人交密度

商いと同じように大事なのは、「人交密度」。地域の人が声を掛け合うしくみをつくることです。

実はてっちりこでは、地元産品の商品開発のほかに、郵便や宅配便の配達代行、ごみの収集事業もやっています。旧・奥津町では合併によって3つあった郵便局が1つになり、職員数も半分以下になりました。非常に広い地域ですから、一番遠くの集落まで配達に出たら、夕方まで帰ってこられない。人手が足りないから、満足に郵便も届かない。そんなんでは困る、という地域の人の声を代弁して意見すると、「じゃあお前のところでできるんか」「やっちゃるがな!」ということになって、始めたのです。そのうち宅急便もメール便も頼まれるようになって、旧奥津町の300世帯をカバーするまでになりました。

そうやって配達で回っていると、この地区のあそこに山椒の木があるとか、しそが今採り頃だ、というのが見えてきて地元の人と話をするようになる。それが商品開発にもつながっていったわけです。でもこの配達事業単体ではほとんど収益にはなりません。車代もガソリン代もかかりますから。立ち上げ当初は助成金にもお世話になりながら、いろいろな事業との組み合わせでやっている、というのが現状です。

そんな風にして地元をぐるぐる回っていると、今度は行政から「ごみ収集もしてくれないか」と持ちかけられました。ごみ収集も合併の影響で処理範囲が広くなり、広いエリアに集積所が1つしかなくなっていました。これからは高齢化で集積所に持って行くことさえたいへんな人たちばかりになるのに、そんな不便にしてどうするのか、と意見したところ、「じゃあお前のところでやってくれ」という話になって、集積所を減らさないで収集するようになりました。「地域のごみは地域の人で処理しましょう」をモットーに、定年退職した地域の人に1日3,4時間の労働で収集業務をやってもらっています。

そうやって、いつも誰かしら地域を回っている状況なので、地域のさまざまな情報が集まってきて、そのスタッフたちが地域の見守り役にもなります。「昨日洗濯物出てなかったけど大丈夫か」と声をかけたり、誰も住んでいないはずの家で家財のゴミが出ていたら、「その家に何かあったんじゃろうか」と心配して、いろいろな対策が立てられる。そうやって得た情報を、地域の困り事の情報収集、これからの事業展開につなげていくことができます。

この他にも、例えば地域の障がい者の作業所や公民館の運営費、敬老会の支援も行っています。障がい者作業所は10人集まらないと行政の補助が得られない。でも中山間地域の小さな集落で10人集まるわけがないんです。補助がなくても、1人2人であっても支え続けよう、と決めて、ほとんど赤字ですが、指導員の人件費を払いながら、作業所の運営も続けています。

住民が中山間地域で生活し続ける環境を、住民自身が守っていくためには、地域の人との交わりの密度を上げること、住民同士が声を掛け合うしくみをつくることが何よりも大事です。配達やごみ収集を通じて地域をまわりながら、人交密度を上げ、同時に地域の資源もみつけて商品開発する。そこで得た利益は、赤字だけど地域になくてはならないサービスの運営に回す。これから先、住民の買い物支援やライフラインの維持など、必要になるサービスはますます増えていくでしょう。その全てを自分たちで担えるかはわかりませんが、できるかぎり地域のことは地域の人で解決するしくみをつくっていきたいと思います。それに、どうせやるなら楽しく、地産地笑でいきたいですね。

 

「てっちりこ」の販売商品  http://www.karabijin.jp/

 

【レポート】『社会事業家100人インタビュー』特定非営利活動法人きょうとNPOセンター 常務理事 深尾昌峰氏

「先輩社会事業家のビジネスモデルを学ぶ」

12『社会事業家100人インタビュー』

 

 

ゲスト:深尾昌峰さん

特定非営利活動法人きょうとNPOセンター 常務理事
公益財団法人京都地域創造基金 理事長
株式会社PLUS SOCIAL 代表取締役

 

プロフィール

京都府生まれ。熊本県立熊本北高等学校を経て滋賀大学卒業。

大学在学中からボランティア活動に参加。

大学院在学中にきょうとNPOセンターの構想づくりに参画し、1998年に特定非営利活動法人きょうとNPOセンターを立ち上げ事務局長に就任。以来、京都を中心とする市民活動基盤整備に奔走する。

2001年には日本で初めての特定非営利活動法人放送局京都コミュニティ放送を設立。

2003年から2007年までは京都市市民活動総合センターのセンター長も兼務。

2009年公益財団法人京都地域創造基金を設立し理事長に就任。

2009年12月にきょうとNPOセンター事務局長を退任。

2010年4月に龍谷大学法学部准教授に着任。2011年4月から同政策学部准教授。

専門は非営利組織論。

 

<今回のインタビューのポイント>(インタビュアー IIHOE川北)

 

市民活動や市民運動が、社会や地域の課題解決や理想実現のために行われる以上、その支援者も、社会や地域の課題や理想への取り組みを、効果的に支えられるよう、役割や技能の進化を求められる。

支援者の役割と機能を拡充するために、「次へ」「もっと役立つために何をすべきか」という姿勢を形にし続けるために、リーダーはどんな努力と工夫をしたかを、学んでいただきたい。

 

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信用は「借りる」しかない

 

私は1998年にきょうとNPOセンター立上げに参画し、以来、京都コミュニティ放送の設立や京都地域創造基金の立ち上げに関わってきました。今も新しい社会貢献型企業の設立など、いろんなことをしていますが、今の自分の立ち位置を回りから見られると、「それは深尾くんだからできるんだよ」とよく言われます。正直、めちゃくちゃ腹が立ちます。

私は高校卒業するまで熊本で育ち、大学入学を機に京都に移り住んだ時には、京都には誰一人友人はいませんでした。京都は信用や信頼を非常に重視する社会。地元で長く住み、商いを営む人々の信用に、僕なんかは到底太刀打ちできない。そういう中でもがきながら見つけたのは、「信用は借りるしかない」ということでした。

 きょうとNPOセンターの立ち上げの当時、地域のさまざまな人と一緒に構想を練りながら、大学院生だから無償で働けるということで、私が事務局長をやることになりました。京都に何の基盤もない自分がどうやって、ある程度は京都を代表できるような「きょうとNPOセンター」を築いていくか。地域の人や物、資金などの資源の取り合いをせずに、強くしなやかな組織をどうつくるか。信用を重視する京都の地域社会で信頼を得るには、「信用を借りる」しかない。そこで京都の老舗と言われる企業や家元などの伝統ある方々に、徹底的に協力をお願いしに回りました。家元の家の前まで行き、警備の人にどうアポイントメントをとったらいいのかを尋ねたこともあります。そうやってお願いに回りながら、少しずつ応援やご縁をいただき、その細い糸を手繰り寄せながら、本当に少しずつ、きょうとNPOセンターの形をつくっていきました。

 
 

寄付でなく「出資」で経営に参画してもらう

 

「NPOでは信用を得られない」「資金援助をもらえない」と嘆く人たちもたくさんいますが、ちゃんと頼んでいないだけなんじゃないか、きちんとお願いをしていないんじゃないか、と思うことがしばしばあります。「寄付はしないけど、出資ならする」という人も、地域にはたくさんいます。私がそれを実感したのは、コミュニティラジオ局を開設する時でした。

当時、ラジオ局を開設するためには初期投資として約3000万円の資金が必要でした。ラジオ放送をやりたい人は自分たちの回りにたくさんいましたが、お金を持っている人はいなかった。そこで、ラジオ局の広告代理店としての株式会社をつくって、地域の方々に出資をお願いしました。そうすると、応援の仕方として「寄付ではなく出資ならする」という人がかなりいたのです。「京都三条ラジオカフェ」という名のコミュニティラジオなので、三条という地域に根差している企業や住民の方々が、多く理事や出資者になってくれました。

当然、出資にはリスクがあります。経営状態が悪くなれば出資金は戻りません。自分の大事なお金を出資された方々ですから、みなさん非常に厳しい目で経営状態をチェックされます。「ちゃんと活動をしているか」を確認される寄付者の目とは違い、「ちゃんと経営をやっているのか」という地元の経営者からの厳しい目です。それまで味わったことのない緊張感がありました。結果として合計約3000万円を出資で集め、今でも2000万円程度は残っています。「出資金を返して欲しい」と言わない出資者が半数以上おられるのです。その方々からは今も常にボジティブなチェックを受けています。

その出資金で設備を買い、放送をするわけですが、出資金の返済をどう行うかが、また難しい問題でした。「京都三条ラジオカフェ」はラジオ局の広告代理店業としての株式会社を持ちながら、特定非営利活動法人京都コミュニティ放送が放送を行うという、株式会社とNPOが一体となったしくみです。NPOである京都コミュニティ放送が放送の免許を持つ、当時日本初のNPO放送局でした。設立時には株式会社で出資金を集め、そのお金で設備を買ってNPOが会社の設備を借りる形で放送をします。NPO側の現金収入はほぼありません。そこで、その設備費として、5年間無償で会社側に「時間」をプレゼントする、無償で放送枠を提供する、という方法をとりました。放送事業は免許を取ってしまえば、時間が資源であり、商品です。放送局であるNPOから企業に時間を無償提供し、その代わりにNPO側に企業の設備財産を移管していったのです。企業側はその放送枠を売って利益を出し、出資金を返済していきました。いわば、放送局のNPOが持つ財である“時間”とバーターしながら出資金の返済を行ったのです。これがなかなかうまくいきました。

このラジオ局をつくる経験の中で一番よかったのは、「どんなにいいことをしても、継続できなければ意味がない」という経営の基本を地元の経営者たちからガチンコで叩き込んでもらえたこと。出資者や理事の多くが三条という地域で商売をする経営者たちですから、毎回の理事会では真剣な経営の議論になります。どんなにいいプランでも事業として成立しないとゴーサインはでません。彼らとしては当たり前のことなんですね。でもNPOの側からしたら、儲からなくても社会的意義があることはやらなければならない!という使命感がありますから衝突も起きます。理事の企業経営者にとっても、市民的な感覚で町のための事業を組み立てるには、会社のためだけの経営視点ではだめなんだという勉強になった、と後になって言ってもらうことができました。NPO側にとっては経営感覚を磨き、企業側にとっては市民感覚を学ぶ、両者にとっての相乗効果がありました。

 

今あるものにプラスソーシャルアライアンスを組むことでスケールをつくる

 

もう一つ、私が事業をつくる中で気を付けたのは、スケール(規模)をつくること。自分たちの組織を大きくしたいわけではなく、社会を変えるための資源を集めるためには、ある程度のスケールを見せることが必要だと考えました。2009年に京都地域創造基金という財団を作りましたが、資金力もない僕らだけでは地域の課題を解決することはできません。社会の力をどう借りるか。おこがましく言えば、社会の力をいかに引き出すか。いまあるものに「プラスソーシャル」して、様々なアライアンスを組むことで社会を変えていけるのではないか、という発想です。

例えば「居酒屋」プラスソーシャル。京都地域創造基金で「カンパイ・チャリティ」というキャンペーンを実施して、キャンペーン期間内に参加店舗が提供する「カンパイ・チャリティメニュー」を注文すると、販売額の一部が寄付になるしくみをつくりました。お店やそのスタッフ、お客さんに身近に寄付に参加してもらうことを大切にして、寄付先もお店ごとに選んでもらい、各店舗に使途の報告もしています。“京都のまちで循環する支援のしくみ”にこだわり、京都で活動する団体を、京都に根差したお店が応援する、という枠組みです。

このキャンペーンのお願いのために様々なお店に営業に回っていますが、すごいのは、いまだ1件も断わられていないこと。実際にお願いに行くと、「自分の店でこんなことができるのか」と喜んでくれるオーナーさんがいます。そのうちのお一人は全店舗のスタッフを集めて研修までしてくれました。寄付先を選ぶのにも、スタッフと議論して決めてくれて、接客をするスタッフがお客さんに寄付先の団体の活動を紹介できるまでになる。立派なファンドレイザーです。その説明を聞いたお客さんのほとんどがそのメニューを注文、「俺は社会のために飲むんだ!」なんて言い訳にまでなるわけです。そういうことが、居酒屋の力を借りればできるんです。一杯の寄付の額は50円程度と少ないですし、あえて全国規模の大手のチェーンではなく、地元で商売をしているお店にだけお願いをしていますから、正直、合計してもそんなに大きな額にはなりません。でも続けていくこと、そしてこうしたキャンペーンを通じて地元のお店を応援する人が増えることが大切だと思っています。地域のお金が地域で循環するしくみをつくること、そういうしかけを作ることで変えていけることはたくさんあるんです。

 

地域の資源を地域で循環させるしくみをつくる

 

そういう発想でいると、資源が東京に集約されていく現状のしくみに憤りを感じることが多々あります。先日記者発表をした株式会社PLUS SOCIAL、という会社の設立も、その「怒り」がきっかけでした。

(株)PLUS SOCIALは定款で株主への配当を禁じた非営利型の株式会社です。株式会社として一定の収益をあげ、「金銭的な収益」をより積極的に「社会的な利益」に還元していけるような、新たなスキームづくりへのチャレンジです。この会社で、メガソーラーの建設に着手しました。そのきっかけは前述の「怒り」からです。今、メガソーラーの建設が相次いでいますが、そのほとんどが、地域に循環するお金の流れになっていない。地方自治体が広大な土地を貸しても、運営を東京の企業に任せてしまえば、資源が東京に集約されてしまいます。なんとか地域で循環するしくみにできないか、そのモデルが日本にはなかったので、じゃあつくってしまおう、と会社を設立することにしました。

ここでも最初の難関は、初期投資でした。第一号の案件で手掛けているメガソーラーは約2000キロワットの規模で年間1億円くらいの収入になるのですが、初期投資として7億円必要だったのです。普通は7億円なんて集まりません。でも、既存のスキームに「プラスソーシャル」して考えれば、それが実現できたんですね。ただその過程でちょっとしたつなぎ資金が必要になり、3000万円のキャッシュがこの年末に急遽必要になりました。その資金があれば次のステージにいける、というところまできていました。そこでfacebookでつぶやいてみたんです。そうしたら15時間位で応援してくれる人が集まって、3000万円が集まりました。感動しました。「言ってみる」、「やってみる」、「頼んでみる」ことは本当に大切なんです。そしてその「お願い」は自分にとってのプレッシャーにもなりますから、その責任を果たしていかなければなりません。

 

こうやって、今あるものにプラスソーシャルすることで実現できることは本当にたくさんあります。出資者にプラスソーシャルすれば社会的責任投資になり、社会事業を生み出せます。ある程度大きなお金を市民コミュニティ財団が扱うことで、次の大きな夢のための種銭(たねせん)となり、収益を次の出資、地域のための投資的な資金として回していくことができます。やれることの幅がぐんと広がります。

もっといろいろなことにプラスソーシャルすることで、社会にある力を引き出していくことはまだまだできるはずです。僕らが人を育てていくこと、そして支えるためのインフラを本格的に作っていく、つないでいくことで、社会をよりよい方向にもっていくことができる。その可能性を今、すごく感じています。

 

~働ける?から働ける!へ~ 「働き方メッセ」開催決定!(2013年6月22日(土))

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~働ける?から働ける!へ~

一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク/働き方メッセ実行委員会主催

「働き方メッセ」開催決定!(2013年6月22日(土))

https://socialbusiness-net.com/Hatarakikata_Messe/

申し込み:https://ssl.form-mailer.jp/fms/eb063f07249055

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◆働き方メッセとは◆

「働きたい」という思いはあるけれど、様々な障壁や障がいが理由で働くことができない方。

「自分に合う働き方が分からない、 受け入れてくれる企業が見つからない、自分は本当に働けるのか、自分には就職は無理なんじゃないか」と自信をなくし、前に一歩踏み出せないでいる方。

そんな方が「働く」に向けて、一歩を踏み出すためのイベントです。

ご家族として、支援者として、雇用者として、当事者の方々の「働きたい」思いをどのように実現したらよいかと考えている方。

みなさんの気づきが、実現の一助になるかもしれません。

改めて「働く」ということを一緒に考えてみませんか?

私も働けそうだと自信や希望を持てる場、

働ける場所があると気づける場、

働くことに対して向き合うきっかけになる場になればと考えています。

 

◆開催概要◆

◇日時:2013年6月22日(土)10:00~17:00

◇定員:200人

◇会場:匠ソホラ(アイエスエフネットグループ SOHOオフィス6階)

  東京メトロ半蔵門線・銀座線/都営地下鉄大江戸線青山一丁目駅から徒歩3分

  東京都港区赤坂8丁目5番32号 田中駒ビル6階

  http://www.isfnet.co.jp/company/office.html

◇参加費:無料

◇主催:一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク/

     働き方メッセ実行委員会

◇ホームページ:https://socialbusiness-net.com/Hatarakikata_Messe/

◇参加申し込み:https://ssl.form-mailer.jp/fms/eb063f07249055

  ※ホームページからでもお申し込みできます。

◇お問い合わせ:hataraku-info@socialbusiness-net.com

 

◆プログラム ※今後出展企業の情報等決定次第順次WEBにてご案内致します

◇ステージプログラム

 ○基調講演:「知的障害者に導かれた企業経営から皆働社会実現への提言」

  障がい者の雇用を積極的に進める企業の中でも草分け的な存在である日本理化学工業株式会社の会長、大山泰弘氏をお迎えしお話いただきます。

  日本理化学工業 会長 大山泰弘氏

 

 ○クロージングセッション:働ける?を働ける!に

  海津 歩氏(株式会社スワン代表取締役社長/一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク常務理事)

  渡邉 幸義氏(アイエスエフネットグループ代表/一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク理事)

  谷口 奈保子氏(NPO法人ぱれっと理事/一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク副代表理事)

 

◇ワークショップ「みんなで語ろう 作ろう 育てよう はたらきの樹」

就労を目指す方、企業の人事に関わる方、支援者、そしてご家族など誰でも参加できます。参加者同士が直接対話をし、「ともに働くこと」を考えていきます。語り合い、体を動かすアクティブなプログラムです。

 

◇ブース展示:就労困難な方の雇用に取り組む事業者や団体のブースを設け、様々な「働き方」の形を終日展示いたします。

 出展企業:

   株式会社アイエスエフネット、株式会社スワン、社会福祉法人共生シンフォニー 

                              その他順次決定!

 

◇その他、タロット占いコーナー、コーチング体験コーナーも開設します。

 

 

 

【お問い合わせ・取材のお申し込み等】

働き方メッセ実行委員会

担当:前田、冨原

MAIL:hataraku-info@socialbusiness-net.com

【社会人・学生の方にご案内】 「働き方メッセ ~働ける?を働ける!に~」 イベント準備スタッフ募集のお知らせ

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【社会人・学生の方にご案内】

一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク/働き方メッセ実行委員会主催

「働き方メッセ ~働ける?を働ける!に~」 イベント準備スタッフ募集のお知らせ

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「一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク(以下SBN)」主催のイベント「働き方メッセ ~働ける?を働ける!に~」が2013年6月22日に開催されます。

「働きたい」という思いはあるけれど、様々な障壁や障がいが理由で働くことができない方。「自分に合う働き方が分からない、 受け入れてくれる企業が見つからない、自分は本当に働けるのか、自分には就職は無理なんじゃないか」と自信をなくし、前に一歩踏み出せないでいる方。そんな方が「働く」に向けて、一歩を踏み出すためのイベントです。当日は障害者雇用を実践している企業、日本理化学工業大山会長の基調講演や、就労困難な方を雇用している団体によるブース出展、企業担当者・当事者・支援機関担当者等様々な属性の方が一同に会し「働く」を考えるワークショップ等、様々なコンテンツを準備しています。

 

約200人の来場が見込まれるこのイベントにおいて、屋台骨を支えてくれる社会人や学生ボランティアを募集します。

 

イベント当日、就労困難者を雇用している事業者や支援機関、当事者や親御さんら約200名との出会いの場があることはもちろん、イベントをより効果的に演出するためのアイデア(当日配布ツールやパネルのデザイン等)や、ソーシャルメディアの活用方法について、皆さんのアイデアを形にできる機会がたくさん待っています!

 

少しでもご興味ある方、まずはお気軽にお問い合わせください。担っていただきたい役割と具体的な作業についてご案内いたします。また、可能であれば以下日程にて全スタッフでの説明会を行いますので、ご参加いただければ幸いです。

 

◆開催概要◆

■日時:2013年6月22日(土)10:00~17:00

■定員:200人

■会場:匠ソホラ(アイエスエフネットグループ SOHOオフィス6階)

  東京メトロ半蔵門線・銀座線/都営地下鉄大江戸線青山一丁目駅から徒歩3分

  東京都港区赤坂8丁目5番32号 田中駒ビル6階

 ■参加費:無料

■主催:一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク/

     働き方メッセ実行委員会

■ホームページ:https://socialbusiness-net.com/Hatarakikata_Messe/

 

 

◆ボランティア説明会◆

お願いしたいボランティア内容等の詳細に関するご説明や、各作業によるチーム分けを行います。

■日時:2013年6月19日(水)19:30~21:00(予定)

■場所:(株)アイエスエフネット 会議室

      東京都港区赤坂8-4-14 青山タワープレイス8階

■地図:http://www.isfnet.co.jp/company/office.html

■ボランティア内容:

イベント開催準備(当日配布資料の作成サポート・セッティング)、イベント開催当日の受付、

会場内外誘導、荷物運搬、来場者案内、記録、ソーシャルメディアを活用した情報発信など)

■人員:10名程度

■応募方法 

下記のフォーマットに記入の上、事務局までメールをお送りください。

メール送付時の件名:働き方メッセ ボランティア応募の件

=======申し込みフォーマット===========

・ご氏名:

・ご所属(学校名/企業名など):

・電話番号:

・メールアドレス:

・応募したきっかけ:

・今回のボランティアで挑戦してみたいこと:

・イベント運営スタッフの経験有無(あればどのようなイベントかも教えてください):

・その他(自己PR、要望などご自由に記入ください):

=========================

 

■応募締切:6/12(水) ※ただし、締め切り後も相談に応じます。別途ご連絡ください。

■その他:会場までの交通費等についても、誠に恐縮ではございますが、

ご負担下さいますようお願いいたします。なお、イベント当日の昼食は支給します。

■問合先:一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク 担当:伊藤

     TEL:03-6820-6300(10:00~18:00)土・日・祝日を除く)

     メール:hataraku-info@socialbusiness-net.com

【レポート】『社会事業家100人インタビュー』株式会社インサイト 代表取締役 関原深氏

「先輩社会事業家のビジネスモデルを学ぶ」

第15回『社会事業家100人インタビュー』

『まっとうに働く人が、まっとうに評価される社会に!』

~障害者福祉事業所の収益性を高める支援と場づくり~

 

ゲスト:関原深さん
株式会社インサイト 代表取締役

プロフィール:

マーケティング・統計解析を専門とし、全社戦略・事業戦略・新規事業の立案及び実行を支援。前職の銀行系シンクタンクでは、経営コンサルタントとして、多種多様な業界・業態の大手企業から中堅・中小、国内外のベンチャー企業まで幅広くサポート。現在は、ビジネスセクターでのコンサルティング・ノウハウを活かして、障害者雇用、福祉施設(授産)向けのコンサルティングや厚生労働省、財団等の障害者に係る研究事業等を実施。

(社)日本マーケティング協会アドバイザー、(特非)edge常務理事をはじめ、多数の役職を兼務。

東日本大震災後、被災地の障害者福祉事業所の製品を全国で販売する仕組み「ミンナDEカオウヤ」を複数企業・団体と共に立ち上げ、現在も運営責任者として奔走中。

<今回のインタビューのポイント>(インタビュアー IIHOE川北)

 「1歩先の視野と半歩先のプログラム」が求められる市民活動や市民事業を支援する者は、手法を紹介したり、課題を指摘したりするだけでは、その役割を果たしたとは言えず、「2歩先の視野」からその活動や事業の対象の未来を見据え、「1.5歩先のプログラム」を用意して、活動者・事業者にとって使える基盤をつくり、提供することが求められる。

 障害者福祉事業所の収益性を高める支援を続けるうちに、東日本震災で被災した東北の事業所を支えるために、多様な人々が、継続的にかかわれるしくみをつくりだされた経緯と、その工夫のポイントを、ぜひ学んでいただきたい。


“障がい×付加価値”で工賃を向上させる

 障がいを持つ人たちの月額工賃は、平均約13,000円(厚生労働省によると2011年度実績で13,586円)。これとは別に社会保険として受け取る障害者年金が、重度の人で月額8万円から9万円、軽度の人だと6万円から7万円程度。仮に一定レベルの生活水準で生活費を月10万円と見積もると、少なくともあと1万~3万円は足りないわけです。

そういう中での月額工賃が約13,000円。これはそもそも、1人の人間として生活する水準には足りてないということです。

工賃を増やすには、製作・販売している商品の売上を伸ばすしかない。そこにマーケティングの発想を入れて、利益を残せる商売をサポートしていこう、というのが私たち(株)インサイトの仕事です。

多くの福祉施設の事業が拡大できない最も大きな理由は、企画や生産から販売までバリューチェーン全体をやってしまっていること。自分たちで仕入れて加工しそれを販売する、それも本来の支援業務をしながら実施しなければならない。一般企業と比べたら厳しい戦いとなる。そこに「障がいを持つ人の福祉的事業である」という特性をつけたとしても、競争の中で勝ち抜くことは難しいでしょう。それだけでは足りないんです。たとえば、(愛知県豊橋市のラ・バルカが信州大学病院でカフェを開設する際に)タリーズなどのフランチャイズチェーンの「ブランド力」を使うなど、何らかの付加価値と「障がい」を組み合わせる視点が必要です。

 
ミンナDEカオウヤ、みんなで売ろうや!

 こうした、従来からの問題が改めて顕在化したのが、東日本大震災の被災地にある福祉施設でした。通常、福祉施設の商品は、その施設の近所に住む方たちに販売することが多いので、地域一帯が被災している状況では当然、商品は売れなくなってしまいます。13,000円の工賃が0円になってしまう。震災で生き残っても、その後の生活再建のための収入がない。その状況をなんとかしないといけないと思い、「ミンナDEカオウヤ」のプロジェクトが立ちあがりました。

ミンナDEカオウヤ」は被災地の福祉施設の商品を日本全国で販売して、被災した障がい者の収入や福祉事業所の経営を支えるプロジェクトです。以前からつながりのあった福祉業界の方々に頼んで、被災地で授産品をつくる施設を紹介してもらい、そこの商品を買い付けました。受託販売ではなく、“買い付け”にしたのがポイントです。売れ残っても返さない、売り切る、という覚悟です。しかし立ち上げ当時、インサイトの社員は私ともう一人の男性の二人だけ。だから私たち二人で売るのではなく、“みなさんに売っていただく”という事業モデルを考えました。みんなに売ってもらうための販売のシステム、プラットフォームをつくろう、と。

 たとえば、ある福祉施設の商品を販売しようとする場合、まず問い合わせをして、発注して、商品を受け取り、販売して仕入金を振り込む。福祉施設の側からすれば、受注→発送→請求と代金回収の事務を、発注先の数だけやらなければならないわけです。事務に慣れている施設はあまりありませんから、これだけでも大変です。

そこで我々は、販売の受発注や請求、回収代行だけに特化したシステムを作りました。それがあれば、発注者にとっても、複数の事業所のたくさんの商品を買い付けたい時に便利ですし、受注する福祉施設にとっても大幅な事務負担の軽減になる。それをもし、別々にやった場合には、銀行の振込手数料だけでもたいへんな金額になってしまいます。その手間を省くシステムを我々が提供し、1回5,250円のシステム利用料だけ利用者からいただいています。

さらに幸運なことに、積水ハウス(株)さんに梅田のオフィスビルの中にある店舗スペースを当初3か月間は無償で、その後も特別価格で提供していただき、自分たちで常設の販売拠点を持ち、販売員を配置して売る、というしくみもできました。

販売員の多くは被災地でボランティアを経験した学生たち。有償ボランティアという立場でたくさんの若者に関わってもらうことができました。販売員をつけて常に売る体制を持っている被災地商品はなかなかないので、被災地の福祉施設以外の商品の販売代行もやっています。

もちろん、被災地支援等のイベント店舗での販売もしています。自分たちが直接出店する場合はほとんどなく、実際は様々な企業や団体による販売代行です。私たちのシステムを使って販売したい商品を選んでいただき、販売時に面倒な、アイテムの商品名や価格札、紹介文なども全部リスト化し、ポップをつくってWEBでダウンロードできるようにしています。セールストークのための文書も提供しています。こうした結果、2013年3月末時点での累計売上高は6,957万円になり、商品を仕入れている福祉事業所は66事業所、商品数は365アイテムにまで増え、イベント出展実績も494ヶ所になりました。これは現地の工賃に換算すると、1,000~1,400人に月2,000円の工賃向上効果があった計算になります。

 周囲を巻き込んで大きな流れをつくる

自分がこれまでやってきたことは、「どう巻き込むか」、「どうやったら周囲を巻き込みながら大きな流れを作り出せるか」ということに集約できると思います。どう顧客を巻き込むか、どう社会を巻き込むか。その“流れ”を作り出すには一定の法則があります。最初は小さなゆらぎ。その状態を「創発」と言いますが、個々が一定の規則に基づいて自発的に活動している状態。そういう小さな創発がいくつも起きると、お互いに共鳴して大きな流れができてきます。大きな流れができると、そのメインストリームに周りは巻き込まれて流れが加速する。そうやって大きな変化が起こっていきます。

大切なのは、最初の「創発」を確実に起こすこと。そのためには、まず徹底した議論を行い、流入してくる情報や事象を受け止めること。そしてその議論の中で生まれたアイデアを必ず試してみること。さらにその時の失敗を振り返って考えること。そうすることで自分自身の流れを作り出すことができます。私は、「志」レベルを同じくする者同士が、自分の流れをつくって創発し、立場の垣根を越えて共鳴し合うことで、大きな流れができると信じています。ミンナDEカオウヤのプロジェクトがここまで大きくなったのも、たくさんの創発が共鳴した結果です。仲間と連携し、巻き込みながら大きなうねり、社会変革を生み出すこと。これからもその流れを作るために「どう巻き込むか」を考え続けていきます。

【レポート】『社会事業家100人インタビュー』公益財団法人キープ協会 環境教育事業部 シニアアドバイザー  川嶋直氏

「先輩社会事業家のビジネスモデルを学ぶ」

14『社会事業家100人インタビュー』

~日本の自然学校の草分け キープ協会に学ぶ~


ゲスト:
川嶋直さん

公益財団法人キープ協会 環境教育事業部 シニアアドバイザー

略歴

1953年東京都調布市生まれ。26年間東京で生活、1980年から清里に。
1984年にキープ協会がネイチャーセンターを開設した当初から環境教育事業を担当。

28年に渡る環境教育の人材育成事業の経験の中から、「指導者に必要なコミュニケーション力と企画力」を痛感。自然の中での「自然とのコミュニケーション・人とのコミュニケーション・自分自身とのコミュニケーション」を通した環境教育を実践中。企業や大学・行政などあらゆるセクターとのコラボレーションも進めている。

公益社団法人日本環境教育フォーラム常務理事【1997年~現在】
NPO法人自然体験推進協議会理事【2000年~現在】
日本環境教育学会理事【2011年~】
つなぐ人フォーラム事務局長
ESDの10年世界の祭典推進フォーラム理事
著書:「就職先は森の中~インタープリターという仕事」1998年小学館

<今回のインタビューのポイント>(インタビュアー IIHOE川北)

かつて日本では政府の支援を全く受けられなかった自然体験活動は、その重要性に気付いた人々によって着実に取り組みを積み重ねられ、今日では、他国にないユニークな進化を遂げている。その礎を創り出した一人が、川嶋直さん。「隠してる場合じゃない」という一言は、それぞれが工夫や努力を積み重ねてノウハウを磨きながら、公益の担い手であることの意義を自覚させる重要な問いかけだ。


“ない”ものをチャンスにする

私がキープ協会に入職したのは1980年、27歳の時。当時の私には、自然分野の専門的知識も、フィールドも、ネットワークもありませんでした。でも野外教育、環境教育がしたかった。自然学校のようなものが日本でもできないか、と模索していました。だから、フィールドと施設と組織力のあるキープ協会に入り、その中で組織内起業をしようと思ったのです。当時のキープ協会には環境教育の部門はありませんでしたから、入ってから自分で作ろう、という確信犯です。

専門知識はないから、日本野鳥の会と協働してプログラムをつくったり、ネットワークがないから、会議の番頭役を務めて、いろんな参加者を募ってつながったり。そんな過程で「新しい学びの方法が必要だ!」と感じたけれど、その方法もわからない。そこで力になってくれたのが、「エコロジー」という、当時は非常にチャレンジングなキーワードに集まってきた、敏感な参加者たちでした。

1985年に「エコロジーキャンプ」をはじめた当初、とにかく様々な自然の知識を提供しなくては、と詰込み型で朝から晩まで研修をしていました。でも敏感な参加者のみなさんは、自分で学ぶ力を持つ人たち。「もっとみんなを信用すればいいんだよ」と言われてハッとしました。そこから、参加者中心の学びの場づくりを考えるようになりました。

こんな調子で、最初は本当にないものづくし。だからこそ、外部に協力を求めて、常にコラボレーションをしてきました。様々な専門家をゲストに招いて主催事業をしたり、人手がないから東京・山梨からたくさんのボランティアに来てもらったり。僕たちにない発想で、とんでもないお題を出してくる様々なクライアントにも鍛えられました。「ダムで環境教育」なんて、環境保護団体だったら決して出てこない発想でしょう。でもクライアントから依頼がきたから、必死になって考えた。そういうことが、私たちの事業の幅を広げることにつながったのだと思います。

 

状況が変わるなら誰とだって手を組む

キープ協会では、常に時代の社会的課題の事業化にチャレンジしてきました。

「エコロジーキャンプ」を開始した1985年頃は、それまで“反対運動”が中心だった市民運動から、対案の提示の重要性が認識されてきた時代。子ども向けの環境教育は少しずつ普及していたものの、多くの大人たちの環境への意識は低いまま。そんな大人たちにこそ環境教育が必要だ、と考えました。そこで大人向けの環境教育として、また「エコロジー」な考え方や生き方を提案する場として、「エコロジーキャンプ」を開催するようになりました。

1992年からは自然と人との仲介「インタープリター」という役割の提案をしたくて、「インタープリターズキャンプ」を実施。単に自然体験をするとか、自然から学ぶというだけではなくて、人と自然を結びつけるために何が必要なのか、“伝えるための技術”も学び合い、それぞれが持つノウハウを分かち合う場として機能するようになりました。

それから、普段は林業の人手不足を補うためにボランティアを募って開催されている森林管理作業を、有料の教育事業として提案。意見交換をする機会のなかなかない、林業従事者と、森林や生物保護等のNGOが一緒になって森をどう守っていくべきか、森の環境を守るためにはどんな木を切るべきかについて議論しながら学ぶ場づくりなども行ってきました。他にも、参加者中心の学びの手法を論理的に整理して教育界に提案するための「環境教育体験学習法セミナー」(99年~)や、自然環境の中での幼児教育や保育を行う「森のようちえん」(2002年~)など、時代ごとの課題に合わせた事業化にチャレンジしてきました。

これらは、企業と一緒にやったり教育現場と一緒だったり、行政からの委託だったり、そのコラボレーションのありかたは様々です。どうしてそんなにいろんなコラボレーションができたのか、と聞かれますが、我々はごく自然に、最初から一緒にやってきました。我々の主催事業に企業の人が参加するのも大歓迎。そういう姿勢で参加者の力を借りながら事業をつくってきました。状況を変えるためだったら、誰とでも手を組む。そうしないと世の中は変わりませんからね。

隠してる場合じゃない!

僕らの仕事は、自然と人の橋渡しをすること。仲介者や翻訳者(インタープリター)であることです。目の前のお客さん、自然次第で、何を伝えるべきかは常に変わってくる。仲介者としてのノウハウや知識は、目の前の状況を変えるための手段にすぎないんです。

1987年から清里環境教育フォーラムを、その後に清里ミーティングとして環境教育に携わる人たちの交流・情報交換の場を開催してきましたが、そこでは常にノウハウをオープンにしてきました。自分たちのものはもちろん、全国から集まってくれたリーダーたちのものもです。人によっては、ノウハウは貴重なメシのタネですから、隠したい人もいると思いますが、目の前に30人のお客さんがいるんだったら、講師であるリーダーたちが「自分だったらそんな風にはしないよ」と、隠し合わないでオープンにしたほうが、絶対にみんなのためになる。お互いに持つノウハウをオープンにして、全体としてのレベルを上げないと、目の前の状況は変わりません。常に全体最適のために自分は存在するのであって、自分たちだけの成功、部分最適なんてありえない。隠してる場合じゃないんです。だから常にノウハウはオープンにしてきたし、これからもそうし続けます。

私たちは自然と人との仲介者であると同時に、人と人との仲介者でもあります。このテーマにはこの人をゲストにして、こんな場をつくろう、とか、この状況を変えるためにはこの人たちを動かそう、とか、目の前の状況次第で自分たちの立ち位置も変えていかないと。大切なのは自分が自分であることではなく、状況を変えるために自分が存在しているのだということ。それがわかれば、“隠してる場合じゃない”ってことがわかってくると思います。

【レポート】『社会事業家100人インタビュー』有限会社 ビッグイシュー日本 代表/特定非営利活動法人ビッグイシュー基金 理事長 佐野章二氏

「先輩社会事業家のビジネスモデルを学ぶ」

第13回『社会事業家100人インタビュー』 

~「救済」ではなく「仕事」を~ ホームレスの人々の自立をサポートするしくみ

2013年3月6日(水)19時~21時 於:(特)ETIC.ソーシャルベンチャー・ハビタット

 

ゲスト:佐野章二さん
有限会社ビッグイシュー日本代表
特定非営利活動法人ビッグイシュー基金理事長 

 

 略歴
1941年大阪市生まれ。地域計画プランナーとして活動する傍ら、NPO法制定に関する基礎調査(「市民公益活動の基盤整備に関する調査研究」)をはじめ、仙台、神戸、広島等のNPO活動支援センターの立ち上げや、阪神淡路大震災時には三つの応援組織立ち上げを支援。2001年に「シチズンワークス」を設立。
市民が興味のあるテーマで自由な議論を行う「市民研究講」のなかの「ホームレス問題研究講」から「ビッグイシュー日本版」発行のアイディアが生まれ、2003年9月ホームレス支援雑誌『ビッグイシュー日本版』を創刊。03年5月より現職。07年9月、特定非営利活動法人「ビッグイシュー基金」を設立。
主な著書 『ボランティアをはじめるまえに』―市民公益活動 地方自治ジャーナルブックレット 公人の友社 (1994)『ビッグイシューの挑戦』 講談社(2010)

 

人はなぜホームレスになるのか

ビッグイシューは、ホームレスの方々をビジネスパートナーとして、雑誌「ビッグイシュー」を販売してもらい、その売上の半分以上(1冊の販売価格300円中の160円)が販売者の収入になるしくみです。

1991年にロンドンで生まれ、2003年9月に日本でも創刊。2012年8月末には日本の販売登録者数は延べ1369人、販売中の人が151人で卒業者が156人になりました。

この数字を見ると、登録者の残りの約1000人はどうしたのか、と思うでしょう。その人たちは販売に向かないか、働けないで生活保護を受給した人などです。ビッグシューでは最初の10冊は無料で渡し、その売上げの3000円を元手にして、仕入れをしてもらうしくみにしています。1000人のなかには、最初の10冊を受け取った後、消えてしまった人たちも多い。それは、人はなぜホームレスになるのか、という問題にもつながっています。

日本ではホームレスになる理由として失業が多い。失業し、家賃が払えなくなって家を失う。でもその時に、頼れる人、相談できるところがあればホームレスにはならない。一人ぼっちになる、社会的孤立、という3つ目の原因があってはじめて、人はホームレスになる。頼れる人や場所を持たないということ、ホープレスであるということ、それがホームレスの問題の本質です。そういう彼・彼女らにとって、我々は敷居の低い存在でなければなりません。すぐできて、すぐやめられる。そういうものでないと、アクセスしてもらえない。ビッグイシューとホームレスの人との契約は「8つの行動規範」という、販売の際の基本ルールだけです。それを守れなければやめてもらうし、それは約束してもらいます。でもそれ以外は、路上に何時間立って売るかなどは自由です。売り上げたお金を何に使うかも自由。社会的に孤立している中で、お酒やギャンブルなどに依存している人も多いでしょう。そういう仕事として、最初に登録し、販売を続け、卒業した人たちの数がこれだけ、ということです。

 

当事者を問題解決の担い手にする

ビッグイシューを日本で創刊しようとしたとき、「日本ではビッグイシューは100%失敗する」と言われました。日本では、若者の活字離れが起こっていて雑誌が売れない、そもそも雑誌の路上販売文化がない、優れたフリーペーパーが多いからわざわざお金を出さない、ましてホームレスからは買わない、という四重苦があるからです。

ホームレスの支援というのは、難しいことの組み合わせですね。でも、イギリスでホームレスの人が誇らしげにビッグシューを掲げて売っているのを見て、「この風景を日本でも実現させたい」と思いました。日本でも絶対にできるはずだと。「我々はホームレスを救済するんじゃない、ビジネスパートナーとして仕事をするんだ」と考えました。

仕事は、人々を対等にする有力なツールです。仕事を通じて人はつながりを得ることができるし、自立することができる。モノやお金ではなく、機会(チャンス)を提供することが、何よりも彼・彼女たちの支援になると考えました。そして、その仕事を市民が作り出すことに意味がある。ホームレス問題解決への市民の参加機会をつくる、ということです。市民の手で雑誌を作って、それをホームレスの人たちから市民が買う。そういうサイクルの中で、市民が当事者になる社会、当事者が問題解決の担い手になる社会をつくりたかった。

そのためには、魅力ある雑誌、たくさんの人に買ってもらえる雑誌でなければなりません。活字離れしている若者にも読ませることのできる雑誌、市民が主役になっていて、しがらみがないからこそ取り上げられること。私たちは社会のエッジにある問題、隅っこにあって、なかなかメジャーなメディアでは取り上げられない課題を取り上げようと思いました。そこに世の中の普遍性があると。その問題を現場で生々しく取り上げて誌面に載せ、ホームレスの人が市民に販売する。しかも若者受けするかっこいいデザインで。活字離れしていると言われる若者が思わず読んでしまうようなデザインを、1ページ1ページ練って作っています。その結果、今では30代から40代の女性を中心に、毎号約3万部が売れています。うち約7割の読者がリピーターです。

こうした雑誌を作るのには、当然資金が必要です。雑誌の創刊には、通常5000万~6000万円必要だと言われていますが、私たちが用意できたのは2000万円。その内訳は、当時の国民生活金融公庫の開業融資と大阪府人権金融公社からの融資で計1200万円。私ともう一人の創業メンバーで出した出資金が300万円。加えて大阪府のコミュニティビジネスプランコンペで100万円を支援してもらい、残りの400万円は、一口5万円の「市民パトロン」を募集してみました。結果、80人もの市民パトロンが集まりました。こういう事業を面白いと思ってお金を出してくれる人が80人いた、ということです。当時、行政のお金はあまりあてにはしていませんでした。行政組織の中に流れている時間の感覚と、立ち上げ期の我々の時間の感覚はまるで違います。時間だって貴重な資源ですから、あえて行政には頼らず、自分たちでなんとかする方法を考え、結果として80人もの市民パトロンの方々に出会うことができて、とてもよかったと思っています。

 

会社とNPOの両輪で「人をホームレスにしない社会」をつくる

とはいえ、懐事情はなかなか厳しい。03年9月に発行した創刊号は約5万部売れ、04年3月に発行した第5号は8万部売れましたが、それ以降は減少が続いています。04年9月からは、月刊から月2回発行にしました。年間計24号、約70万部を売っていますが、赤字の累積がたまり、07年にはそれまで1冊200円だった販売価格を300円に値上げしました。

その結果、08年~11年は単年度黒字とすることができましたが、東日本大震災後に売上が約17%減りました。加えて、東京での販売者が徐々に減ってきています。ビッグイシューの販売は立ち仕事でしんどいですから、生活保護を受けたほうが楽だ、という人もたくさんいます。また、ビッグイシューでは生活保護を受けている人は、販売者にしないのがルールです。

こうした苦しい懐事情の中で、どうやったらもっと市民に応援してもらえるだろうかと考えて、雑誌を発行している有限会社ビッグイシューとは別に、07年9月にビッグイシュー基金を設立し、2012年には認定特定非営利活動法人になりました。基金では市民応援会員や企業・団体向けの社会再生サポーター制度、そして税制優遇の受けられる寄付を募るしくみをつくって、若者をホームレスにしないための市民ネットワークづくりや政策提言、路上脱出ガイドの作成と配布、自立応援のためのスポーツや文化のクラブ活動なども行っています。

近年ホームレスの若年化が起こっていることに伴い、その原因を探ろうと「社会的困難を抱えた若者応援ネットワーク」を複数の組織と一緒につくり、「若者ホームレス白書若者ホームレス白書②」も発行しました。若者ホームレスの問題は単にホームレスの問題が若年化しただけではなく、ひきこもりやニートが象徴する教育や家庭環境、障害の問題、児童養護の問題などさまざまな社会問題と地続きであり、日本の未来に関わる問題です。その原因や本質的な問題を調査し、結果を発信して提言していくことがとても重要だと思っています。

雑誌「ビッグイシュー」を有限会社で販売して事業をまわしながら同時並行で、人をホームレスにしない社会づくりをすすめようと、今は会社とNPOの両輪で活動をしています。

2011年から12年にかけては、東日本大震災で被災した地域のホームレスを支えようと、現地へのボランティアの派遣、スタッフの長期派遣や、現地の市民団体と共同してミニコミ「被災地の路上から」を発行して被災地外への発信も行いました。

ホームレス問題解決のためには、市民が当事者になって参加すること、応援することが絶対に必要です。雑誌を買うという行為も、寄付をするという行為も、市民が社会参加するためのツールなんです。雑誌ビッグイシューや路上脱出ガイドなどを接点にして、社会の一員としてホームレス問題解決のために参加してほしい。無視するのではなく、気にして、声をかけてほしい。一人ぼっちになりホープレス状態になっている彼・彼女たちが、つながりを回復してホープを持つということ、それを支援するのがビッグイシューの役割だと私は思っています。

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